篠原くんと囲碁部部長の棚橋くん①ー1

 自分が路傍ろぼうの人のうちのひとりだと気づいたのはいつ頃だったろう。


 砂で汚れた赤い塗装の三輪車に跨り力いっぱい漕いでもドベにならないことがせいぜいな保育園のときか、何度も書き直した冬休み明けの書初めで銅賞すらもらえなかったときか、数学だけなら誰よりも賢いと思っていたのに中学校の最初のテストで三位だったときか。

 そういう小さな挫折とも呼べる経験を繰り返していくうちに、ああ、自分は特別な人間ではないんだなあと気づいたんだと思う。


 最初からそう思っていたわけじゃない。それどころか、小学生の頃の夢は数学の神か先生になると豪語していたくらいだ。

 自分は特別な人間ではない。本当の意味でそれを自覚できた要因に、やっぱり菅にいの存在は大きかった気がする。


 菅直人すがなおと

 近所に住むふたつ年の離れた幼馴染は、俗に言う元気っこキャラだ。

 春には公園で色々なスポーツをやったし、夏は学校でもらう屋外プールのタダ券をいらない子から集め連日泳ぎ続けて日焼けしたし、秋には小学校近くの田んぼの用水路で虫あみ片手にトンボを捕まえたし、冬はグラウンドにごくわずか降った雪をかき集めて泥まじりの雪だるまを完成させた。


 彼の思いつきにいつも振り回されていたのは、ぼくと、そのときたまたま出くわしたクラスメイトや知らない学校の子どもたち。歩けば仲間を増やしていく様子は、さならが現代版桃太郎だなと思っていた。菅にいの笑顔にほだされた人は唯一無二の輝を求めて彼の背中を追いかけていく。


 御一行のなかに必ずぼくがお呼ばれしていたのは、菅にいのマブだとかそういう理由じゃなく、ただただ家が近所だったからだと思う。

 菅にいに電話で遊びに誘われるとき、ぼくはたいてい居留守を使う。ぷるるるるる、ぷるるるるる、ぷるるるるる、がちゃ、と留守電を吹き込むことなく切ったので諦めたかと思いきや、またぷるるるるると掛けなおしてくる。一回、二回、三回と繰り返しようやく諦めたかと思いきや、今度は家にまで押しかけインターホンを鳴らし始めた。ここまでくると観念したのは両親の方で「せっかく誘ってくれてるんだから、遊びにいきなさい」と言って、お小遣いを持たせてぼくを人身御供にした。


 菅にいの周りにはいつも人がいる。みんなで遊んだほうが楽しいと考えるのは単にひとりっ子だからということ以外にも、こう、彼の根っこにある芯の部分が訴えかけているのだと思う。

 彼の両親はとても穏やかな人で、のびのびと遊ぶ菅にいを後ろから一歩引いて見守っているような人だった。


『特別な人』とは、こういう人種を指していうのだろうと思った。頭脳とか運動神経みたいな天賦の才は持っていなかったけれど、彼の発する輝きは、例え僕がいくら自分を磨きあげたところで比べることすら叶わない代物なのだと、子どもながらに悟っていた。ダイヤモンドに砂利が勝とうなんて、考えるだけ無駄だ。

 羨ましいと思ったことはない。

 けれど「どうしていつも遊びに誘ってくれるの?」、とは最後まで訊けなかった。


 今年東京の大学に通う菅にいは、今頃慣れない満員電車に四苦八苦しているのだろうか。いや、それはないな。隣で同じアプリゲームをしていた人と意気投合してそのままフレンド交換した後、大学そっちのけで遊んでいるほうが想像に難くない。

 ぼくは東京にいるであろう菅にいに思いを馳せながら、そんな彼の置き土産をどうすべきかと、一応つくっておいた簡素な勧誘ポスターを手に見つめる。


『来たれ囲碁部』、と3Dっぽい影文字フォントで大きく見出しを飾った背後に、二十年ぐらい前に流行った囲碁漫画の表紙のイラストを張り付けただけの、制作時間およそ十分のパワポの勧誘ポスター。

 漫画家のイラストをそのまま無断転載したわけで、普通ならもう少し出来栄え良く映ってもよさそうなのに、美術の成績『3』のぼくがつくるとどうも不格好に見えた。構図が、何というか、左よりっぽい。


 囲碁部が創部して早や三年。

 もともと囲碁部はポスターに描かれた囲碁漫画を読み影響された菅にいが立ち上げた。初めて部活を立ち上げたと聞かされたときは『ああ、いつものか』と思い、同時に『すぐに飽きるんだろうな』とも予想していた。


 菅にいには飽きっぽいところがある。

 それもただ飽きっぽいだけじゃない。天性のインフルエンサーだった彼は自分が興味を持ったものを必ず他の人にも勧めた。というか半ば強制的にやらせた。ただ同時にプレゼン能力も高く、勧められた人のほとんどは同じもので遊び、彼が流行らせたカードやゲームソフトを買い揃えたころには本人がやめているなんてことがざらにあった。菅にいと遊びたくて買ったのにと怒りをあらわにする子もいたが、それでも許されてしまうのが菅直人という人間だった。


 実部員二人+幽霊部員三人だった囲碁部は、いまや実部員一人のみになってしまい、このままだと同好会へ降格どころか囲碁部そのものが消滅してしまう状況だった。


「せっかく作ってもらっても囲碁部がなくなるんじゃ、ねえ」


『囲碁部 部長 棚橋和仁たなはしかずひと』と、シルバーに黒の筆文字で書かれた机上名札が、四つ足の学校机の上でその役割を果たせずにいた。ひとりぽつんと、来るかどうかもわからない新入部員のために毎日毎日部室で本を読んでいるぼくに果たしてこの名札は相応しいのだろうか。せめて名前さえ書いていなければと悔やまれる。

 菅にいの最後の置き土産。それは囲碁部部長というありがた迷惑な役職一点もの。なにが『後輩とは仲良くやれよ』だ、後輩何て入ってこないじゃないか。碁石とか詰め碁本とか、もっと囲碁部らしいものを残していけよ前部長さん。


 文鎮にするには軽く、スマホスタンドにするには縦幅のない名札の新たな活用方法を考えている、まさにその時だった。


「たのもう」




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