祓之陸-Ⅱ
駐車場内部は先刻足を踏み入れた時とは様相を異にしていた。天井といわず、床といわず、至る所に亀裂が入っている。四神封縛が一度解けた際にどれだけ暴れたかということが
「奴は何処?随分おとなしいわね。」
子鬼が居なくなった今、駐車場の中はガランとしていた。所々、さっきの爆発の炎が残っているが、電気も通っていない駐車場は見通しが悪く、奥の方までは見通せない。
「気配もしないわね。」
あれ程溢れていた闇の気配も、綺麗さっぱり消えていた。
「幾らなんでもさっきの爆発で死んだとは思えんが…。」
黎は機嫌を直して、人よりも良く見えるその目で闇を見透かしてみた。
「あんだけ大量の子鬼を使役する奴だ。あの程度の爆発で死ぬ訳が無い。」
黎は、気を抜いてしまいそうな翠たちに注意を促す。
「……。」
気を引き締めなおして歩を進めるが、駐車場の中央まで来ても何も出てこない。しかし、翠の左手に握られている正宗が何かに反応していた。前に進むたびにその反応は強くなる。
「妙子さん、気をつけて。正宗が警告を発しているわ。」
翠は立ち止まって正宗を体の前に構えた。
「…何処に居るの?」
妙子も風神剣を構えて周囲を見回した。
背中合わせにして立つ二人は、その頬に微かな風を感じた。
「駐車場のシャッターが開いているの?」
「そんなはず無いわ。ここのシャッターは私が二重結界にしてまで封鎖しているんだもの。結界を破られれば解るわ。」
幸いにもシャッターは入り口付近にあったため、四神封縛を張った後に、シャッターにも別の結界を張ることにしたのだ。
「どっちにしろ、このマンション自体が封印になっている。シャッターが開こうが、開くまいが、封印に囚われている奴に、ここを出ていくことは出来んだろ。」
「…と、言うことは……。」
翠たちは風の吹いてくる方向に視線を向けた。すると、それを待っていたかのように突風が吹き荒れてきた。
「! しまっ…!!」
その突風に二人は吹き飛ばされてしまう。空中に放り出された二人の肌や服が風に切り裂かれていく。黎は翠の服にしがみ付いていたが、切り裂かれた服の破片と共に投げ出されてしまった。
翠も、左手首を切り裂かれ、つい正宗を手放してしまった。
翠も妙子も、激しく壁に叩きつけられる。それでも風は止まず、二人の体を壁に押し付けていく。
それまで全く感じられなかった闇の気配が、風と共に二人を押し潰すかのように強くなっていく。
「~こ、のっ…!」
二人の体は緊急時に働く個人結界によって守られているが、それにも限界がある。その強度は本人の力により個人差がある。翠はまだ余裕が見て取れるが、妙子には既に限界が来ているようだった。
それを見た翠は、妙子に手を伸ばしたが、あと少しのところで指先が届かない。
「たっ、妙子さんっ!手を伸ばして―っ!!」
翠の声が聞こえたのか、妙子が翠の方に手を伸ばした。翠が妙子の手を掴むと、その手を通して、翠の個人結界が妙子を包み込んだ。
「翠っ!」
遠くに吹き飛ばされた黎が叫びながら、風の出所である鬼の目に向けて飛び掛った。
小さな黎の存在に気が付いていなかったのか、鬼は突然の奇襲に左目を傷付けられてしまう。それにより、翠たちを押し潰そうとしていた風の勢いが緩んだ。
その隙を逃さず、翠は妙子を引き寄せた。
妙子は既に意識を失いかけていた。朦朧としたその視線に、翠は歯を噛み締めて妙子を抱き締めた。
「~~許さないっ!」
翠は妙子をそっと床に寝かせると、妙子の手から風神剣を取り上げて、地面に突き刺した。
「風鬼童子、妙子さんを守る風となれっ!」
翠のその言葉に風神剣の輪郭がぼやけ始めた。
⦅翠の力に引き摺られていく。⦆
風神剣の姿は消え、妙子の周りに桃色の風が巻き起こり始めた。
「み、翠ちゃん…。」
妙子の微かな声に、翠は優しく微笑んで立ち上がり、黎の左目への小さな攻撃に苦しむ鬼を睨み付けた。
「正宗っ!!」
翠の呼び掛けに、風に飛ばされた正宗が応えて、横に伸ばした翠の左手の中に猛スピードで戻ってきた。翠の怒りが乗り移ったかのように、刃が怪しく煌いた。
「――行く。」
正宗を構えて屈んだ翠が、足に龍牙力を込めて地面を蹴った。
すると、翠の体は一気に鬼の許まで辿り着き、そのままの勢いで鬼の右目に正宗を深々と突き立てた。
「翠っ、無茶をするなっ!」
黎の言葉に構わず、翠は激しく暴れる鬼の右目に再び正宗を突き刺す。そしてそのまま上へと切り裂いた。
正宗の刃は鬼の頭蓋骨を砕き、頭部を切り開いた。しかし、傷口から噴き出したのは血でも
その風に翠は危うく首を切り落とされそうになるが、ぎりぎりの所で避ける。だが、完全に避けきれるものではなく、水色の髪が一房、風に舞って飛び散った。そのまま翠は鬼の顔から振り落とされてしまう。
その翠目掛けて鬼の右手が振り下ろされる。
「馬鹿がっ!!」
黎が鬼の顔の反対側から飛び降りた。
「早くっ、戻れっっ!!」
黎の祈りが通じたかのように、小さな体が大きくなっていく。黎が翠と鬼の手の間に入るのとほぼ同時に、鬼の手が地面に叩きつけられた。
しかし、間一髪、黎が元の大きさに戻るほうが早かった。黎は
「…ご、ごめん、黎。ありがと。」
翠は素直に謝って、素早く体を起こし鬼の手の下から抜け出す。それを確認した黎は押し付けてくる鬼の手を左側へ払い、そこから飛び退き、鬼と距離を開ける。
「ったく、相変わらず無茶ばかり!何時も守ってやれる訳じゃねぇぞっ!!」
黎が翠の後頭部をはたく。
「だぁってぇ~。」
「"だって"じゃねぇっ!!」
二人が軽口を叩く間にも鬼は、巨大な体躯を翻して、二人に回し蹴りを喰らわせる。巨体からは想像も付かないそのスピードに今度は黎ですら支えきれずに吹き飛んだ。
二人は受け身を取りすぐさま体勢を整える。
翠は右に、黎は左に走り出し、鬼の両脇を挟む形で向かい合い、同時に呪文を唱えだす。
―蒼き(死の)龍牙よ
全てを打ち砕く力となりて
立ち塞がりしモノを排除せよ―
両手を差し出した二人の前に、それぞれ緑と紫の龍牙力が集まる。翠の支龍力と黎の影響力が互いの力を引き寄せあう。
間に立つ鬼は、力を分断しようと、風を発生させて二人に襲い掛かる。しかし、その風は二つの力に阻止されて二人には届かない。
―
二人の両手に集まった龍牙力が、互いの力を引き寄せ一気に鬼を両側から押し潰しに掛かる。
鬼は両手に風を集めて力を抑えようとするが、徐々に腕が押し戻される。咆哮を上げて気合を入れるが、二人の力の引力はそれだけでは断ち切ることが出来なかった。
終には、翠と紫の力が鬼の巨体を包み込んだ。それと同時に二つの力が爆発を起こす。その爆発は周囲を巻き込み、爆風と砂塵の嵐を巻き起こす。
鬼の断末魔とも思える絶叫が爆音と共に、地下駐車場を埋め尽くす。
「よしっ!」
黎が歓喜の声を上げる。
「まだよっ!気を抜かないでっ!!」
戦闘態勢を解こうとしている黎の耳に、妙子の声が警告を伝える。
「っ!?」
その声とほぼ同じタイミングで、爆発の中から巨大な拳が伸びてきて黎を直撃した。
気を抜いていた黎は防御しきれず、後ろの壁にその身を激突させた。勢いはそれだけでは止まらず、黎の体は壁を
「黎っ!?」
翠は黎を助けようと走り出した。
しかし、それを鬼の体が阻止するように動いて翠の行く手を塞いだ。鬼の背中に翠は正宗を突き立てようとするが、その皮膚は予想以上に硬く、正宗の刃を受け付けなかった。
「~くっ!?」
翠は正宗を構え直し、刃先に龍牙力を込めていく。
「これでどうだぁ~~っ!?」
緑色に輝く正宗の刃を鬼の背中に振り下ろす。
刃は鬼の皮膚を切り裂き、一筋の傷を作る。行けると判断した翠は反す刃で更に深く斬りつけに掛かる。しかし、その傷口から噴き出してきたのは、先程と同じく血ではなく鋭い刃を持った風だった。
「しまっ…!?」
失念していた翠はそれに気付き、咄嗟に両腕をクロスさせて向かってくる風から顔を守った。しかし、風が襲い掛かってくることは無かった。
腕を下ろすと、目の前に妙子の背中があった。
「大丈夫、翠ちゃん?」
妙子は風神剣で風の結界を作り、鬼の傷口から溢れてきた凶器の風を防いでいた。
「た、妙子さんっ!?」
しかし、鬼の狂風は完全には防ぎきれていなかった。翠は妙子のスカートから大量の血が滴り落ちているのを見た。
翠は妙子の横に回り傷口を確認した。
「妙子さんっ!!」
妙子のふくよかな胸が削ぎ落とされその下の骨が覗いていた。風神剣に添えていただろう左腕も手首から先が無くなっている。
咄嗟に周囲を見回すが、欠片すら見つけることが出来なかった。
「ふふ、奴の風に粉々にされちゃったわ。」
妙子は苦痛を堪えて、翠におどけて見せる。
「そんなこと言っている場合じゃないわっ!?」
翠は妙子を助けようと手を出すが、そこへ鬼が
完全に気が逸れていた翠を、妙子がその身で庇う。その背中から嫌な音が聞こえてきた。
「!!」
二人の体は一緒に反対側の壁まで吹き飛ばされる。二人の体は壁に直撃する寸前に風神剣から噴き出した風に包まれ激突を免れる。
「……個人結界が役に立ってないわね…。」
妙子は息も絶え絶えに、それでも笑顔を見せて言う。
「喋らないで、妙子さん。直ぐに傷を塞がなきゃっ!?」
両目に涙を浮かべる翠を優しく見つめて妙子は小さく首を横に振った。
「…もう無理。藍ちゃんでも治せないわ。」
「そ、そんなこと無いっ!直ぐに連絡するから諦めないでっ!?」
翠はスカートのポケットからスマホを取り出そうとするが、その手を妙子の途切れた左腕が押さえた。
「……翠ちゃん、強くなって。」
翠は自分の腹部に違和感を感じた。見ると、腹部に風神剣が深々と突き刺さっていた。
「た、妙子さん?」
しかしその腹部から血が溢れ出ることは無かった。違和感を感じるが痛みは無い。
「風鬼童子は私の
弱々しい妙子の台詞が理解できない。否、理解したくない。
「私も、風鬼も、姿は無くなるけど、何時までもあなたの中で生き続けるわ。」
妙子の体が桃色に輝きだし、少しずつその輪郭を
「~だ、駄目…。駄目だよ、妙子さんっ!?」
腹部に突き刺さった風神剣から翠の体に流れ込んでくる沌生力。その力は何故か、そのまま翠の中ですんなりと受け入れられていく。
「やめて妙子さん。こんなことしたら死んじゃう…。」
翠は止めさせようと、力が流れ込んでくる風神剣を抜こうとするが、何故かビクともしない。
黎を呼んで手伝ってもらおうとするが、黎は先程の状態から脱け出せていなかった。
鬼は二人には見向きもせず、相変わらず黎に攻撃を加えている。その巨大な拳で黎を潰してしまおうとしているかのように右、左と連続で攻撃を繰り出している。
「翠ちゃん。」
妙子の力ない声が翠の耳に届く。視線を戻すと、妙子の姿がもう殆ど消えかけていた。
「消えちゃやだ!約束したじゃない。これからもっといっぱい一緒に想い出作るって……。」
「一緒よ。私はこれからもずっと翠ちゃんと生き続けるわ。」
もう声すら微かにしか聞こえない。体に流れ込んでくる沌生力も殆ど無くなっている。風神剣すら透けていた。
「愛しているわ、翠ちゃん。」
その一言を残して、妙子も風神剣もその姿を消してしまった。
翠は絶叫した。その声は地下駐車場内に響き渡った。
絶望に打ちひしがれるその声に、鬼に押し潰されそうになっていた黎が反応した。
鬼の拳と壁に挟まれていた黎の体から、大量の影響力が放出され、鬼を弾き飛ばした。
「ぅおおおぉうお~~っ!!!」
壁の穴から抜け出した黎が、鬼のように咆哮を上げた。すると、黎の体が一気に膨らみ始めた。
黎の頭部から二本の鋭い角が伸び、尖った耳は更に天を突くかの如く長く伸びていく。体はどんどん大きくなり、その身長は鬼に匹敵する大きさとなった。
体は漆黒の鎧で覆われ、それはどんな攻撃も弾き返しそうな印象を与える。
翠の絶望が、従鬼である黎を
邪穏鬼となった黎は、目の前に立つ鬼を視界に捕らえると、一直線に突っ込んでいった。
二体の鬼は激しい殴り合いを始める。互いの拳が顔なり胴体なりを抉るように打ち込まれる。
打ち込まれると同時に、周囲を巻き込む力のうねりが発生し、地下駐車場の壁や天井が穿たれ、亀裂が広がっていく。
妙子を失い、茫然自失になっていた翠の胸に微かな痛みが走る。
「―――。」
翠はその痛みから優しい温もりを感じた。
「…妙子、さん…?」
その温もりに妙子の気配を感じて、翠は自分の胸を押さえる。
目を閉じ、温もりに意識を集中させると、まるで妙子が励ましているように感じられ、呆けている場合ではないと思い出させた。
翠は両目に浮かんだ涙を拭う。
「…泣くのは、全てが終わってからだよね、妙子さん。」
翠は左手を広げて、飛ばされたときに手放してしまった正宗を呼び寄せる。
刃を立て、峰を額に当てて集中力を高めると、大声で叫んだ。
「
翠の声が届いたのか、鬼と殴り合いをしていた邪穏鬼・龍鬼童子が鬼の拳を受け止め、顔だけで振り返る。
「み、翠…。」
その瞳は深い紫に淀み、鋭い眼光は見る者に恐怖心を与える。
それでも微かに正気を保っているのか、地響きのような低い声で翠の名を呼ぶ。
天井や壁から剥がれ落ちてくるコンクリートを避けながら翠が走り出す。
「龍鬼っ!戻りなさいっ!!」
翠は、力比べをする二体の鬼の許まで行くと、ジャンプをした。
龍牙力を込めたジャンプは翠の体を一気に天井近くまで跳ね上げた。そのまま正宗を振り下ろすと、鋼のような皮膚を持つ鬼の左腕を切断した。
「龍鬼っ!!」
翠は地面につく前に、龍鬼童子に向けて、龍牙力を放つ。
龍牙力は龍鬼童子の体を包み込んだ。
地面に降り立った翠は、息つく間もなく再度ジャンプをした。
「妙子さん、力を貸してっ!」
今度のジャンプは風を伴っていた。風に背中を押されて弾丸と化した翠は、鬼の胸に刃を突き立てた。
その勢いで鬼は後ろへよろめいた。
龍牙力に包まれた龍鬼童子も壁際まで後退した。その瞳孔は緑色に輝いていた。それを確認した翠は再度叫んだ。
「目覚めよっ!
漆黒の鎧も次第に色が薄くなり、終いには白と紫を基調にした鎧に変わった。
「くっ!」
龍鬼童子は片膝を突いた。
翠は突き刺さった刃を引き抜き、鬼の胸板を踏み台にして龍鬼童子の前に飛び降りた。
「…勘弁してくれ翠。俺はもう、…邪穏鬼には戻りたくねぇんだ。」
龍鬼童子の低く響く声が、暗く沈んでいた。
「ごめんね。」
「…ふっ。今日は謝ってばかりだな。」
素直に謝る翠に、龍鬼童子が少し笑って翠の頭を、その大きな掌でポンポンと叩いた。
「キ、キサマらぁ~~っ!!」
少し
翠に襲いかかるその風を、龍鬼童子の右手が遮る。遮られた風は四散し、防いだ龍鬼童子の右手には傷一つ付いていなかった。
「…喋った。」
「建物の崩壊が封印を不安定にし、奴の覚醒を早めているんだろう。」
今まで唸り声や叫び声しか発していなかった鬼は、まさしく獣そのものといった感じで、知性をこれっぽっちも感じることは出来なかった。
しかし今、自分の左腕を治癒している鬼の目には、知性の光が宿っているようだった。
「キサマ、龍鬼童子かっ!?」
鬼は龍鬼童子に驚愕に満ちた視線を向ける。
「…俺を知ってんのか?」
龍鬼童子は翠を庇うように、その体の後ろに押しやって立ち上がる。
「我ら魔族の裏切り者っ!!」
癒着した左腕の感触を確かめると鬼は、両腕を大きく振るって暴風を巻き起こした。
「下がってろ翠っ!!」
龍鬼童子は前に飛び出し、周囲を巻き込みながら迫ってくる暴風を、龍牙力を発動させて受け止めた。そのまま龍牙力で暴風を包み込み、羽交い絞めの要領で暴風を握り潰した。
それを見た鬼が今度は右を振り上げて、龍鬼童子に向けて勢いよく突き出す。突き出された拳から強大な邪気の塊が飛び出した。
龍鬼童子も負けじと、龍牙力を打ち出して対抗する。
邪気と龍牙力が二人の間で衝突し、眩い光を放って爆発を引き起こした。
光で視界は奪われ、爆発で地下駐車場の柱が
「翠っ!?」
翠はその光と爆風の中で、微かに龍鬼童子の声を聞いた。
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