祓之陸-Ⅲ

ⅩⅢ




 藍子は真っ暗な居間の中で、目を閉じて瞑想していた。

 その藍子の前に淡い桃色の光が現れた。


 「………。」


 そっと目を開けた藍子が淡い光の中に見たのは、妙子の姿だった。


 「妙ちゃん…。」


 藍子は驚くでもなく、静かに光に浮かぶ妙子を見つめた。


 『ごめんね、藍ちゃん。翠ちゃんを守りきれなかった。』


 光の中に浮かぶ妙子は、五体満足の綺麗な体をしていた。


 「…結局、妙ちゃんとは喧嘩ばかりでしたね。でも、あなたの事、好きでしたよ。」


 藍子の台詞に、妙子がこそばゆいように微笑む。


 「こちらこそごめんなさい。」


 藍子が立ち上がって頭を下げた。


 「今回の事、わたしは…。」


 言葉を続けようとしていた藍子を、妙子が優しく抱き締めて言葉を遮った。


 『解っているわ。貴女ほどの人が私の死を予見できないわけがないもの。』


 妙子の優しい声に藍子の目から涙が溢れてきた。


 「本当は行かせたくはなかった。二人とも、わたしには大事な存在だもの…。でも、あなたたち二人なら、もしかしたらって…。」


 藍子の今にも消えてしまいそうな声に、妙子は胸が絞めつけられる思いがした。


 『私ね、思い出したの。私が翠ちゃんの力を封印しているんだって。』


 思いもしない言葉に、藍子は驚きの表情を浮かべた。


 「妙ちゃんが封印?…どういうことです?」


 思いもよらない妙子の言葉に、藍子の頭は疑問符で溢れかえっていた。


 『翠ちゃんが黎さんを従鬼にした後、翠ちゃんの混沌の力を恐れた当時の評議会が、私を"核"として力の封印を決めたの。』

 「…それで、二人は離れ離れの地へ赴任させられていたのですね。」


 人を核にした封印は、核となった者が死なない限り、決して解除する事が出来ない。それは術を施行した者も例外ではない。封印の力と人に宿る力が複雑に絡み合って解きほぐすことが出来ないのである。

 その封印の力は、対象者と核が遠ざかれば遠ざかるほど、その効力を増し、逆に近付くと封印の力は弱まる。


 「よく考えれば、翠ちゃんの混沌が暴走したのって、何時も側に貴女がいるときでしたね。そんな事にも気付かなかったなんて…。」


 藍子は珍しく少し苛立っているようだった。


 『人を核にした封印は、核本人の力が阻害するから、そんな簡単に気付くものじゃないわ。ただ不思議なのは、何故今まで忘れていたのかって事よね。』

 「その理由ならわたしが知っています。」


 藍子は立ち上がって居間の窓に歩み寄る。

 窓から見える外はもう、日が沈んでしまい、地上の星ともいえる家々のイルミネーションが瞬いている。そんなに都会ではないため、空を見上げれば本物の星明りも見て取れる。


 「人を核とした封印"神修道法術 奥義 封人ほうと"。書いて字の如くなんだけど、殺さなければ解除できないという非人道的なところから、幾度となく"魔修道法術ましゅうどうほうじゅつ"に組み入れるべき、と議題に上る術です。」


 聖血族の使う"修道法術"は、全部で"神"・"聖"・"邪"・"魔"の四種類に分類される。基本的には消費する龍牙力の量で分けられるが、術の特質から分類されることもある。

 攻撃力の増幅などのサポート系は聖に、治癒・治療系は神に、より凶悪な印象を与える術は邪・魔へ。

 攻撃系はそれぞれに多く存在しているが、やはり分類には消費量だけでなく、見た目の残酷さや、時には華やかさまでが基準に使われることがある。

 詰まる所、明確な基準がないのである。そのため奥義ですら、神から魔へ組みかえられることが間々あった。


 「神修道法術から外されない理由は、評議会の切り札だから。人に封印すれば殺されない限り安全だし、核が術者なら尚のこと。でも体裁が悪い。」


 妙子は藍子の言わんとしている事が解った。


 『つまり、私が忘れていたのではなく、記憶を弄られていたって事?』


 眉をひそめる妙子に、藍子は静かに頷いた。


 「封人は核となる者の同意が必要。でもその後で、記憶を操作して忘れさせる。そうする事で、非人道的な術を使ったという事実を隠蔽します。」


 藍子は説明していくうちにある疑問に行き当たった。


 「今回、妙ちゃん一人に依頼が回ったのって…もしかして、翠ちゃんの封印を解く為…?」


 それに気付いた藍子は怒りが込み上げてくるのを感じた。

 最近、強大な力を持った魔族の出現が増加傾向にある。評議会としては、少しでも使える駒を増やしておきたい。

 そんな思いがもし、評議会にあったのだとすれば、危険ではあるが、混沌をうまく使いこなせれば、それこそ全ての魔族を一掃出来る可能性がある。

 元々、聖血族は魔族を倒すために、人と聖穏鬼が力を合わせて創り出した一族。

 もし藍子の考えどおりに評議会が決議したのだとしたら、決して目的にそれた事ではない。

 しかし、だからと言って納得できるものではない。


 「そんな…、そんな事って――っ!?」


 怒りに震える藍子を、妙子は静かに見守っていた。

 嬉しかった。恋敵で幼い頃から喧嘩ばかりしていた相手が、普段は決して負の感情をあらわにしない人が、自分の死を悲しみ、怒って、少し得した気分だった。


 『ありがとう妙ちゃん。でもね、私は嬉しいの。』

 「嬉しい?」


 藍子は涙を浮かべた瞳で、横に浮かんでいる妙子を見上げた。


 『ええ。だって、今、私の力は翠ちゃんと一つになっているんだもの。ずっと翠ちゃんの中で、私の力は生き続けるのよ。』


 次第に妙子の体が消え始めた。


 『そろそろ限界ね…。』

 「…何か、達観していますのね。」


 死んだばかりだというのに、取り乱すことなく穏やかに話し続ける妙子に、今更ながら気が付く。


 『私自身が選んだ道だもの。翠ちゃんが悲しむと思うと胸が痛むけれど、これもあの子が強くなるための試練だから。』


 消え行く体を、"後少し"と残った力を込めて留める。


 『あの子はこれからもっと多くの困難に立ち向かって行かなければいけないの。私の死は一つのステップでしかないわ。』


 だから、と妙子は言葉を続ける。


 『あなたたちは翠ちゃんをしっかりサポートしてあげてね。』


 そう言うと、藍子の返事も待たずに妙子は姿を消した。妙子の魂の光に照らされていた居間が、星明りの覚束おぼつかない光で暗く沈む。


 「………。」


 藍子は顔を俯けてソファに戻る。

 2分、3分と時間が経過して行く。

 防音効果が良いのか、外からの喧騒は全く聞こえて来ない。変わりに壁に掛かっている時計の針の音だけがやけに大きく響いている。

 軽く衣擦れの音がした。藍子が袴を強く握り締めていた。その両手は肩と共に細かく震えている。

 藍子は10分程そうしていたが、やがて前後に大きく体を振ったかと思うと、勢いよく立ち上がった。

 前を見据える藍子の瞳には既に悲しみは見られなかった。それどころか、何かを決意したかのような眼つきである。


 「さ、食事の用意をしましょ。蒼兄さんも、紫ちゃんも今日はこっちに来ますよね。」


 藍子は真剣な表情を一気に崩して、誰に言うともなく明るく呟いて、キッチンに向かった。










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