第2話:王子様とお姫様

 ある日の放課後。その日は雨だった。一人の女子生徒が、傘を忘れたのか困ったように空を見上げていた。その憂いを帯びた横顔を見た瞬間私は、昔、お姫様に憧れたことを思い出した。舞台でお姫様を演じたのは、小柄で愛らしい女の子。私もそういう女の子に生まれたかった。困ったように雨空を見上げているだけで絵になり、男子達がこぞって「俺が」「いや俺が」と誰が彼女に傘を貸すか言い争うような——いや、でもこれは羨ましくないかもしれないなと、目の前で繰り広げられる醜い争いを見て思い直す。そこにサッと傘を差し出して連れ出してくれる王子様でもいれば羨ましいと思えたかもしれないが、あのお姫様にはそんな人はいないらしい。女子達も、ああやって男子達を争わせてモテる自分に酔っている嫌な女だとひそひそ悪口を言うだけで誰も彼女を助けようとしない。みんな遠巻きに見るだけで、誰も彼女に声をかけようとはしない。


「……王子様、か」


 私がなりたいのは王子様じゃなくてお姫様なんだけどなんて苦笑しつつも放っておくなんて出来なくて、気付いたら足が動いていた。


「あの。良かったら送って行こうか?」


 振り返った彼女は驚いたような顔で私を見上げたが「白王子、あの子と仲良かったっけ?」「誰にでも優しいからなぁ。利用されてるんじゃない?」と、ひそひそ聞こえてくる声を聞いて「ああ」と納得するように低い声を漏らし、私の方は見ずにはっと鼻で笑った。好感度のためかと勝手に納得された気がしてカチンときたが、彼女は私の顔を見上げて目を合わせると「ありがとう。じゃあ、お言葉に甘えさせてもらうね」と微笑んだ。先ほどの冷たい態度が嘘のような柔らかい微笑みに戸惑いつつ、彼女を連れて校舎を出た。彼女の態度は気になったが、放って帰ることは出来なかった。

 一本の傘は二人で入るには少し狭く、必然的に距離が近くなる。ファンの子達からスキンシップをされることは少なくないとはいえ、ファンでもなんでもない女の子と二人きりでここまで距離が近いのは気まずい。何か話題をと探していると、彼女の方から口を開いた。


「君、天龍さん……だよね。白王子って呼ばれてる」


 その声にはやはりどこか棘があり、先ほどの柔らかい表情の方が演技だったんだなと苦笑する。しかし、演技にしては自然だった。取り繕うのは慣れているのだろう。しかし、周りの女子達の男をたぶらかす悪女という評価が正しいようにも思えなかった。私は何故か、彼女が気になった。


「うん。そうだよ。私は天龍月子。君の名前は?」


 名を尋ねると彼女は一瞬躊躇ってから名乗った。


「……帆波ほなみ水元みずもと帆波ほなみ


 その名前には聞き覚えがあった。どこで聞いたんだっけと記憶を辿ると、クラスメイトの女子が泣いている光景が浮かんできた。好きな人を取られたと、彼女は語っていた。その時に出てきた名前だ。


「……私のこと、知ってる?」


 どうせ貴方も噂を鵜呑みにして私を避けるのでしょう。そう言いたげな、冷たい声。私に対してみんなが抱いているイメージは、彼女が持たれているイメージとは違って好意的なものだ。だけど、本当の自分を見てもらえない辛さはよく分かる。


「……噂で名前くらいは聞いたことあるよ。けど、それが本当かまでは知らない。君と話すのは今日が初めてだし、顔すら知らなかった。だからみんなが噂する水元帆波さんが、君のことを指しているのかもわからない。もしかしたら同姓同名の別人かも」


 傘を忘れて空を見上げていた時、彼女は男子からは好意的な目で見られ、女子からは冷めた目で見られていた。そんな周りの反応を見れば、噂の水元さんであることは察するが、断定は出来なかった。したくなかった。誰が流したかもわからない悪い噂を鵜呑みにして、よく知りもないないで悪口を言う人たちと一緒にされるのは癪だったから。

 私の言葉に、彼女はぴたりと足を止めた。そして珍しいものを見たかのような顔で私の顔を見上げたあと、警戒心を強めるようにスッと表情を消して、感情も消したような冷たい声で言う。「あの光景を見て、よくそんなこと言えるね」と。心の扉が一瞬だけ開きかけたように見えたと思えば、むしろ最初よりも頑丈に鍵をかけられた気がした。ここまで善意を素直に受け取ってくれない人は初めてだったが、その態度を不快だとは微塵も思わなかった。むしろ、興味が湧いた。何故彼女はそうも私を警戒するのか。


「噂の水元さんは、男子達が自分を巡って争う様を見るのが趣味で、人の男にも平気で手を出して、飽きたら捨てる。そんな感じの悪趣味な女らしい。けど……私には君が、男子達から向けられる好意を、女子達から向けられる嫉妬を、自分のステータスだと誇りに思っているようには見えなかった。あの状況を楽しんでいるようには全く見えなかった。だから、噂に聞く悪女はきっと君じゃない」


 じっと私の目を見て話を聞いていた彼女は目を逸らし、黙ってまた歩き出した。傘から出て行ってしまいそうになる彼女を慌てて追いかけ、歩く速度を合わせる。彼女はそのまま歩きながら、私の方を見ずに話を続ける。


「……私も君の噂は聞いてる。誰にでも優しい、王子様みたいな人だって。……八方美人で薄っぺらい人間なんだろうって、思ってた。私に傘を差し出したのも、ただ周りからよく思われたいだけだって」


 冷え切っていた声に、少しずつ熱が入り始めていく。しかしまだ心を開くのは躊躇っている気がした。


「……思ってたってことは、今は違うって思ってる?」


 彼女は答えないまま歩く。濡らさないためについていきながら家はこっちであっているのかと聞くが、返事はない。どうしたら心を開いてくれるのだろうかと考えながらしばらく黙って彼女について歩いていると、信号で足を止めたタイミングで再び彼女が口を開いた。


「怖いんだ。人を信じるのが」


 私の方を見ずに言った彼女の声は震えていた。やはり私には、噂のような酷い人間には見えなかった。そういう演技である可能性も少しは考えたが、目の前の彼女を信じた。騙すつもりならきっと、最初から冷たい態度を取ったりはしないだろうから。


「……さっきさ、周りからよく思われたいから傘貸したって思ったって言ったよね。あれ、間違いじゃないよ。私は、王子様じゃない自分が好きじゃないから。……王子様だと、思われていたいんだ」


 だけど本当の自分を見てほしい。受け入れてほしい。矛盾した感情を素直に打ち明けると、彼女は恐る恐る私の顔を見上げた。しばらく見つめあったあと、彼女が口を開いて言った。「私は、王子様ぶってる天龍さんは好きじゃない」と。


「ずっと思ってた。胡散臭いって」


「は、はっきり言うね……」


 思わず苦笑する。だけど不快ではなかった。むしろ、心を開いてくれた気がして嬉しかった。


「「ねえ」」


 二人の声が重なる。きっと考えることは同じ。そんな気がした。彼女もそう思ったのだろう。


「「私達、友達になれないかな」」


 互いに譲らずに口にした言葉が一言一句違わずに重なり、どちらからともなく笑いあった。

 きっとこの瞬間から、私の人生は終わりへと向かって時を刻み始めた。そのことを当時の私は知らない。だけどきっと、例え知っていても同じ道を選ぶだろう。彼女と関わらない人生にはきっと、私の生きる意味などないから。

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