第二章

 今日は平日だが、仕事は休みだ。基本的に職場の休みは火曜日と決まっている。由紀はいつもと同じように、海浜公園へ海を見に来ていた。

 だけど、この間来た時とは心情が違う。あの日は雨が降りそうで、心にも雲がかかったようにもやもやしていた。今は逆だ。梅雨の中休みということで、空も青く雲が流れている。風が吹いているせいだろうか? 吹いているのは湿ったものではなく、爽やかな風だ。

「気持ちいいな……。都会の海は狭いけど、そのかわり海沿いの風は涼しい」

 都心に吹く風はどことなく蒸し暑くてもわっとしているのに、この海沿いの海浜公園の風は違う。由紀の短い髪を、優しくなでてくれる。

 そのとき、スマホが震えた。取り出してみると、俊介からメッセージだ。

『今日、暇? 実は講義が休講になって、時間ができたんだよね。畠中、今日は休みなんでしょ? たまにはどっか行きたいなって思って』

 それに対して由紀は、自分が今海浜公園にいることを伝える。すると、『じゃ、今からオレも行くよ!』と返信があった。

 一時間後、海浜公園に建てられている、小さなミニチュアの自由の女神像の前で待ち合わせる。俊介はいつも通りTシャツの上にえりつきのシャツを重ね着している。スニーカーは星のマークがついているメーカーだ。この間は確か、グリーンだったっけ。だが、今日は黒。ここのメーカーがお気に入りなのかもしれない。

「ごめん、待たせたよね」

「ううん、海を見てたから、そんなに長く感じなかったよ」

「海……か。やっぱり北宮古を思い出してたの?」

 由紀は無言でうなずいた。本当は故郷のことだけじゃない。海を見ながら、かつての恋人であり恩人を思い出していたことは、さすがに言えない。いくら友人でも、俊介は元彼でもあるのだから……。

「お休みの日のお昼は、たまに来るんだよ。そうだ。照井、ご飯まだだよね? どこかで食べようか」

「……うん」

 由紀は近くの商業施設へと向かおうとする。

「北宮古、ね……」

 背後でつぶやいた俊介の声は、彼女には届いていなかった。

 

 商業施設の中には、様々な飲食店が入っていたが、ふたりが選んだのはファストフード店だった。

「やっぱここのポテトはうまいよな!」

「うん。ここのお店は全国に展開してるから、いつでも同じ味で落ち着くっていうか。北宮古にもできたんだよ?」

「へぇ! オレが中学生のときはなかったのに……。じゃ、畠中も学校帰りとかに寄ったりしてたんだ?」

「え、う、うん、まぁね……」

 由紀は自分から振った話であることにも関わらず、答えをにごしてポテトを口に入れた。確かに学校帰りによく寄り道をしていた。由紀の通っていた北宮古高校のすぐそばに、ここの店のチェーン店があったのだ。学生だったら通わないわけがない。

 ただ、由紀の場合は、ただの友達と寄り道していたのではない。当時の恋人と……だった。

 ふたりでしばらくの間、食事に夢中になる。先に食べ終わった俊介は、由紀がハンバーガーを食べるのを、じっと見つめていた。その視線に気がつくと、由紀も俊介のほうを向いた。

「どうかした? 照井」

「いや……そういえば聞いてなかったなって」

「なにが?」

「東京に出てきた理由。アパレル関係の店だったら別に、盛岡まで行けばたくさんあったんだし……」

 ハンバーガーを食べ終わり、アイスティーを口にすると、由紀は静かに言った。

「自分の力を試してみたかったんだ。自分が東京でも通用するのか、知りたかったの。『東京で独り立ちする』……。それが目標だったのに、全然ダメでさ。笑っちゃうよね? もう三か月も経つのに、うじうじと故郷のことを考えて。自分が弱いって、初めて知ったんだ」

「畠中……」

 俊介はじっと、由紀を見つめる。由紀は目を伏せたまま、ハンバーガーの包み紙を四つ折りにした。

「もしかしたら、情けない自分を見せるのが嫌で、東京で友達を作らなかったのかもしれないね。だとしたら、本当に私は弱虫だよ」

 正方形を作ると、由紀は眉を八の字にしたまま笑顔を作った。

「ふうん……そうかな? 弱いとは思わねーよ? むしろ、強いと思うくらい」

「え?」

 これだけ弱みをさらけ出したのに、俊介は自分のことを『弱いとは思わない』と言っている。なんで――。

「だってさ、自分の夢を追うために、住み慣れた街を出てきたんだろ? 普通にすごいことだとオレは思うけど? ま、今はちょっとうまくいかなくて、へこんでるのかもしれないけどさ」

「でも、そう言ったら照井だって……」

「オレぇ? オレは違うよ。東京の高校に通うことになったのは、親の意向だから。そもそもオレ、二歳くらいまでは親の仕事の関係で関東住まいだったからね。いい高校、いい大学を出て、一流のサラリーマンか公務員になること。それが親の望みかな。だから、オレは自分の将来のことまで決められてる。それだけだよ」

 あっさりと言い切ると、残りのハンバーガーを口に押し込む。俊介はもぐもぐと口を動かすと、コーラで口の中を流して続けた。

「そんな人間だからこそ――オレは畠中がうらやましいし、すごいとも思ってる。自分で何かやり遂げるっていう勇気が、お前にはあるんだな」

 俊介は笑う。こんな弱くてどうしようもない自分をすごいだなんて……。俊介は真っ直ぐだ。素直に自分の意見を相手にぶつけてきてくれる。

 なんで中学時代に彼と付き合ってしまったのだろう。それがなくて、ただの友達同士だったら……もしかしたら自分は俊介に対して本当の恋心を持っていたのかもしれないのに。だけど、それはもう過去のことだ。

 今の自分は、すべて過去から形成されている。中学時代に付き合っていた俊介との関係。あの頃、異性と付き合うのは早かったのかもしれない。だから、このまま友人として付き合っていたら好きになるかもしれないという可能性も、自分の中では絶対ないと思っている。順風満帆だったはずの高校時代。うまく行き過ぎていたから、今挫折している。自分は垢抜けない人間で、カリスマ的な要素も皆無だ。それに、いつまでも引きずっている聡のこと。いい加減に琥珀のネックレスは処分しないと……。そうは思っていても、お守りのように毎日つけてしまっている自分がいる。俊介と会っている今日も、胸には聡が……。

「ダメだよ。私、勇気なんてないよ。いつまでも過去に縛られてばかりだもん」

「……なんでそう思うのかはわからないけどさ。だったらいっそのこと、一度北宮古に帰ってみたら?」

「えっ? で、でも、まだ東京に出てきて三か月しか経ってないのに?」

 由紀が驚くと、俊介はスマホを取り出してカレンダーを表示した。

「まだ六月だけど、七月、八月頃ならお盆休み取れるでしょ? そのとき里帰りするのはどう? 別に東京から地元に逃げ帰るわけじゃない。普通に家族の顔を見に行くだけでもいいと思うよ」

「お盆……もうそんなことを考える時期なんだね」

「実はオレも、たまには帰ってこいって言われてるんだよね。高校入学して、ほとんど実家に帰らなかったから」

「そうなの?」

 そう言えば、自然消滅になったのも一年の一学期の終わり頃だったっけ。

 思い返してみると、その頃から俊介との関係が薄れたような気もする。……何かあったのだろうか? 不思議な顔をして顔をのぞきこむ由紀に、俊介は一瞬顔を赤らめた。

「わっ、ち、近いって」

「ごめん、つい気になって……。なんで四年間も地元に帰ってなかったのかなって」

「別に大した理由はないよ。ただ、ま、やっぱり都会のほうが楽しいじゃん? ははっ」

 俊介はいつもの調子に戻り、照れ笑いを見せる。

 そんなものなのだろうか。でも、ちょっと顔を寄せただけであんなに驚くとは思わなかった。

 見た目もお洒落だし、顔も整っている。それにスマートな対応をするし、頭の回転が速いからかどんな話をしてても楽しい。こんな男子学生がモテないわけがない。なのに、字分みたいに垢抜けてない女子がちょっと近づいただけであんなに照れるとは……。

「……ふふっ」

 由紀はそんな俊介の態度に少し驚いてしまい、思わず小さく笑ってしまった。それに、俊介も反応する。

「な、何? いきなり笑って……」

「ううん、照井って変わってないところもあるんだなって思って」

「なにそれ。ともかく、お前が帰るんなら、オレも帰っていいかなって思ったんだ。畠中のことを考えて、っていうより、オレひとりだと帰るのだるいから……」

「そうなの? 照井が帰るきっかけになるのなら……」

 由紀も俊介も、薄々は気づいていた。自分が帰る理由を、相手に求めている。

 由紀は東京から逃げ帰るのは嫌だと思っている。だけど、俊介の言う通り、ただのお盆の帰省であるのなら問題ない。それに、なかなか地元に帰らない俊介が帰るきっかけにもなるという。

 俊介も同じだ。由紀が帰るのなら自分もついでに帰るというスタンスなら、帰りやすいのだろう。

 由紀が承諾すると、俊介も大きくうなずいた。

「じゃ、決定。新幹線や乗車券はオレが用意するよ。畠中、仕事忙しいだろ?」

「うん。お言葉に甘えていい?」

「もちろん。そっちも休みが決まったら教えてよ。オレもそれに合わせるから」

 旅は道連れ、とは昔言ったけど、俊介が一緒に帰ってくれるというだけで、少しだけ心強い気がする。

 ひとりだと長い五時間以上の道のりだけど、俊介も一緒なら退屈することもないだろう。由紀は俊介と一緒に帰郷する約束をし、休みが決まり次第連絡をすると告げた。


 仕事終わりの電車の中で、スマホをいじっていると、俊介からメッセージが届いた。どうやら八月、北宮古まで行く切符が買えたという報告だったらしい。それに『ありがとう』と返信すると、さらにメッセージが送られてくる。

『もうすぐお前の誕生日だろ? よかったらお祝いしない?』

 そのメッセージに、由紀はドキリとした。祝ってくれるのは嬉しいが、もちろんふたりっきりってことだよね……? 付き合っていない、ただの友達同士なのに、こんなデートみたいなこと、してもいいのかな? なかなか返事ができないでいると、俊介からさらにメッセージが届く。

『せっかくの誕生日なのに、ひとりなのも寂しいじゃん? だから、俺が付き合うからさ』。そうだよね、照井だって深く考えてるわけじゃないよね。由紀はそう自分で納得すると、

『うん、お言葉に甘えて、お祝いしてもらおうかな』と返信する。

 ちらりと電車の窓に映った顔を見ると、この間とはうってかわり、自然と笑みを湛えていた。これが私? 仕事中はあんなに険しい顔をしてたのに……。やっぱり話し相手ができると、少しは気持ちに余裕が出るんだな。由紀はそんなことを考えながら、仲井駅で下車した。


「畠中、ここっ!」

「お待たせ」

 俊介と待ち合わせたのは、仲井駅だった。どうやら俊介が連れていきたいという場所は、俊介の地元の鷺沼らしい。仲井から鷺沼まで二十分程度で行けてしまう。その間由紀たちは、電車に揺られながら、最近の出来事について話をしていた。

「うちの大学、飲み会が多くってさ。俺は一応、酒は飲まないんだけど、誘われることが多いんだよな。別にサークルとかにも所属してないのに……」

「照井、かっこいいからじゃない?」

「……え?」

「中学時代は地味だったけど、今の照井って結構女の子にモテると思う。服装もいいし、話題も尽きないし……それによく気が利くでしょ? そんな照井に誕生日を祝ってもらえるなんて、ラッキーだなぁ」

「それは……畠中だから……」

 そのとき、車内にアナウンスが響いた。

「ごめん、今の話聞こえなかった。なんて言ったの?」

「ははっ、なんでもない。気にすんな。それより次、降りるから」

「うん」

 電車から降りると、駅の周辺を過ぎ、住宅街へと入っていく。

「ねぇ、こんなところにお店なんてあるの?」

「もうちょっと先……あ、あそこ」

 俊介が指をさしたのは、普通のアパートだった。

「オレん家。今日はお前のために、色々料理を作ってたんだよ。食ってってくれない?」

「照井の家……」

「別に変なことしないって。いや、誕生日みたいなお祝いディナーを作ってみたいなってずっと思ってたんだよね。ビーフストロガノフとか、前菜の野菜のムースとか……。オレ、凝ろうと思うと徹底的に凝っちゃうタイプだから」

「そういうことね。だったらお邪魔するよ」

 俊介が部屋の鍵を開けると、部屋は風船などで飾り付けられていた。しかも大きく『畠中由紀二十歳記念!』なんてポスターまである。そこまでされると恥ずかしいけど、ちょっと……いや、かなり嬉しい。

「どうかな。やり過ぎた?」

「そんなことないよ! 私なんかの誕生日のために、ここまでしてくれたなんて……すごく嬉しい! ありがとう、照井!」

「ともかく上がって。食事に移ろうぜ!」

 席に着くと、次々と料理が運ばれていく。普段だったら絶対食べないものだ。これを俊介ひとりで作ったというのだから、余計にすごい。

「それじゃ、いただき……」

「その前に、これを忘れちゃダメでしょ」

 俊介が最後にテーブルの真ん中に置いたのは、大きなケーキだった。

「さすがにこれは買ったものだけどね。ケーキにまで手が回らなくてさ。ロウソク立てて、カーテン閉めてっと」

 刺したロウソクに火を点けていく俊介。カーテンで部屋を暗くしているので、ぽわっとした優しいオレンジの光だけが私たちを照らす。

「それじゃ、歌おっか!」

「え? やっぱり歌うの?」

「当然でしょ? ハッピーバースデイ・トゥ・ユー……」

 俊介の歌が終わると、私は火を一気に吹き消した。

「よし、さっそくオレの料理を楽しんでもらおうかな! あと、これね」

 俊介が取り出したのは、赤ワインだった。

「オレは付き合えないけど、初酒でしょ? 当然……」

「飲むっ!」

「そう来なくっちゃね」

 グラスにワインと、俊介用のブドウジュースを注ぐと、私たちは軽くそれを持ち上げた。

「改めて、畠中、誕生日おめでとう」

「うん、ありがとう!」

 そして、初めての赤ワインに口をつける。意外と甘くって、飲みやすい。

「これおいしい……」

「もっと飲む?」

 俊介はさらにグラスにワインを注いでくれた。

 それと一緒に、お皿に料理も乗せてくれる。料理のほうも絶品だ。これが男子大学学生が作ったものなんて、誰が信じるだろうか。プロが作ったといっても遜色ないほどの出来栄えに、私は関心する。

「照井はすごいよね。レシピを見ただけで、ここまで作っちゃうんでしょ? 私だったら多分できないよ」

 赤ワインのせいで少し酔ってしまったのか、今日の由紀は思ったことを素直に話せるみたいだ。

「そんなことねぇって。分量さえ間違えなければ誰でもできる。もちろん畠中だって。お前、料理はうまかったじゃん。まめぶとか」

「料理っていうか、家庭料理だけどね。それにまめぶって……私は好きじゃないんだ。なのにみんなからは作ってって言われるし」

「うまいからじゃん? だけど、やっぱりお前はそういうリアクションを取るんだね」

「え?」

「……思ったこと言っていい?」

「う、うん」

 急に真剣な表情に変わる俊介に、由紀は一度フォークとナイフを皿に置く。

「畠中はちょっと、自己卑下しすぎなんだって。何度か会って話を聞いたけど……北宮古出身で、何が恥ずかしいの? それに、垢抜けてないって言ってたけど、お前は素材がいいんだよ。厚化粧で男受けしそうな服着た女なんかより、全然お前のほうが魅力的だと思うけど?」

「み、魅力的……」

「あっ……そ、その、客観的な意見だからね! だからお前はもっと自分に自信を持てよ! 大丈夫だから!」

 その『大丈夫』という言葉が、何を意味しているのかはわからなかったが、由紀の気持ちをほぐすには十分な効力を持っていた。

感極まった由紀は、酒の勢いもあり、俊介に飛びついた。

「う、うわっ! 畠中?」

「ありがと、照井。私、東京に出てきて、初めて安心した気がする。きっと誰かに『大丈夫』って言ってもらいたかったんだと思う。だから……嬉しい」

「畠中、離れて」

「え?」

 低くて、こわばった声。さっきまでの俊介とは違う。由紀がそっと腕を緩めると、今度は俊介が由紀を抱きしめた。

「てら……い……?」

「そんな風に抱きしめてこられたら、こっちも抑えられなくなるから」

「それってどういう意味……」

「オレ、お前にもう一度恋をしたみたいだ。オレみたいにただ、親の敷いたレールに乗っかってるだけの人間じゃない。お前は夢を叶えるために、自分の意志で北宮古から出てきた……。オレにとって、お前という人間はまぶしくて……すごく憧れる」

 自分みたいな人間に憧れる? それは反対だ。むしろ自分みたいに都会に適応できない人間が、俊介みたいな人間に憧れるのが普通じゃないのか? なのに……。

「悪ぃ、やっぱ、我慢できない。何にもしないっていうの、嘘になっちゃうな」

「っ……!」

 俊介からの激しいキス。ただ、唇が合わさるようなものじゃなく、もっと深いもの……。キス自体は初めてではないけど、こんな求められるようなものは初めてだ。それに、付き合っていた頃の俊介とだったら、キスまで行かなかった。こんな積極的に口づけてくるなんて……信じられない。

 それに自分はまだ、俊介とはただの友達だ。友達同士だったらこんなキスはしない!

「じゃっ! おじょれっ、照井!」

 由紀は軽く照井を突き飛ばした。照井は唇を抑えながら、由紀を見つめている。

「ごめん、こんなに料理とか準備してもらって悪いけど……今日は帰る」

「……そうだよね。わかった。ごめん」

 バッグを持つと、由紀は俊介の部屋を出て行った。


「はぁ……」

 まだ心臓がドキドキしている。あの、奥手だった俊介が、あんなキスをしてくるなんて……。これも都会に長くいるから? 俊介は自分にもう一度恋をしたと言った。でも、今の俊介は女の子にウケるような雰囲気で、実際再会したときも大勢の友達や女の子に囲まれていた。きっと大学でもモテるだろう。そんな彼が、田舎っぽさが抜けない自分のことを再び好きになるなんて考えられない。もっとかわいい女の子が近くにはいっぱいいるはずだ。

 それに……。琥珀のネックレスが冷たく感じる。もう過去の人なのに、いまだに聡のことを忘れられないのだ。

「過去のことはきちんと清算しないといけないのに……なんでそんな簡単なことが、私にはゆるぐねぇんだ。なきつめたでて……」

 ネックレスに触れながら、ベッドに横たわる。

「なんで照井は私なんかのこと、好きになったんだろう?」

 ベッドの上のクッションを抱きしめながら、俊介の気持ちを考える。理解できないまま、由紀はそのまま眠りについた。


 朝方のことだった。メッセージが来たのを、携帯が教える。その音で由紀は目覚めた。

「まだ朝の四時? 誰だろう、こんな早い時間に……」

 携帯を見ると、メッセージの送り主は俊介だった。メッセージは『今、仲井駅にいる』とそれだけだ。

「どういうこと?」

 由紀は戸惑った。昨日、あんな激しいキスをしてきた元彼。それにどんな顔で会えばいいの? さらにメッセージが着信する。

「昨日のこと、真剣に謝りたい。朝早くって、オレの勝手だってことはわかってる。だけど……今から会えないかな?」

 少し考えてから、由紀は着替えて俊介のいる仲井駅へと行くことにした。

「照井……」

「悪ぃ、こんな尋常じゃない時間に呼び出して」

「それより靴……」

 俊介のスニーカーは、かかとがかなりすり減っていた。昨日見たときは気にならなかったのに……。

「実は、鷺沼からここまで、歩いてきたんだ」

「え?」

「あんなことして、お前に申し訳ないと思ってすぐ追いかけたかったけど……でも、もう少し頭を冷やさないとって思ってさ」

「だからって、無茶だよ……」

「ただ、お前に謝りたかったんだ。本当にゴメン。だから……また、今まで通り、友達として付き合ってくれないかな」

「友達として?」

「ああ。本当はそれ以上の気持ちがあるけど……お前はそれを望んでないみてーだから」

「照井……」

「それだけ言いたかったんだ。本当に悪かった! じゃあ……」

「照井!」

 後ろを向こうとした俊介に声をかけて、手首をつかんだ。

「その……告白は嬉しかったけど、まだ私は過去のことをしっかりと清算してないから……それができたら、ちゃんと考える。それでもいいかな」

「考えてくれるだけ、ありがたいな。ああ、オレもそれでいいから」

 俊介は苦しそうではあったが、笑みを浮かべてくれた。

 北宮古に戻って、過去の自分としっかり向き合う。自信を取り戻すという意味で里帰りするつもりだったけど、もうひとつの目的が増えた。

 そうだ、置いてきた過去をそのままにしないで、気持ちの整理をつけないと。由紀はネックレスをぎゅっと握りしめた。


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