第28話 第六犠牲者(2)
――そんな内面を持っていたファズは、しかしアンディと同じく少年期は学校におけるカーストの下位にあった。彼とアンディに違う点があるとすれば、ファズは得意技能があり、かつある程度は社交的であったという事だろう。
集団の支配者層になるものでは無いが、そういう人物は下位の中でも別に扱われる。『これをさせるならアイツ』というポジションがあるからだ。
ファズはまさしく、ホランド達のグループにあってそういう存在だった。
彼等のスマートフォンやネットの相談はもちろん、このアジトめいた別荘のネット整備や設定、『ストラ』との連絡システムの構築は彼が行った。
オリジナルのアプリを作成し、クラッキングめいた事を行って『仕事』をアシストするという事も行った。誘拐実行時にホオズキ家のセキュリティを一部麻痺させたのも彼だ。
そんな彼の趣味はホラー映画とネットロア――インターネットに広まる民間伝承――の収集と鑑賞である。
例えば、スナッフフィルム――いわゆる殺人ビデオも、有名なネットロアのひとつである。
ホランド達のグループの『仕事』で誘拐された者達が使われ、特権者達が楽しむ『羊狩り』――殺人ゲームの会員限定映像を、彼は密かにセキュリティを突破して覗き見た事がある。
(あれは興奮した。僕はネットロアの一部になったんだって思えた)
またファズは日本の、独特の仄暗い雰囲気のあるホラーを最も好んだ。最新のものを楽しみたいと、日本語も修得した。今回の『仕事』中も、ホオズキ家の風変わりな様相に、内心ファズは好奇心があった。
人に追われ、抵抗し、無惨に命を散らすそのゲームに日本人の少女が使われるのだ。
これまで発覚を恐れて多くは行わなかったが、クチナが使われる予定のゲームは絶対に覗き見ようと決意していた。
無論、それはその後の惨劇で吹き飛んでしまったが――今ここで、ファズはそれどころではない、現物を目の当たりにしている。
「あら、インターネットの恐怖譚がお好きなのですね。私も好きですよ」
故に、とりあえず趣味の話から始めたファズに対してのクチナの返事に、内心彼は驚いた。
「意外ですか? でも私、御存知の通り普段はお家の中に籠もりきりですから……楽しみは本とインターネットになるのですよ」
驚くファズへくすりと笑いつつ、クチナは続けた。
言われてみればその通りだと彼は思った。怪異の日常生活など、日本のコミックでもあるまいし想像もしていなかったが。
「じゃ、じゃあ、これ知ってる? こっちの話なんだけど、無敵のトカゲとかが――」
「はい、存じています。あの手のものは書き手の技量が問われますよね」
驚く事に――クチナの知識はネットロアに限らなかった。
「小説だと僕はキングくらいしか知らないんだけどさ」
「はい。素晴らしいですよね。でしたら私から、タイプの近しい日本の作品などお教えしましょうか……」
「アレは最後霊能者大戦みたいになったのが笑っちゃったな」
「あの味わいですと、ネットロア発の映画も、配信で拝見しております。ふふ、私のような者がですよ――」
「え、あの描写にはそういう意味があったのか……いや確かに言われてみたら」
「あの作者は表にコメントを出しませんから、想像に過ぎませんが――。神話伝承にも造詣が深いようでいらっしゃいますから。おそらく意図的なものでしょう」
クチナは映画・小説に、世界中の神話や民間伝承に至るまでを、細大漏らさず諳んじてみせた。のみならず、レビューサイトや評論家からも聞いた事の無い、かつ頷ける解釈が飛び出してくる。
(……この子、とんでもないぞ)
彼女の知識量に、ファズは持ち込んだPCに保存していた情報を首っ引きで参照する必要があった。
(ああ――心地良い)
彼の人生にこれまで存在しなかった、ティーンの少女との長く、弾む会話。
しかも、自分のフィールドの話題で上を行かれながら、僅かの劣等感も感じない。これはファズにとって驚きだった。
(仲良くなるなんて分の悪い賭かとも思ったけど。なんだ、この子は怪異としての顔の他に、こんな趣味人の顔も持っていたんだ)
話し続けて一時間ほどが過ぎた頃には。ファズは既に、クチナ=ホオズキという少女に心酔していた。
あっという間に。
周囲の凄惨かつ異常な状況など、気にもならない程に。
彼女の怪異としてのルールなど無くても、目を離すなど考えもしない。
「すごいよ君。こんなに話が合う子は初めてだ……」
「光栄です。――それで、どうでしょう、仲良くなれそうですか?」
可憐な微笑みに、あっさりとファズの心臓は鷲掴みになる。こくこくと頷く。
そうだった。そもそも生き残るため、ファズは彼女と仲良くなる――取り入るつもりだったのだ。
「ぼ、僕、やらかしてないよね?」
詳細をぼかしたその問いへ、にこり――とクチナは微笑んだ。
「はい。今のところ」
返答に、ほっとファズは旨を撫で下ろす。最後に見た者は一時間以上視線を離してはならない。目を合わせた状態で、先に目を離してはならない。
そしておそらく、質問されたならば答えねばならない。
最後の予想ルールを、ファズはクチナへ問いただしてはいない。
(ルールの詳細を聞く。それ自体がアウト――ってルール)
その可能性を、彼は捨てていない。それは、ネットロアを多数蒐集した彼にとってみれば、警戒して当たり前の話だ。
普通に話せていた怪異が、その怪異のルールに下手に触れた瞬間、豹変する――そんな話はそこら中に転がっている。
クチナが、その『本物』である可能性は、ファズの認識では捨てるには危険すぎた。
「しかし、どうしたもんかな……。君に殺される事は無くても、ホランド達は……」
「あら、そうでしたね。……あの方々には嫌われているようですから、お友達になるのは難しそうです」
呑気なクチナの調子に、思わずファズは笑ってしまう。
……少年のみならず、血痕が染みたシーツに覆われたダイソンの死体がある、という異常な状況なのだが、ファズは既にそれにすら慣れてしまっていた。
まるで――意識も出来ない毒により、そういう神経が麻痺してしまったように。
(いけそう、か……? 彼女はこう見えても人間じゃない。注意は必要だけど――このまま)
現在は午前二時を回ったところ。このまま、朝まで。
(そうだ。そこまで行けば)
このまま時を過ごし、朝になれば。
クチナはやってきた『ストラ』の迎えに渡す事になる。そこに考えが行き着いて。
(それは――嫌だ)
いつの間にか。ファズはそう思うようになっていた。
この、異常な能力を持つ怪異の少女――クチナ。
ファズの損得勘定としては、彼女と友好関係を結んだ今、彼女を渡さぬまま、その恩恵を受けた方が、メリットが大きいのではないか――と感じ始めている。
そして。何より。心理的に、こう思ってしまっている。
「き、君を……助けたい」
彼としては初めての事だった。これまでの『仕事』で誘拐した人間の中には、若い女も――というか、半分近くはそうだ――いたが、
(誰にも、こんな事を思った事は無い)
まるでホラーの主人公がヒロインにするように、クチナを助けたいという思いが湧き起こっていた。
「朝が来たら、上部の組織の迎えが来る。そ……そうしたら、君はそいつらに連れて行かれてしまうんだ。君のルールはホランド達が結構見抜いちゃってるから、その、組織にも教えちゃうだろうし。朝が来る前になんとかし、しないと」
状況からすればそれが明らかに異常な心理であると、本人は意識すらせぬままに。
「……けれど、お仲間はよろしいのですか?」
気遣うような言葉と視線に、ファズの庇護心が湧き上がる。
先に仲間を捨て駒に使ったのは、ホランドだ。
「い……いいんだ。その、」
君がいれば。という言葉は、流石に口から出なかった。
そこへ。あと一歩の勇気が出なかったファズへ。
「ありがとうございます。ファズ。囚われの私の騎士」
狙い澄ましたかのように。
自身の名を呼ぶ甘く蕩けるような声と、この世のものとは思えぬ神秘の美しさの微笑みが撃ち込まれた。
「――――あ、ああお……を、ん」
返事だか唸り声だか分からない音を、ファズは発した。
(あ、あああ、ああああああああああああああああ)
心中はその比では無い。好意を通り越し、崇拝に近い感情が生まれつつある。
(そ……そうか、そうだ)
そしてファズの趣味が、その気付きを後押しする。
人間以上の何か。『怪異』とされるモノの、実物。
それは神だ。つまり、それらを愛好する彼にとって、崇めるべきものなのだ。
「何か――何か、僕に、あ、証を、くれませんか」
気付けば。ファズはベッドから降りていた。ベッドに座るクチナの足元に跪く。
「クチナ=ホオズキ様。あ、貴女の騎士だっていう」
言いながら、ファズの脳裏で快感と共に弾けるモノがあった。これだ、と本能が告げていた。
芸術的に丸く穿たれる、あの姿。
(後戻りも出来ない、唯一無二の、彼女の証だ)
床に跪くファズの傍らに転がって浅い息を吐いているイグナスの、シーツの下にもおそらくは同じものがある。
それが、今のファズには溜まらなく羨ましく思えてならないのだった。
異常な心理のまま、口走る。
「一時間後。僕の片目を、奪ってくれませんか」
そう言った。クチナが珍しく、驚いたような表情を返す。
「え……でも」
端から見れば、完全に正気では無い申し出だが……ファズの表情は真剣そのものだ。
「あれは、しるしでもあるのです。あれが付いた方は――」
しるし。クチナが言ったその言葉は、ファズの心を強く打った。
「しるし……そうか。あれは、聖痕」
「聖痕、ですか?」
契約の証だ、とファズは思う。クチナ=ホオズキという怪異――
(……彼女は、たぶん故郷の、土地の神のような存在なんだ。つまり、あの片目は、契約でもあり、聖痕でもあるんだ)
隻眼や隻腕といった身体特徴の人間が、多神教の神官に就く例は、世界中に例がある。大昔には、神官に就任した者の目を潰す、という習俗も存在した。
そして気付く。あの、ホオズキ家の離れ、クチナの部屋にいた者達。一人は隻眼だったではないか。今なら分かる。彼等は、神官だったのだ。彼女という神の。
(あれはきっと、同じだ。本物なんだ。クチナは)
それならば。今のファズには、最後のアンディの様子も理解出来るような気がしていた。
(アンディ……君は最後、彼女に会いたかったんだね。分かるよ)
グループの仲間として、何年も一緒にいた彼に、ファズは今の方が親近感を覚えていた。ある種の同志のように。
(それをホランドに邪魔されて、哀れな事に契約を侵してしまった事で罰を受けた。クチナという神の罰を)
背信だ。だからあそこまでの無惨な最期を遂げた。
「ぼ――僕は、アンディのようにならない。貴女に、最後まで従います」
ファズは縋る。ベッドから伸びる神に。
「………………」
無言のクチナは。す、と足先を伸ばす。ファズの方へ。それが示す神意を、彼は読み取った。足の甲へと、口づける。
「目を、先にお逸らしください。そして、僕に証を」
――クチナはなおも黙ったまま、自身を信じる者から瞳を逸らした。
それを確認したファズの瞳は、炯々と光っていた。
そして、一時間後。
「ぉおっ、ぎ、ぃ……!」
鮮血と、くぐもった呻き声が地下室に響く。右目を押さえた声の主は、脳髄まで響くような痛みと熱の最中、それを超える情熱で希う。
自分は違うのだと。
そこに転がっている子供よりも、敬虔な信仰を持つ者であると。
「うぐ、う……クチナ、様。め、めい、命じて……ください」
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