第9話 別れ

次の日の昼過ぎ。


業者が最後の荷物をトラックに運び出す。


がらんとした部屋。


家具もカーテンも何もない、ただの空間。


健太郎はそこに立ち尽くしていた。


昨日まで生活の匂いがあった場所が、まるで最初から空っぽだったように感じる。


違和感と寂寥感が胸を締めつけた


背後で欠伸とともに、のびをする気怠げな声が聞こえた。


「……終わったの?」


振り返ると、昨日の服に着替えた女がフワフワと髪を揺らして立っている。


目をこすりながら、部屋の中を見回す。


「うん」


「何もなくなっちゃったね」


「……うん」


女が健太郎の横に並び、部屋を見つめる。


「……寂しい?」女が言う。


健太郎は少し考えてから、短く答える。


「……うん」


「あのさ」

女がしばし逡巡したように目を伏せ、それから言う。


「昨日、私がこの部屋でおばあちゃんと待ってた時ね」


「うん」


「言ってたの」


「何を」


「あんたのこと」


「……僕の?」


うん、と女は少し溜めて、それから続けた。


「すごく優しくて、良い人だって。あんな人、人生に何人も出会えないんだから大切にするんだよってさ」


健太郎が推し黙る。女は独り言のように続けた。


「否定するのが面倒であんたの彼女で通したけどさ、訂正出来なかった」


「……教えてくれてありがとう」


そう言って、健太郎は目を閉じ、静かに手を合わせる。


「お世話になりました」


一言言う。


しばらくして目を開くと、隣で女も同じようにしていた。


手を合わせ、何かを祈っている。


健太郎は思わず微笑んだ。


その気配に気づいたのか、女が慌てて手を下ろし、目を逸らした。


「帰る」


女6部屋から出るなり、ゆるく手を振り言った。


突然の言葉に健太郎は少し驚く。


「私も新しい部屋探さなきゃ……」


「何か手伝えることがあったら」


女が今度はしっかりひらひらと手を振り、軽く笑う。


「いい、あんたにはもう関わりたくない。親切すぎてこっちが悟り開きそう」


「そうか」


「じゃあね」


振り返ることなく、歩き出す女。


角を曲がってすぐに見えなくなった。


見えなくなって彼女の名前も知らないことに気づく。


知る必要もなかった。


ただ、とても優しい人だったと健太郎は思った


寂寥感を覚える。絹代がいなくなったからか、女がいきなり去っていったからか。

どちらかわからない。

どちらにせよ、流石に疲れた。


ベッドに倒れ込むつもりでリビングへ向かうが、テーブルの上に違和感を覚える。


淡い色のストールが畳んで置かれている。


手に取ると、メモが挟まれていた。


「風邪に気をつけるように」


健太郎はメモを読み、思わず笑う。


やはり、優しい人だった。そう思った。

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