死人語るべからず。されど心忘るべからず。

口十

第1話 人類か、それ以下

 此の世には、絶対成文律の制約が存在する。か、である。それがここ二千年続いた宗教の言い分である。マッタク、何と素晴らしいことか。そのわかれ目を見間違えても一世紀と経てば平然と仲間面する。愛に溢れている素晴らしい宗教ではないか。

 だが学文路かむろめいにとっては生まれたその刹那―――否、生まれてくると分かった母胎に居る時からその宗教はおろか、近年急速に進化した科学が敵なのであった。

 先天性人狼症候群。近年そう銘々された人類五百万年の謎。突然変異と呼ぶにはあまりに人間とかけ離れていて、高等な人類と下等な畜生を混ぜるという禁忌を神を犯すわけもない。

 つまり、宗教信奉者からも科学者からも忌み嫌われた存在。それが人狼。それが学文路盟なのだ。

 人狼と言うだけで石を投げられ、まともに授業も受けれなかった学生生活を終え、人狼というだけで会社には採用されず、評判の悪い会社が唯一の採用先だったが、その評判通りだった。

 だが二年は耐えた。いや、正確に言うのであれば生まれてからの二四年間。それが盟の限界だった。麻縄を握り締め、都市部から離れた草木の生い茂る森へと赴いた。

 遺書などはない。家族の中で突然変異をこうむったのは盟一人だけだった。だから家族からも忌子いみごとして扱われていた。

 そんな家族に何を遺そうと思うのか。

 適当な木を見つけて麻縄を巻き始める。ここなら遊歩道からも離れているし、道からは坂になっていてそう簡単には見つからないだろう。

 と、思っていた。

 せっせこ気持ち嬉しく自殺の準備をしていた時のことである。あとは頭を通して最期に台を蹴るだけとなった時、こちらに近づく足音を人間より何倍も優れた耳が捉えた。

 今から死ぬのだ。いざという時は噛殺してやろう。グルルと唸る。

「―――何してんだアンタ」

 しかしそれがどれだけ間抜けなことであったか。足音の正体に出会った時に思い知らされた。

 赤茶けた髪に上下が全く合わさっていない服。冬の只中だと言うのにパーカー以外の防寒具を身につけていない。

 盟は半ば呆れつつも「自殺です」と素直に答えた。直感がこの男には嘘を吐いても意味がないと告げている。

「自殺とは世知辛ぇな。見たとこ美人さんだし……フゥム。なぁアンタ。死ぬくらいなら、俺のとこに嫁ぎに来ねぇか?」

 ・・・・・・

 盟の空いた口が更に広がる。それはもうあんぐりと。

 人狼というのは基本的に突然変異だ。遺伝した例があるとまことしやかに噂されているが、それが統計学的に証明されたことはない。所謂似非えせ科学だ。事実、盟にも親族に人狼症に罹った人間はいない。

 千万人に一人の難病指定されている突然変異を相手に、彼は名乗ることもせずに嫁ぎに来いと言っているのだ。人狼症に罹った人間の結婚率は新興宗教や特異な例を含めてもほぼゼロに等しい。〇.一%にも満たないだろう。

「……はへっ、し、正気ですか?」

生憎あいにく毒キノコの類は食ってねぇな。幻覚も幻聴もないし。まぁなんだ。積もる話もあるだろうが俺の採ってきた山菜でも食いながら話そうぜ」

 上機嫌にそう言うと男は背追っていたリュックサックからカセットコンロと鍋を取り出し油を注ぐ。

 人が目の前にいる状況じゃ自殺もそう簡単にできないだろうしな。と眺めていると男は手際よくレジ袋に詰め込んだ山菜を素揚げし始めた。

「ほら。アンタも食え。その調子じゃ碌に飯も食ってねぇだろ。俺ぁ母ちゃんの弁当も担当していたからな。火加減や諸々には自信があんだ。そら、その麻縄も仕舞え」

「い、いや、あの……」

「人狼にとっては毒か? それとも嫌いだったりするか?」

「え、あ、い、いや、特にそういった訳では……」

 近場にあった適当な切株の上に皿を乗せ目をキラキラと光らせる男に対して浮かぶ言葉がない。いや、あるのだが、そのどれもが口に出ない。口に出そうとするよりも先に男が話しかけてくるのだ。

「アンタ、名前何て言うんだ?」

 タンポポの素揚げをむしゃむしゃと食べながら男は尋ねてきた。

「か、学文路です。学文路盟。その、貴方は?」

 紙皿の上に乗っけられた山菜から比較的美味しそうなものを選びながら盟も尋ねる。

「俺ぁ神斧かもの富岳ふがくだ。この森からちょっと市街地に出たとこに一人で住んでる。イヤァ何だ。海外赴任している母ちゃんが「そろそろ実を固めろ」ってうるせぇもんでな」

「ふ、富岳さん。その、私、人狼、ですよ?ほ、ほら!耳と尻尾。それから手足だって毛に覆われて……み、醜いですよ」

「なァにが醜いだ。かっけぇじゃねぇか。白黒の髪とか、そういう遊び人には到底見えねぇし、染めてるってわけじゃねぇんだろ? 俺ぁ大して頭も良くねぇし、熱心な信奉者でもねぇ。狼ってかっけぇな、程度なんだが」

「かっけぇ……ですか。そんなの言われたの初めてです。大抵、バケモノとか、雌犬とか、そう言われるものですから」

「次に盟のことそう言う奴が出てきたら真っ先に俺を呼べよな? 動画で見ただけだが武術には心得があんだ」

「それは心得とは呼べないんじゃないですか?」

 あはは、と不意に盟から笑顔が漏れる。

「おーっ、笑った時に八重歯見えるのか。いいじゃねぇか。盟のことマジで気に入ったよ」

「へはっ、あ、あんまりジロジロ見られると、その……」

「これ食い終わったら俺んち行こうぜ」

 もしゃもしゃと食べながらなんてぐいぐい来る男なんだ……。

「へ? あ、え、その……獣臭いですよ」

「まずはその萎れた根性から直すか。盟、家とか職は? ここで自殺するくらいだし、家は近いんだろ?」

「え、えぇ。家は、その、徒歩十分くらいのところに。職は、何とか辞めました。本当、何とかですけど」

 そうかそうか、と自分のことのように大層喜んだ富岳は、油や出たゴミ諸々を丁寧に処理し他後、盟を少し離れた家へと案内するのだった。

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