第18話 歪んだ記憶

 「……佐伯?」


 涼は声を絞り出すように言った。


 そこに立っているのは、まぎれもなく佐伯悠真だった。だけど、何かが違った。


 彼の顔色は異様に青白く、瞳には焦点が合っていない。まるで、ここにいるのに「ここにはいない」ような、そんな違和感。


 「……お前、本当に佐伯なのか?」


 その言葉に、佐伯は僅かに眉をひそめた。


 「……涼? なんで、お前が……」


 「俺たち、心配してたんだよ! お前、今日学校に来なかっただろ? 連絡もつかないし……。家に来たら、勝手に入っちゃったけど……」


 必死に説明する涼をよそに、佐伯は静かに首を振った。


 「……今日?」


 その声はかすれていて、まるで遠くから響いてくるようだった。


 「今日って、いつのことだ?」


 涼、葵、佳奈の三人は顔を見合わせた。


 「9月8日……だろ?」


 佐伯は、ゆっくりと瞬きをした。


 「……そうか。お前たちは、まだ9月8日を繰り返してるのか……」


 「……何?」


 佐伯の言葉に、涼は背筋が冷たくなった。


 「"まだ"って、どういう意味だよ……?」


 佐伯は答えなかった。代わりに、ゆっくりとリビングのソファに腰を下ろした。その動きもどこか鈍く、まるで夢の中にいるような不確かさを帯びている。


 「……俺はもう、9月8日にはいない」


 「どういうことだよ、佐伯!」


 涼が声を荒げる。だが、佐伯はそれにも動じず、ただ静かに言葉を続けた。


 「気づいたんだよ。繰り返しているのは、"俺たちだけじゃない"ってことに」


 「……え?」


 「このループ、俺たちの記憶だけが残っていると思ってた。でも、違った。少しずつ、俺たち以外の"何か"も、ループの中に侵食してきているんだ」


 その言葉に、葵の顔が強張る。


 「"何か"って、どういう……?」


 「わからない。だけど、そいつらは確実にこの世界に干渉してる。俺が感じた違和感も、たぶんそのせいだ」


 佐伯はゆっくりと立ち上がった。そして、窓の外をじっと見つめる。


 「……俺は、その"向こう側"に引きずられかけてる」


 「向こう側……?」


 「ループの外だよ。お前たちがここで同じ日を繰り返している間に、俺は少しずつ、"別の時間"に引き寄せられてるんだ」


 その時、佳奈が震える声を上げた。


 「……じゃあ、佐伯君、消えちゃうの?」


 佐伯は答えなかった。だが、その沈黙が、何よりの答えだった。


 「そんなの……そんなの、嫌だよ……!」


 佳奈の声が震える。


 涼は拳を握りしめた。


 「……何か、方法はないのか? このループを終わらせる方法とか……!」


 佐伯はゆっくりと涼を振り返る。その目には、かすかに迷いと恐れが浮かんでいた。


 「……あるかもしれない。でも、それは危険だ」


 「危険でも何でもいい。……このまま、ただ繰り返してるだけなんて、俺はもう耐えられない!」


 佐伯は涼をじっと見つめた。そして、意を決したように口を開いた。


 「……"鍵"を見つけろ」


 「鍵?」


 「ループが始まった瞬間に、何か"変わったこと"があったはずだ。その"異物"を見つけ出せば、ループを解く糸口になるかもしれない」


 「異物……」


 涼は思い出す。ループが始まった日、何かおかしなことはなかったか? だが、はっきりと思い出せるような"変化"は——。


 その時、葵が小さく呟いた。


 「……文化祭の準備」


 「文化祭?」


 「9月8日は、文化祭の準備が本格的に始まった日だった。もしかして、その中に何かあるんじゃないかな……?」


 涼はハッとする。確かに、文化祭の準備はこのループの重要な要素になっている気がした。


 「……とにかく、明日、もう一度文化祭の準備を見直してみるしかないな」


 佐伯は、微かに微笑んだ。


 「……頼んだぞ。俺は、もうあまり時間がないかもしれないから」


 その言葉を最後に、佐伯の姿は、ふっとかき消えるように消えてしまった。


 残された三人は、ただその場に立ち尽くしていた。


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