恋、初めてに想う

八坂卯野 (旧鈴ノ木 鈴ノ子)

こい、はじめてにおもう

 銀色の月が空の高みを目指しながら登ってゆく。

 白く白くあたりを照らす月の灯りが砂浜に降り注ぎ、打ち寄せる穏やかな波が砕けるたびに更に白く光っていた。波打ち際に座りながら僕もその白い光を浴びている。月のおかげで夜空の星々のほとんどは姿を隠しており、ソレが際立って綺麗に見えることが僕にはとても嬉しかった。

 波打ち際に誰かの忘れ物のスイカのビーチボールが打ち寄せられていた。あの日も西瓜割りをしたらしい、手元のスマホを開くと水着姿で楽しそうに笑う舞花の姿が残っていた。

 西本舞花13歳、女の子……いや、きっと一足先に女性になっていた。生まれた頃よりずっと一緒に育った幼馴染。苦楽を共になんてことまでは言わないけれど、互いに涙を溢す時、互いに愚痴を言い合う時、互いに喧嘩をする時、常に相手は舞花だった。

 いつも、いつも、舞花だった。


 中学1年生の夏休みに舞花と僕、大森好期はバスに乗って近くのショッピングモールへと行った。中学生という新しい時期を迎えて、古い友人の幾人かを失い、新しい友人の幾人かを得た。そして新しいグループでの初めてのイベントとして海水浴に行こうと誰かが言い出して、皆がソレに賛同した。もちろん、僕もだ。

「水着、買いに行きたいからついてきて、コウなら見られても平気だし、それにどうせ水着買ってないでしょ?」

「一緒に行くのはいいけど、僕も買わないとダメ?」

「当たり前じゃん、それに一緒に買っちゃえば楽でしょ、変なの選びそうだから選んであげる」

「変なのって……、まぁ、いいや、めんどくさいしお任せします」

 服選びにしろ何にしろ、僕はこだわりは無かった。親が買ってくるものを素直に来ていたし、それに不満も抱かなかった。中学になり制服が普段着なら更に気楽で、友人たちと出かける時もダサいと言われたこともあるが、いまいちその感覚が理解できなかった。

「これとこれでいいんじゃない?」

「わかった」

「文句言わないのね?変なの選んでるかもよ?」

「わかんないからソレでいいよ」

 気がつけば休日に服を選びに舞花が来て、グループで出かける時には特に念入りに選んでくれていた。一緒にいて恥ずかしいから、と言うのが理由らしく、それを着て出かけるようになると、恒例だった僕のファッションチェックタイムは無くなった。

「大森くんさ、舞花が服を選んでるの?」

「うん、そうだよ」

「うわ、あやしー」

「あやしい?」

「だって、彼女みたいじゃん」

「そうかな?幼馴染だし、それに選んでくれるから着てるって感じ、彼女って訳じゃないよ」

「そ、そう……」

「コウと私はそんなんじゃないから、あんまり揶揄わないで」

「舞花、それでいいの?」

「いいの、今はまだいいの」

「なに?どういうこと?」

「なんでもない、コウは黙ってて」

 時よりこんな会話が交わされた。残念そうな目で僕を見る女子と悲しそうな目で僕を見る男子の中で意味を捉えることのできない僕はただぼんやりと舞花を見つめて、その唇がごめんねと動いたことの意味が理解できなかった。

 2人でバスに乗りシュッピングモールまでの道すがらは互いにスマホゲームで隣席ながらに戦って過ごした。僕が3回勝って舞花は8回勝った。

「毎回同じキャラだから、変えたらいいんじゃない?」

「これが好きだからしょうがない」

 舞花はキャラクターチェンジを頻回に行い、そして、すべての戦い方をマスターしていた。ランキングは上位で学校でも割と有名人だ。僕はこれだと決めた1つのキャラクターしか使わず、そしていまいち感覚、いや、フィーリングに沿わないところがあるのか、うまく制御することができなかった。

「こだわる男だよね」

「それは認める、性格なんだろうね」

「それは知ってる、だから安心なんだけどね」

「馬鹿にしてる?」

「もちろん! 馬鹿にしてる! 」

 バスを降りて、いつもどりの言い合い、いや、言葉の投げ合いをしなががらショッピングモールを歩いて行く、2人で小学4年生の時からよく来ているから、どこに何があるかは大体熟知していて、目を瞑っても歩けるほどだ。

 でも、この日は違った。目的の階のエレベーターを降りようとする舞花の手を掴み、そのまま扉が閉まるまで待つ、掴まれたことに驚いて固まっている舞花が、やがて、顔を顰めて僕の後ろへと回り込み、口元をハンカチで抑えた。

「よく気がついたね」

「慣れてるから、変な香りなら気がつくよ」

 エレベーターが閉まる直前、目的階の大型通路の端にカラフルに彩られた石鹸販売の台車が置かれているのが見えた。

 舞花は香りに敏感で、特に、刺激臭にも似た香りがダメだ。すぐに鼻水と涙が止まらなくなる。薬を飲めば落ち着くし、気にもならなくなるが、それまで動けなくなってしまうのが難点だ。

「ちょっと違う店にしようか」

「うん、この上の階にもあったよね」

 僕たちは別の階にある、ちょっと大人向けの水着売り場に顔出した。

 店員のお姉さんは親切というよりは過剰で、何かこう企むような視線で僕を見て、そして舞花と何か話をしていた。舞花の顔がほんのりと赤くなっていたことに気がついて、さっきの香りで何かあったかと心配になって思わず話に割り込んでしまったけれど、2人から妙に冷たい視線を浴びやがて大笑いされた。

「苦労するのね」

「大変なんです」

 2人がそんなことを言っていた気がする。

 そこから何着か水着を見繕って貰った舞花が、試着室に入り、僕はその前で待たされた。周りにはカラフルな水着が所狭しと並び、スタイルの良い女の人がソレを見に来ていて、訝しげな視線を向けられるが、ぼんやりとした僕を一瞥すると、無害なものとでも識別されたのか、マネキン人形の同じ扱いとなった。

「これどう?」

「いいんじゃない?」

「これは?」

「なんか合わない」

「これなら?」

「ああ、いいと思うよ」

「いいって何?」

「似合ってるってこと」

「何で視線を逸らすの?」

「ちょとね」

「まぁ、いいわ、これにする」

「うん」

 ビキニタイプからワンピースタイプの3種類を着て見せられる。この時、初めて舞花を女性として意識した気がする。いつもは気もつかなかったけれど、すらっと伸びた手足は帰宅部の僕と違って陸上部に所属していることもあり、日焼けの跡がくっきりと残っている。胸なんて気にもしたことなかったのに、今店内にいる女性の中では1番に出っ張っていた。僕が選んだのは胸元をあまりアピールせず、手足が綺麗に見える白いワンピースタイプの水着で、他に比べて地味だったので嫌がるかと思ったけれど、嬉しそうにそれを持ってレジへと向かっていった。

 可愛らしい袋に入れられたソレを持って、次は安上がりな僕の水着の番となった。舞花は反対したけれど、僕はソレでよかったから、その店で選ぶことにした。併設されたスーパーの小さな水着売り場、回転式の円形をしたハンガーラックが3個だけの小さな売り場、価格も手頃で安い、1年に1度着るか着ないかにそこまでお金を使うのは無駄だと思う。舞花はそこでもラックを忙しなく回って数着を選んでくれた。

「これとこれ、どっちがいい?」

「右でいいよ」

「こっち?」

「あ、僕から見て左のほう」

「こっちね、まぁ、無難ね」

「なら、なおさらいいや」

「うん」

 会計は食品レジと同じだったので、ついでに双方の家族から頼まれた買い物を済ませてゆく。大型のスーパー故に品数は多くて選ぶのに困ったが、その度に舞花がこれ、あれ、それ、と手助けをしてくれた。前日にショッピングモールに行くことをははに伝え、ついでに舞花と行くと伝えると、翌朝のスマホにみっちりと商品名を記されたメッセージが飛んできていた。最後の注意書きに、分からないことは舞花ちゃんに聞くこと。と指示まで添えてあった。

「それじゃないよ、こっちの味のやつ」

「そうなの? なにが違うの? 」

「言ったら分かる? 」

「聞いてもわかんない、それにします」

 互いの籠が半分近くまで埋まると食品レジで会計を済ませて、籠からエコバックへと詰め替えてゆく、自分の水着もクルクルと丸めて、水物などを入れるポリ袋を一枚手にとって突っ込むと、舞花がソレを奪い取って舞花の水着が入っている袋の中へと入れた。

「コウ、食品とこれは別」

「袋に入れればいいかと思って……、ダメなの? 」

「だめ、もうちょっとデリカシー持った方がいいと思う」

「そういうもんかな」

「そういうものよ」

 舞花が言うならそう言うものなのだろう。僕は自分のエコバックを右手に持ち、舞花が持とうとしたエコバックをいつも通りに左手に持った。

「ありがと」

「うん、じゃぁ、最後に書店に寄っていい?」

「うん」

 買い物の終わりはいつも本屋に寄る。でも、店内をうろうろすることはなく、ただ、目的の本を事前にネットで頼んで受け取るだけだ。オンラインで購入するのもよいのだけれど、この書店では受け取りにゆくとポイントという特典がつく。

「受け取りだけ? 」

「うん、いつものとおりだよ」

「今回は何の本?」

「恋愛もののライトノベルと小説の書き方講座」

「ついに書くの? 」

「ランキングと試し読みで面白かったから買っただけ、でも、書いてみるのも面白いかも」

「そんときは、私が一番最初に読むから」

「本読んだっけ?」

「たまにファッション誌なら読むよ、あ、あと教科書」

「なるほど、感想は期待しないでおこ」

「なによ、それ、私も期待しないで待っとくからいいの」

 書店で注文した本を受け取って会計を済ませていると、舞花は旅行関連の書籍の前で数冊の本を手にとっては立ち読みしていた。京都や奈良の定番から松本や奈良井など2時間くらいで電車で行けるところまで、取り留めなく読んでいた。

「終わったよ」

「う、うん、わかった」

 妙に頬を赤らめて本を戻した舞花と共に書店を出る。戻された本の周りは2人でゆくデートスポットがメインのものばかりで、誰かと行く予定でもあるのかとも考えてがいまいち思い当たる人物が想像できず、それを口にして尋ねるのはもの凄く怒られそうな気がして考えるのをやめた。フードコートでご飯を食べてから、2人で元来た道を帰るように、バスに乗り自宅へ向かう帰路についた。


 打ち寄せる波が弾け、その飛沫が掬われて、僕へと飛んできて、ふと我に帰る。

 この海には来ることができなかった。海に泳ぎに行く当日に僕は熱を出して家から出ることができず、そして、夕方になってその知らせを部屋に飛び込んできた母から知らされた。

 みんなの乗ったバスが事故に遭ったと。

 熱冷ましを飲んでも魘される頭で必死に舞花の無事を願った。グループのみんなの無事も願ったけれど、いつの間にか舞花の無事だけを願っていた。幼い頃からの思い出が頭の中でくぐるぐると周り、そしてショッピングモールで見た舞花の表情や仕草、そして水着の姿が思い浮かんでは消える。もし失ったらどれほど後悔するだろう、どれほど悲しいだろう、どれほど、どれほど、どれほど。自分の身はどうなってもいいから舞花が元気に戻ってきてくれますようにと願ったとき、ようやく鈍感な僕は気がついた。

 ああ、僕は舞花のことが好きなんだと。

 舞花は僕のことが好きなんだと。


 波打ち際を抜けて砂浜を歩く足音がこちらへと向かってくる。

 月明かりを浴びて白く輝く長い手足と、嬉しそうに笑う舞花の顔が見え、やがて隣に腰を下ろして僕の手元を見やった。

「どう、想いの反省文書けた?」

「小説で反省文を書かせるなんてどうかと思う」

「私の心をずっと見なかった罰だもん」

 そう言って舞花は僕の手元にあったノートを奪い去って読んでいく。読み進める事に耳まで真っ赤になってゆくのがよく分かった。それが怒りなのか、恥ずかしさ、なのかは分からない。

「水着は着なかったんだね」

「だって、これは外で見せるのはコウがいないと嫌だったから」

「なんか、恥ずかしいけど、嬉しい」

「そう言ってくれると嬉しい。それとね、これ最後が間違ってる」

「え?」

「好きじゃないのよ」

「ええ!? 」

 そうして見たこともないほどの綺麗な笑顔を浮かべた舞花が、すっと一息を吸い込み、ゆっくりと吐き出すように口を開いた。

「大好きなの、それを忘れないで」

 そして目を瞑った舞花の顔があった。

 何をすべきか、なんて、考えるまでもない。

 ゆっくりと僕の唇を舞花の唇に重ねて、初めてのキスをした。





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