その後 第2話 壱輝と真琴

 大和は、岳を本気で好いている。


 分かっていたこととは言え、壱輝は自室のベッドの上で、ひとりため息をついた。

 父親を病院に迎えに行ったその日。久しぶりに家に帰って、手伝いに来た倖江も交え夕食となり、家族団らんを過ごした。

 その後、部屋に戻って今に至る。ベッドの上に膝を抱え座り込んで、大和との会話を思い出していた。

 危ないと分かっていても、ついていくのだと、当たり前の様に語っていた。

 

 入り込めない。


 どんなに頑張っても、大和の一番にはなれないだろう。せいぜい弟くらいの位置づけだ。


 もしも、今回の件で岳に何かあったとしても──。

 

 真琴や亜貴が立ち塞がるだろう。何より、あの大和が、岳以外の相手を認めると思えなかった。


 岳が一番。


 大和の顔にそう書いてあった。

 真琴が以前に『大和は思っていることが、全部顔に出ている』と、言った事がある。確かにそうで、何もかも、その表情から読み取れた。

 自分を助けに来てくれた時の事は、一生忘れない。あの時ばかりは、大和にとって自分が一番の優先事項だったはず。

 あの時の大和は、本当に格好良かった。


 やっぱり、大和が好きだ…。


 この思いは当分、消えないだろう。いや、消えるはずも無い。きっと、思い出す度、この胸の痛みを伴うはず。

 いつか、自分のことを一番と思ってくれる相手が現れるのか。また、自分も一番と思える相手を見つけることが出来るのか。


「…腕次第、だな」


 大和に言われた事を思い出す。

 いい魚が釣れるのも、工夫次第なのだろう。大海に様々な魚が泳ぐ想像をした後。

 

「…てか、ほんっと変な例えだっての」


 壱輝はひとり寂しく笑う。

 と、端末が鳴った。真琴からだ。今後について、後で連絡すると言っていたから、それだろう。


「魚、か…」


 前後左右、見回さなくとも、案外近い所にいるのかも知れない。


+++


 その日、一週間ぶりに大和らの待つ家に帰る車中で。真琴はハンドルを握りながら、小さくため息をついた。


 岳が戻って来た。


 本当に無事で良かったと思う。これで、大和にも笑顔が戻る。

 戻るが──やはり、これでまた大和は手の届くようで、届かない存在となってしまった。

 以前からずっとそうだったのだ。今更、何も求めはしない。ただ、幸せでいて欲しいと願う。


 大和にとって、いい友人のひとりでいい。


 この先も大和と岳の傍らにいて、何かあれば一番に頼られる存在でありたい。

 例えこの先、自分が他の人間を好いたとしても、それを変えたくはなかった。そんな自分を分かってくれる相手を探さねばならないだろう。

 だが、そんな都合のいい相手が、早々に見つかるはずもなく。

 真剣に向き合おうとすれば、相手は自分だけを見て欲しいと望むだろう。だが、真琴にとってそれは無理な話しだった。

 

 大和が好きだ。


 これは、変わらない思いだ。それを知った上で付き合いたいと望む者などいない。

 と、端末が着信を知らせる。壱輝からだ。壱輝も真琴に合わせて、家に訪れると言っていた。勿論、初奈も連れて。

 初奈はすっかり、亜貴に心を開き懐いている。まるで妹が出来た様だと言っていたが、幼いながら初奈は亜貴を意識している様に思う。

 先のことなど分からない。けれど、少しずつ、動きに変化が生じている気がした。かく言う真琴にもそれは起こりつつある。

 真琴は車の往来が激しくない道へ来ると、脇に停車させ電話に出た。直に家に着く。それからかけ直そうと思ったのだが、一向に鳴りやまないのだ。

 エンジンも切ると、通話ボタンをタッチする。窓越しに海が見渡せた。冬の海は寒々しいが、キラキラと輝く水面は目に優しい。


「壱輝、どうした?」


『出るの遅いって』


「…運転中だった。それで?」


『今、駅に着いたんだけど、迎えに来てくれない?』


「…歩いて行くんじゃなかったのか?」


 この前行きに乗せて行くか尋ねれば、散歩がてら歩くからいいと断ってきたのだ。


『初奈とそのつもりだったんだけどさ。今日の体育の授業で足捻って…。行けるかと思ったけど、長距離無理かも──』


 真琴はすぐにエンジンをかけると、


「待ってろ。十分で行く」


 すぐに通話を切って駅へと向かった。


+++


 それからきっちり十分後、改札を出た辺りで待つ壱輝と初奈の姿を見つけた。初奈は散歩中の犬を撫でている。犬が好きで、どうやら、いつか犬を飼いたいらしい。

 亜貴がそれを知って、岳に家で飼えないかと相談していたのを思い出した。


「待たせたな」


 真琴の車が到着すると、すぐに気づいた壱輝が、初奈を促しこちらに向かって来た。

 壱輝は後部座席に初奈を乗せると、自分は当たり前の様に助手席に乗って来る。


「何?」

 

「…いや。すっかり馴染んだなと思ってな」


「遠慮がないって? てか、真琴相手に遠慮はいらないだろ? そう言ったじゃん」


 いつからか、『真琴』と呼び捨てになっていた。今さら、さん付けもない。別段気にはならないが、距離が近くなった様には感じた。


「まったく…。そうは言ったが──まあいい。それで、足の具合は?」


 以前に、遠慮しすぎる壱輝にそう言った事があったのだ。当時は今ほど気易くなかった。


「ああ、これ?」


 そう言って、右足を少し上げて見せた。足首に白いテーピングが巻かれている。


「サッカーでやった。競り合った後、落ちた時に捻っただけ」


「高校からの帰りはどうしたんだ?」


「え? ああ、そん時はあんまり痛み感じなくってさ。でも、時間が経ったら痛くなってさ」


「痛み止めは?」


「飲んでない。てか、家に薬ないし」


「…そう言う時は俺を頼れ。仕事帰りに寄って買って来る事も出来たし、大和達の家に一緒に乗せて行くことも出来たんだ」


「なに? 怒ってンの?」


「…怒ってなどいない。ただ、心配なだけだ。そう言う事は遠慮するな」


 すると、壱輝はぷっと吹き出して。


「遠慮がないって言ったり、するなって言ったり。おっかしいの」


「…うるさい。家まで保つか?」


「大丈夫だって。真琴は心配症だな?」


「…壱輝は無理するだろう? 痛いなら痛いと言え」


「フフ、痛いけど、痛くない」


「なんだ、それは──」


 すると、壱輝はチラとこちらを見て。


「真琴がそうやって心配してくれると、痛いのも平気になる」


「…分からんな」


「いいんだって。そーゆーこと!」


 楽しげにしている理由が分からなかった。


 その日の夕食も終わり、リビングでの食後の歓談も終えると、真琴は自室に戻ろうとした壱輝に声をかけた。

 

「壱輝、部屋まで送って行こう」


「…いいの?」


「遠慮しなくていい。ほら、行くぞ」


 部屋は初奈とは別になっていた。以前、クラスメートの翔と知高が来た時に泊まった部屋だ。もう、この家にも慣れただろうからと、大和が提案し、壱輝はその部屋を選んだ。二階の一番奥だが、朝日が入ってきて気持ちいいのだと言う。

 真琴は壱輝に肩を貸しながら、二階の奥へと向かう。真琴の部屋は階段を挟んだ向こうの棟の上になる。

 

「やっぱ、真琴、背高いよな」


「なんだ。追いつきたいのか?」


「んー、追い越したい?」


 真琴は笑う。


「まだ、若い。これから伸びるだろう」


 十五歳だ。十分、伸びしろがある。

 部屋に到着し、中に入って壱輝をベッドの上に座らせた。


「痛みはどうだ?」

 

「うん、薬が効いてる。痛くない」


「そうか。何かあればすぐに呼べよ?」


「大丈夫だって。あんまり心配してるとハゲるって」


「心配なものは、心配なんだ。ほら、もう横になって休め。身体も疲れているはずだ」


「えー、ちぇー」


 渋々横になる壱輝を横目に、真琴はベッドサイドのライトのみ点灯し、室内灯を消す。


「なぁ、真琴」


「なんだ?」


 横になった壱輝はこちらを見上げて来る。


「俺、大和の事も好きだけど、真琴の事も結構、好きだから」


「……」


 少し、面食らった。


「なんだよ。迷惑?」


「…迷惑じゃないさ。ありがとうと言っておく」


「ちぇ、もっと驚けよ。つまんねー反応」


「いいからもう寝ろ。お前が寝るまで見張ってるぞ」


「マジ? いてくれんの?」


「…いいから寝ろ」


 仕方なく、ベッドサイドのライトも消してしまう。壱輝はブツクサ文句を言っていたが、諦めたのか大人しくなって。


「真琴、おやすみ」


「ああ、おやすみ…」


 それで部屋を去った。



 壱輝にあんな事を言われるとは。


 真琴は部屋に戻ってベッドに入り横になる。


 勿論、嫌っていたなら傍に寄り付くはずも無いが──。 


 その好きがどんな種類の好きなのかは分からない。

 ただ、壱輝は若い。これからも、沢山の出会いが待っているだろう。いつまで真琴に好意を向けているかは分からない。


 そのうち、いい出会いがあれば、忘れてしまうだろう。


 それでも、嬉しかったのは否めない。


 人に好かれるのは、いいものだな…。

 

 ふっと笑むと眠りについた。


+++


「真琴!」


 呼ばれて振り返れば、太陽を背に、こちらに向かって大きく手を振る青年がいた。

 浜辺で犬の散歩に出ていた真琴を追って来たらしい。

 真琴は目を細める。


「大学、今日から夏休みで、帰って来た!」


 大きな声でそう言うと、こちらに駆けてきて、真琴の腕に手を絡めて来た。


「そうか。早かっ──」


 たな、と言う前に、唇にキスされる。いたずらっぽくこちらを見上げながら、


「──早く真琴に会いたくて急いで帰って来た。早く二人っきりになろう。な?」


「お前は…。そうせっつくな。時間はある」


「ちぇ。相変わらず、素っ気ないの。でも、そう言うとこも好きだけど──」


 そう言って、今度は少し長めにキスしてくる。恋人同士のキスだ。

 彼は結局、沢山の出会いも振り切って、真琴ひとりを見続けた。

 どうしてかと尋ねた時、大きな魚を釣り上げるには、よそ見していられないからと、今年、二十歳になった青年はそう告げた。


 大きな魚?


 聞いたことのない例えに首をかしげたが。


「…な。ちゃんと後で甘えさせろよ?」


「──分かってる。壱輝」


 目下、この歳下の青年に夢中なのは、当分、本人には黙って置こうと思った。



ー了ー

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