第30話 再び

「やあ。久しぶりだね。元気にしてたかな? ──ちょっと部下が手を出し過ぎたみたいだね? だめだろ。またお前か?」


 八野はデスクに腰を預けたまま、壱輝の腫れ上がった頬を目にして顔をしかめる。

 足の拘束は解かれていた。手下の男三人とともに、エレベーターで五階まで連れて来させられる。十階建のビルは見た目はごく普通の会社が入るような見た目だったが、中は組事務所となっていた。

 八野は組を持つわけではない。若衆の一人として、仕えている身だった。ただ、ここに部屋をもらってはいるらしい。外はすっかり日が暮れ、夕闇が迫っていた。

 八野は黒地のシャツに派手なアクセサリーを身に着け、下も黒いパンツ姿。白に近い金色に抜いた髪が肩に揺れる。ヤクザのチンピラ。そんな言葉が良く合う風体だった。

 八野は壱輝の頬をはたいた男に目を向ける。男はへこへこしながら。


「いや。ちょっと生意気だったんで…。大人しくさせようと──」


「これは俺のものだ。それに手を出すってどういう事かな?」


「す、すみませんっ!」


「…そいつ。外に連れてってけじめつけといてよ」


「ええっ! 待ってくださいよ! だいたい、そいつが唾なんてかけてくるから──」


「口答えは嫌いだな。──連れてけ」


「ま、待ってくださいよ! 八野さん!」


 八野の部下二人が、引きずる様に男を外へと連れ出していった。八野はあらためて壱輝に向かい合うと。


「で、どうして俺からの連絡を無視した?」


 壱輝は口の端に流れる血をそのままに、無理やり座らせた黒い革張りのソファの上で、デスクに腰かける八野に目を向けた。

 

「…会いたくないからだ。それに、あんたのものでもない」


「へぇ。確かに生意気だ…」


 それまでデスクに腰かけていたのを、立ち上がり壱輝に向かってくる。壱輝は身構えた。両脇を部下に掴まれている。逃げることはできない。

 八野は壱輝の前まで来ると、腰をかがめ顎を取って上向かせた。


「さて、生意気な子にはお仕置きが必要だね。なにがいい? 素面も楽しくないから、とりあえず薬で飛んでもらおうか。その方がお互い楽しめる。素直になれるさ」


 すると、他に控えていた部下がローテーブルにいくつかの錠剤を置いた。ガラスの入れ物の中に幾つか形や色の違うもの転がっていた。

 八野はその中の一つを手に取ると、壱輝の目の前につまんで差し出して見せる。白い錠剤だ。


「これは最近、仕入れたばっかり。かなりいいらしいよ? 一度試してみたくてね。君、薬やったことないでしょ? 試すならそう言う子がいいなと思っててね。これの効き目が切れたら、次だ──」


 そう言って、少し楕円形の錠剤をつまむと、突き出してきた。


「こっち。これは、ちょっとやばい奴。たまに副作用で心臓が止まる可能性がある代物。でも、かなり感度が良くなるって評判。快楽と危険は表裏一体だね?」


 八野は笑う。そうして次にまたピンク色の錠剤をつまみ。


「こっちは──持続性のあるやつだな。でも、覚めると気分が最悪。薬がないといられなくなるって代物…。取り敢えず、全部で十錠あるかな。これ、全部試すよ。当分、お家には帰れないと思ってよ。というか、これ、全部飲んだらきっともう、元には戻れないね? ずっと無視するからこう言う目に遭うんだよ。初めから素直に言うことを聞いていれば、もう少し、いい待遇でいられたのにね? ──残念だ」


「ざけんな! どっちしろ、俺をいいように利用したかっただけだろ! くそが! お前は最低の人間だ! 屑だ!」


 その言葉に、八野は声を立てて笑った。


「いいね。その活きだ。元気がいい方が薬の治験になる。もちろん。薬を飲むだけじゃすまないのは分かってると思うけど…」


 八野が嫌な笑みを浮かべる。周囲の部下達がずらりと居並んでいた。どれも柄も質も悪そうな連中だ。


「連中、楽しめれば性別は気にしないんだ。特に君は若いし男の子だから無理も利くし、結構保つでしょ? 撮影もさせてもらうよ。きっといいのが撮れる。…楽しみだ」


 まともじゃない。


 壱輝は体温が下がるのを感じた。

 幾ら口で強気な事を言っていても、実際になればそうはいかない。恐怖で身体がこわばった。きっとこいつらは人が傷つくことになんの呵責もない。逆に快楽と思う連中だ。


 俺は──。


 ふと、大和の顔が浮かんだ。

 大和はこのことを知らない。今頃、機上の人だろう。気付いたとしても、すでに手遅れだ。


「さて。準備をしようか…」


 八野は壱輝の傍から離れると、部下に目くばせした。両脇にいた男たちが立ち上がり、そのまま別室へ壱輝を連れて行こうとする。


「や、やめろっ! イヤだっ!」


 必死に暴れるが、かなうはずもなく。

 目の前には鉄製の重そうな黒塗りの扉が迫る。音が漏れないようにできているらしいことがうかがえた。一気に身体がすくむ。


 大和──。


 と、軽いノックの音がした。


+++


「なんだ?」


 八野が反応する。扉の外でくぐもった声が聞こえた。


「さっきの男の始末は終わりました。次の始末はどうしますか?」


「次? 次なんて──」


 と、勢いよくドアが開いたかと思うと、黒い影が飛び込み、八野の足元に先ほど壱輝の頬を張った男と、それにけじめをつけようとした男らが転がった。三人とも縛り上げられ、意識がない。


「なんだ? これは──」


 言う間に大柄な壁のような男がぬっと入って来て入口に立つ。その手には銃が握られ、部下達の抵抗を封じ込めていた。

 男の銃口はきっちり、八野の額をねらっている。ちなみに銃は昏倒している男らから奪ったものだ。


「ここまでってこと。壱輝、返してもらおうか」


 その後ろから、ひょっと小柄な影が飛び出した。

 屈強なものばかりが占める事務所内では、かなり異質な人物だろう。ハードボイルドなヤクザ映画に、突然、サン〇オのキャラクターが紛れ込んだくらい異質だった。

 壱輝は顔を上げると。


「大和…」


「もう、大丈夫だ」


 そう言うと二カッと笑って、壱輝の両側にいた男たちの腹を、有無を言わさず蹴り飛ばし昏倒させる。あっという間だった。


「おまえら…」


 八野は悔しそうに歯噛みした。


「得物は床に置け。こっちに滑らせろ。手は頭の上だ」


 中には八野を含め六人。藤は次々と指図し、八野の部下を威嚇し、指示に従わせる。男たちは抵抗出来ず、所持していた得物のナイフや銃が床を滑り、藤の足元に集められた。

 大和は壱輝の手の拘束をナイフで切り解くと。


「壱輝、もう大丈夫だ。どこか痛むか? 頰、腫れてんな…」


「…大丈夫」


「そうか──っと」


 大和は思わず壱輝を抱きしめそうになって、慌てて手を止めた。嫌がったのを覚えているのだ。

 八野は藤を睨みつけ脅しにかかる。


「デカいの。お前、元鷗澤組の奴だったな…。こんな舐めたマネして、無事で済むと思ってンのか?」


 大和は藤の代わりに得意気な顔で振り返ると。


「助けはこない。警察は来るけどな? 上と話はついてる──だろ?」


 そう言って、藤を振り返った。藤は八野に銃口を向けたまま。


「そうだ。組のものはお前を助けない。今、このビルにはお前らだけだ」


「は? 何言って──」


「な。データはどこにある? 今まで撮りためた、えげつない奴。あんたを捕まえるのに必要なんだ」


 大和の問いに、冷や汗を浮かべた八野の視線が、ちらと自身の横にあるデスクの上に置かれたノートパソコンに向けられた。


「そこね。ま、だよな。で──パスワード、教えろよ」


 大和は壱輝を藤の背後から現れた楠の部下に預け、そのパソコンに向かう。それから傍らに立つ八野にもう一度目を向けた。


「誰がお前に!」


「素直に言うこと聞いた方がいいって。でないと、後悔する様な目に遭うぞ?」


「う、うるさい! ふざけるな──」


 そう言うと、八野は近くに立っていた部下のひとりを、藤の方へ突き飛ばした。


「!」


 一瞬、藤の注意が逸らされた隙に、パソコンに近づいた大和へ横から飛びかかると、背後から羽交い絞めに首に腕を回した。


「デカいの! 銃を下ろせ! でないと、こいつの首をへし折るぞ!」


 ぐっと大和の首に回された腕に力が入る。


「──っ!」


「大和!」


 壱輝は叫ぶが、藤は冷静だった。


「やってみろ。その前にお前の眉間に穴が開く」


「でもぉ、その、前、に──」


 大和はニッと笑むと、がっちりと拘束していたはずの八野の腕から、どうやったのか素早く抜け出し、鳩尾に肘鉄を食らわした。


「うっぐ…!」


 八野は痛みに身体を折る。怯んだすきに大和は反転して、股間を容赦なく蹴り上げた。それはもう、半端なく。

 漫画なら、普段上げることのない擬音が背景に描かれる事だろう。


「っ!!」


 八野は何も言えずにそこに倒れこみ、悶絶した。当分立ち上がることは出来ないだろう。手加減した様子がなかったのだから。


「藤や岳相手にはそれ、できないからさ。加減、よくわかんなくってさ。ごめんな?」


 言って、蹲る八野の脇をすり抜け、パソコンに再び向かった。


「で、パスワードは? でないと、もう一度蹴るけど。手加減なんてしねーよ。あんたのやってきたこと、知ってるんだ。その程度、問題ないだろ?」


「…っ、く…」


「えーと、何か書けるもんは──っと、あった!」


 大和がその辺から見つけたメモ帳を目の前に差し、ボールペンを持たせると、震える手でそこへパスワードを記した。

 それでパソコンにアクセスし、保存してあったデータを探し出し確認する。


「…これか」


 大和はちらと確認した後、眉間にしわを寄せ、ため息をつき。


「あとは警察に任せる…。もうすぐ到着するころだ。──あ、来た」


 と、戸口に警察と刑事と思われる男が姿を現した。

 名を柏原と言い、真琴とは友人の男だった。刑事ドラマに出てきそうな、少しやさぐれた感じのする男だ。


「おう、ご苦労さん。みんな、大人しくなってるな。それが証拠か?」


 大和は頷くと、


「そうだ。他にも探ればあると思うけど。パスワードはこれで」


 大和はメモったそれを柏原に渡す。


「ありがとう。──さて、こいつ連れてくぞ。って、おっ前、もうちょっと手加減しろよ。歩けねぇと面倒だろ? 誰が運ぶんだよ? ええ?」


 柏原は悶絶したまま蒼白になって、半ば意識を飛ばしかけている八野を面倒くさそうに見下ろした。その間に警察が置かれた薬を証拠品として、撮影し押収していく。


「天罰だって。今までの犠牲者の恨みの一発! 手加減なしで当たり前だろ? さ、行こうぜ」


 某ゲームに出てくる、ランタン片手に包丁を突き立てて来るキャラクターのマネをしてみせニッと笑むと、藤の背後で待っていた壱輝を促す。


「うん…」


 藤は銃を下ろし柏原に渡すと、大和らと共にその場を去った。

 八野はその後、当分まともに歩くことができなくなったらしい。

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