第17話 行く手

「お帰り! 壱輝」


 玄関のインタ―フォンが鳴り、壱輝が帰ってきた。俺はすぐにドアを開けて招き入れる。

 けれど、のそりと入って来た壱輝の顔色がいまいちだ。


 どうしたんだろう?


 いつもなら、チラッと見たり、ん、と小さく返事が返って来たり、ちょっとは反応があるのに。今日はそれもない。まるっきりの無反応。


「どうした。何かあったか? 顔色良くないな。あいつらと喧嘩でもしたか?」


 顔を覗き込み、矢継ぎ早に問えば。


「…違う」


 もちろん、喧嘩などするはずもないと分かっている。からかってみたのだ。

 何か言い返されると思ったのだが、壱輝はそれだけで、何も言い返しては来ない。やはり可笑しい。


「これ…」


 そう言って、壱輝は白いビニール袋に入ったものを押し付けて来た。中身がガサリと音を立てる。


「なんだ?」


 袋の口を開いて覗き込む。中に入っていた箱の絵でそれが何か分かった。コーヒーサーバーだ。欠けたと口にしたのを覚えていてくれたらしい。

 嬉しくなる。俺はすぐに顔を上げて壱輝に声をかけた。


「ありがとう。買ってきてくれたのか?」


「…ん」


 壱輝は少しだけこちらをジッと見たものの、それも僅かな事で、後は短く返事をすると、大和の傍らを通り抜け、そのまま部屋へと向かった。

 俺は袋を手に、ととっと小走りになって、そのあとを追う。


「夕飯じきだけど。先にシャワー使うか?」


「…使う」


「その、何かあったら、何でもいい。話してくれていいからな? 自分の中にため込むなよ? 話せばそこから解決策が見つかるかもしれないし…」


「…なんでもない」


 それだけ言うと、ぷいと顔を背けて二階へと上がって行った。明らかに元気がない。


 うーん、何かあったんだろうけど、無理やり聞くわけにもなぁ…。


 腕組みして上階を睨みつけていれば、ガチャリと音がして、玄関ドアが開いた。


「ただいま。大和、どうした?」


 帰ってきた真琴が、階段下で唸っている俺を見て、首をかしげている。


「あ、真琴さん。お帰りなさい。っていや、その、今、壱輝が帰ってきたんだけど、ちょっと様子が──」


 と、浴室に向かう壱輝が上階から下りてきた。真琴が帰ってきたのに気づき、ちらとこちらに目を向け、


「こんばんは…」


 小さく頭を下げて、奥の浴室へと向かっていった。俺は玄関を上がった真琴を振り返って。


「な? ちょっと元気なくないか?」


「まあ、言われて見れば…。だが、俺は毎日ここにいないからな。いつも通りと言えばそうとも見えるが…。今日はどうやって過ごしたんだ? 壱輝の友達が泊りに来ていたんだろう?」


「そう。昨日、金曜日に来てさ。今日の昼は近くの公園に、サンドイッチ作って持って行って、食べたんだ。みんな満足して帰って行ったと思うんだけど…」


「何かあった訳じゃないんだな?」


「多分…」


「じゃあ、その後に何かあったのかも知れないな。が、本人が話してくれない事には何もわからないな」


「そうなんだ。後でもう一度、さりげなく聞いて見ようと思うけど…」


 あまりしつこいと、余計に頑なになって話さないだろう。さて、どうやって糸口を掴もうかと考えていれば。


「あの様子だと、大和に素直に話すかどうか…。俺から聞いてみるか?」


「うむむ。ちょっとずつ、心は開いてくれているんだけどなぁ。確かに、あの様子だと俺には話してくれなさそうだしな…。頼んでもいいか?」


「大和がいいなら」


「うっし。けど、無理そうだったらいいからな?」


「ああ、分かった」


「あいつが出たら、真琴さんもシャワー浴びるか? 夕飯までには時間あるし」


「そうだな。そうしよう」


「よし。じゃ、とりあえず休んでよ」


「ああ、そうする」


 真琴は着替えるためにいったん部屋へと戻った。


+++


 真琴が自室で着替えてからリビングへ戻ってきた。

 今晩の献立はカレーだ。俺はキッチンで最終調整中。亜貴はリビングのテーブルで、初奈の勉強を見ていたが、真琴が部屋に来るとすぐに顔をあげ、


「おかえり。真琴」


「お帰りなさい…」


 小さな初奈の声が亜貴の後に続く。

 初奈はここへ来たばかりの時より、すっかりここへ打ち解けた気がする。ことに、亜貴には良く懐いていた。


「初奈、今日は公園に行ってきたんだって? 楽しかったか?」


「うん。楽しかった」


 真琴の問いに満面の笑みだ。傍らの亜貴も笑顔で初奈を見ると。


「サンドイッチもほとんど一人で作ったもんな? 俺なんて、具だってろくに挟めないのに…」


「そうだよな? 亜貴ってほんっと、料理はだめだよな? それで医者は大丈夫なのか?」


 俺の言葉に亜貴はムッとした顔になると、


「大丈夫。それはそれ、これはこれだもん。そういう時は、ちゃんとやれるんだって。だいたい、料理は作ってもらった方が美味しいんだよ。初奈のサンドイッチも、ホント、美味しかったよ? 具を挟むのだって、割合とか位置とか、塗り方とか。センスがないと美味しくないもん。バランス取れてたよ?」


 初奈は顔を真っ赤にして、宿題のプリントに視線を落とし。


「ありがとう…」


「また作ってね」


 傍らの亜貴がそう言って微笑む。最上級の笑みだ。


 いや。亜貴。それってどうなんだ? 初奈、落そうとしてんのか? 


 そう言いたくなる笑みだった。鈍い俺が見ても、初奈は幼いながら、亜貴を意識していると思うのだが。

 真琴はそんなやり取りを横目に、着ているシャツの袖を捲ると。


「仲が良くていいことだ。大和、何か手伝おう」


「いいって、いいって! もうじき、壱輝もシャワー浴び終えるし。休んでていいよ。もうあとは盛りつけて終了だ」


「じゃあ、盛り付けを手伝おう」


 真琴はなんとしても手伝いたいらしい。俺は根負けした。そんな真琴に笑うしかない。


「じゃあ、サラダの盛り付け頼む。そこのサニーレタスと赤玉ねぎと、水菜をまぜて置いてくれるか? 盛りつけたらそこのクルトン、上からかけてくれ」


「了解」


 そうして仲良く並んでキッチンカウンターに立っていれば、壱輝が戻ってきた。タオルで髪を拭きながら、どっかとリビングのソファに座る。

 俺は手を止めず、そんな壱輝に目を向け。


「壱輝、ちゃんと髪乾かせよ? 真琴さん、シャワー行ってきてくれ。後はやっとくから」


「わかった。サラダはこれで終わりだ」


「ありがとうな」


 すっかりサラダは出来上がり、あとはドレッシングをかけるのみだ。

 カレーはカレー粉から作ったものだ。とは言っても、凝ったものではなく。

 具材を煮た中に、別にいためて練ったルーを混ぜていくのだ。ルーには調味料として、カレー粉のほかにソース、ケチャップ、醤油、最後に味噌が入るのが隠し味だろうか。

 これは岳はじめ、真琴も亜貴も好きなものの一つだ。いい香りが部屋中に漂う。


「じゃあ、シャワーに行ってくる」


 真琴は戻ってきた壱輝の代わりに浴室へと向かった。


+++


 真琴は浴室に直行する。

 いつもは部屋に行って着替えを手にしてから向かうが、今日は既に着替えていた。

 下着の類は脱衣所にある専用の棚に、それぞれの名前入りのカゴがあり、そこに入れてある。

 これだと、各々の部屋に持って行く必要がないから楽なのだと、大和の提案でそうなった。

 真琴が脱衣所に入ると、着替えを入れるカゴの中に壱輝の忘れ物があった。パーカーだ。上に着るつもりで持って来たのだろう。

 先に届けようかと思ったところで浴室のドアが唐突に開く。真琴がそこにいたのに気づいてはっとした様だった。まだ来ていないと思ったのだろう。


「パーカーを取りに来たのか?」


「そう…」


 そう言って、壱輝は中に入ってくると、真琴が差し出したグレーのパーカーを受け取った。と、すぐに出ていこうとした壱輝に。


「入る前にノックだな。ここには初奈の他に異性はないが、一応礼儀として次からは気をつけろよ?」


 壱輝は真琴の言葉に小さく頷いて見せた。と、その出て行こうとした背中に向けて、


「──そう言えば、今日は公園を出た後、なにかあったのか? 大和が元気がないと心配していたぞ」


「…別に」


「大和にもそう答えた様だが。確かにどこかいつもとは違うな? 大和には話せなくとも、俺には話せないか? 俺はこれでも弁護士をしている。それに、大人だ。何か面倒ごとがあるなら、ある程度力になれるが…」


 すると、壱輝はピクリと肩を動かしたが。


「…話したって、どうしようもない…。どうせ、あんたらには何もできないから」


 そう言うと、浴室から出て行こうとする。真琴は更にその背に向けて、


「ヤクザに絡まれているのか?」


「…!」


 その言葉に立ち止まった壱輝は驚いた様に振り返った。どうやらビンゴらしい。真琴は腕組みし、


「君の素行が気になって少し調べさせてもらった。それで情報を得た。高校に入ってからも付き合いがあるだろう?」


 壱輝はくっと握りこぶしを作ると。


「…だからなんだよ? ここから出てけってか?」


「ふ…。それなら、俺も岳も亜貴も、ここを出ていかないとな。だが今はその話しじゃない。君の話だ。そのヤクザ者と何かあったのか?」


 真琴はその後、楠を頼り壱輝がつるんでいる少年らがたむろしている店を見つけ出し、その辺りを仕切るヤクザを探した。

 すぐに情報を得られる。そこは楠の組が管理している地域で、彼らが利用する店もそのうちの一つだったのだ。

 わりと若い連中が集まるバー。風紀はけっして良くはない。そこを壱輝も遊び場としている様だった。

 そして、見回りと称してそのあたりをうろつくヤクザを見つける。八野という下っ端だった。

 撮られた写真には、金色のメッシュを入れた髪に、ひょろりとした優男が写っていた。派手な赤いシャツに黒いパンツ姿。柄はもちろんいい訳がない。

 小遣い稼ぎに、違法な薬を若者相手に売って儲けているとの話しだった。暴力沙汰もしばしば。男女構わず暴行も働いている様だった。いい噂は聞かない。

 この男に、薬でも買わされそうになったのか。──それとも。


「…あんたたち、何者なんだ?」


 壱輝の顔には不審の色が浮かぶ。それはそうだろう。一般人がヤクザと繋がる事はまずない。

 仕方なく真琴はかいつまんで経歴を語った。岳と亜貴、真琴の過去。ここへ住むことになった理由。そして、今はすっかり過去とは決別していると言う事。

 だが、全て縁が切れたわけではない。

 元鷗澤組の組長、岳の父きよしも、健康に不安はあるものの、今も岳の母、波瑠と一緒に過ごしている。元岳の部下である楠とはこうして何かあれば頼る仲だ。

 だいたい、切りたくとも早々切れるものではないのだ。何かと過去の経歴が関わってくることが多い。

 大和に至っては、その道の重鎮と、岳公認の上ではあるが時々デートと称して会っている始末だ。


「──過去は過去。今はもう、終わった話だが、顔が効かないわけじゃない。君になにか面倒ごとがあるなら、手助けはできる。その連中が二度と手を出してこない様にすることもな?」


「本当に…?」


 迷う様な不安気な表情。壱輝の顔に初めて年相応の表情が浮かんだ。


「ああ。幾ら下っ端とは言え、ヤクザ者なら上の言うことは絶対だ。勝手なマネはできない。彼らとて、自身が可愛いだろう。そこにいられなくなるような事態は避けたいはずだ」


 すると壱輝は唇を噛みしめた後。


「…俺、あいつに、八野って奴に、一度襲われたんだ。無理やりだった…。多分、飲んだアルコールに薬を入れられてて…」


 やはり──と思う。壱輝は白金色に抜かれた髪を揺らし、顔をあげると。


「そのあとも、何度も誘われたけど、もう会うつもりがなかった。ここに来る前も連絡があって。けど無視してた…。そうしたら、暫く連絡がなくなって。もう終わったと思ったんだ。それが昨日、一緒に八野の所でつるんでた連中に会って…」


「会いたいと?」


 壱輝はこくりと頷いた。


「あいつ、やってる最中、撮影してたんだ…。そうやって、男女かまわず気に入った奴との行為を撮って縛って…。本当にデータ売られた奴もいる…。噂では聞いてた。けど、自分がターゲットになるとは思ってなかった…」


「そのデータを取り返し、処分して、二度と君に近づかない様にもできる」


「できるのか?」


 壱輝が縋るような表情を見せた。


「ああ、だが条件がある」


「…なに?」


 途端にその表情が曇る。大人を信用していない顔だ。


「そう、難しいことじゃない。そう言った連中と今後付き合うのをやめるんだ。それが条件だ。君の為でもある。それに大和も安心できるだろう」


「……」


「どうだ? できそうか?」


「…出来る。もう…、やめる。──やめたい…」


 壱輝は俯くと小さな声でそう口にした。

 心の声だと思った。

 いつもの大和への対応が嘘のよう。真琴は穏やかな笑みを浮かべると。


「…わかった。ただ、すぐにとはいかない。この問題が解決するまで、連中と会うのはもちろん、奴らの行きそうな場所には二度と行くな。ここと学校だけを行き来するように」


「分かった。でも…。本当に出来るのか? だってあいつ、しつこいんだ…」


「大丈夫だ。そこは信用していい」


 真琴は笑むと。


「君は普通の高校生に戻れ。これからは自分を大事にするんだ」


「……」


 壱輝は黙って真琴を見つめた。


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