第14話 ピクニック
次の日、壱輝ら三人は九時近くになっても起きてこなかった。亜貴に至っては、きっともう少しかかるはず。
あえて起こしには行かない。せっかくの休みなのだ。ゆっくりしていればいい。
ただ、初奈はきちんと起きてきて、八時には朝食を一緒に取り、好きなテレビ番組を見た後、リビングで学校の授業の予習をしていた。
俺は洗濯物を干し終え、一段落したところ。今日はいい天気で。テラスから空を眺めれば、秋口の爽やかな風が頬を撫でて行く。
岳は今、どうしているんだろう。
部屋に戻り冷蔵庫に貼られた日程表を眺めた。あれからひと月経つ。残りあとひと月。
まだあちらは早朝のはず。いまだ眠りの最中だろうか。それとも、起き出している頃か。
朝のひとコマ、ベッドの中、岳とのやり取りを思い出す。
朝の気配に目覚めると、先に起きていたらしい岳が、ジッとこちらを見つめている事が時々あって。視線が合って、照れた俺はその懐にゴソゴソと潜り込むのが常だった。
ああ。恋しいな。
大抵は俺の家事が終わる、夜九時ごろ岳から連絡が入る。向こうは夕方の六時頃だ。
今の状況を簡単に知らせてきて、こちらの様子も尋ねてくる。
今の所、撮影のための移動は順調らしい。ただ、道などろくに舗装されていないから、トラック移動となるとあちこち身体をぶつけてかなりのストレスらしかった。
遠い岳を思う。一緒に行けたなら、どんなに楽しかったか。しかし、今未練タラタラ思っても仕方ない。どうせなら、こっちも楽しまねば。俺はふと思い立ち。
「初奈、今日は散歩行くか?」
「?」
驚いて初奈が顔を上げた。
「近くにいい公園あるからさ。そこで散歩がてらランチするか? 小さい動物園もあるんだぞ? 行くか?」
「行く」
嬉しそうに笑んで答えた。
可愛い。可愛すぎる…。
くうっと心の中で声を上げながら、ぐっと拳を作ってそれを突き上げた。
「よっし。じゃ、サンドイッチ作るな? あ、初奈も作ってみるか?」
初奈の顔が更に明るくなった。
「うん…!」
うお、元気な返事だ。
いつか、亜貴が言っていた。本当に嬉しいと感情が出るようになったと。これがそうだと思いたい。
早速、別に買って冷凍してあった食パンを取り出す。いつもはホームべーカリーで焼くのだが、今回は人数が多いからと、もしもの為に近所のパン屋で買ってあったのだ。
既に切り分けられているから便利だ。具材を入れて暫く置けば解凍するだろう。
「具材はなにがいい? ハムもチーズもあるし、ベーコンもあるな。ツナサンドも作れるぞ。クリーム系は溶けちゃうから、甘いのはジャムにでもしとくか…。クリームチーズがあるからそれ挟んでもいいなぁ」
「…全部、作ってみたい」
初奈の初めてのおねだりだ。俺は嬉しくなって。
「おっし! いいぞ。じゃあ先にレタスを洗うか」
「うん!」
そうして、昼のサンドイッチ作りに取り掛かる。
ハムは前に作り置いておいた鳥ハムだ。きっちり水分を取ったレタスを、からしマヨネーズを塗ったパンにはさみ、次にチーズ、ハムをのせていく。人参の細切りを少々挟んで、黒コショウを振りかけて、水に晒して、水分をこれまたきっちりとった玉ねぎをちらし、またチーズにレタスをおいて──。
そうして、初奈とともにサンドイッチを作っていれば。
「おはよう…」
先に起きてきたのは亜貴だ。
寝起きのスウェット姿のままなのに、なぜか決まって見えるのが怖い。
っとうに。
成長を見せるにつけ、より容姿に磨きがかかってきた気がする。男っぽくなってきたのだ。きりりとした美形はただの医学生にしておくのはもったいない気もするが、本人はそれ以外に興味がないから仕方ない。
その亜貴が休みのこの時間に起きてくるのは珍しい。
「あー、まだ眠い…」
そう言ってからぐんと伸びをして見せた。
「亜貴、今日は良く起きてこられたな? いつももっと寝てるのに…。初奈もびっくりしただろ? 初めての休みの日、誰も起きてこないからさ」
俺は初奈に耳打ちする。
ここへ来たばかりのころ、大和以外、誰一人起きてこず、きょとんとしていた初奈を思いだす。
それぞれ、仕事や学校で疲れているのだ。休日はゆっくりさせているのが常だった。
「だって、心配だもの。あいつらの事、大和だけに任せておくのは」
「何だぁ、頼りねぇって?」
「違うよ。俺がそうしたいだけ。真琴に言われたからじゃなくてね。大事な大和が心配なだけ」
そう言って口元ににこりと笑みを浮かべて見せる。
凶悪な笑み。君にだけって奴だ。まるで少女漫画の主人公ばり。免疫がない奴なら、即恋に落ちるだろう。
だが、残念ながら俺には効かない。岳の溺愛する可愛い弟が、にこりと笑んだだけの事。
「なに? 昼、サンドイッチ?」
キッチンに入って来た亜貴は、俺と初奈の手元を覗き込む。
「そ。散歩がてら公園で食べようと思ってな。ついでに動物園に初奈と行ってくる。亜貴も行くか?」
亜貴は期待を持って見上げてくる初奈と目が合い、クスリと笑った後。
「行くよ。いつも昼過ぎまで寝てるから。たまにはいいかも…。そう言えば、今週、真琴は来ないの?」
「いや。今日の夕飯には間に合うように来るって言ってな。てか、あいつら、今日どうすんのかなぁ」
夕飯の献立をどうしようか考える。
「どうだろ? 今日、このまま帰るんじゃないの?」
そうこう話していれば、三人揃って起きてきた。入れ替わりに亜貴は洗面所に向かう。ついでにシャワーも浴びるのだろう。俺は三人を順繰りに見ながら、
「おはよう。よく眠れたか?」
「眠れましたぁ。あー、お腹減ったぁ…」
知高が眠たげに眼をこすりながらも、食卓に着く。俺は後を初奈に任せると、先に朝食準備に取り掛かった。
みそ汁を温め直しながら、ご飯をよそう。テーブルの上にはふかふかの卵焼きとボイルしたウィンナー、各自にサラダが置かれている。
「布団、あのままでいいんですか?」
翔がすかさず尋ねてくる。
「おう。そのままでいい。どうせまた広げるからな。今日の予定はどうなってるんだ?」
すると、知高と翔は顔を見合わせ。
「特に決めてないな…。どっか行く?」
「今回は泊るのが目的だったし。目的は達成したな?」
特に予定はないようだった。
おっし、じゃ。
「一緒に公園でランチするか? 初奈と亜貴とでその予定なんだ。まあ、無理にとは言わないけどな」
知高は今、初奈が作っているサンドイッチに目を向けてきた。
「それもって?」
「そ。お前ら行くなら量増やすけど」
翔は壱輝をみた。
「どうする? そこで解散する?」
「どっちでも」
「なら、ついでだし公園散歩して帰ろうぜ!」
知高が賛成して、それで決まりとなった。
+++
公園ランチは盛況だった。
のんびり小さな公営の動物園を見て回った後、木陰にシートを広げてサンドイッチランチとなる。
壱輝は知高と翔とともに、近くの芝生の上に直に座って食べ始めた。シートには俺と亜貴と初奈。
具材は殆ど初奈が挟んでくれた。ラップに包んだままそれを切って。大きなタッパーに分けていれたそれは、見た目にも華やかだった。
「上出来だな。初奈」
そう声をかければ、初奈はニコと笑う。
「おい、ラップまで食うなよ?」
俺は壱輝に注意を促した。薄っぺらいラップはともすると誤って一緒に食べてしまうこともあるのだ。
「子どもじゃねぇし。大丈夫だっての」
壱輝はいつも通り。昨日の──嫌いな訳じゃない──には驚いたが、態度はいつもと変わらない。早々に変われるものでもないだろう。
それに、本人としてもそっとしておいて欲しい所かもしれない。十代は繊細なのだ。
ほんっと、初めは小憎らしい奴だったけど。
今にして思えば、素直になれずにいただけだったのだ。天邪鬼な感じか。
このまま、まっとうな道を進んで欲しい所だ。知高や翔のような友だちとつるむならいいが、それ以外のあまりよろしくない友人、知人らとは距離を置くべきだろう。
どういう奴らと付き合ってるかは分かんねぇけど。
酒に煙草にアルコール。嫌な臭いがプンプンする。暗くただれた世界の匂いだ。以前に岳たちが属していた世界のもっと下の方に近い匂い。
「大和。壱輝と何かあった?」
傍らに座る亜貴が声をかけてくる。
初奈は食べ終えて、傍を通りかかった散歩中の小型犬を触らせてもらっていた。トイプードルだ。もくもくとした縮れ毛が気持ちいいのか、何度も撫でさせて貰っている。
なぜ気付いたんだろう?
俺の考えていることは、表情や態度にダダ漏れらしいのだが、自覚はない。
俺はドキリとしつつ。
「うん。まあ、な…。あると言えばあったような、ないような…」
「ちょっと。黙ってるの無し。どんなことでも目を光らせろって真琴に言われんだから」
「真琴さん…。行き過ぎだって。別に、ただちょっと心を開いてくれたかなって」
「具体的に」
亜貴は引かない。俺はしぶしぶ、昨晩壱輝とのやり取りを話した。
「な? 別に微笑ましいだろ? 『嫌いなわけじゃない』ってさ。いやー、なんかジンときちゃったよ。俺、本当にうるさくしてたから、絶対好かれてる気はしてなかったからさ」
しかし、亜貴はため息をつき首を振ると額に手をあてた。
「…ああいうタイプは、構ってくれた方が嬉しいんだって。てか。それって、要注意」
「は? なんでだよ?」
「そう言うのが始まりだから。人を好きになる」
「って、もう俺のこと好きになってんだろ?」
「大和の言う好きならいいけどさ…。前例、あるでしょ?」
じとっと亜貴が睨んでくる。
前例。前例…。
けど、大希の時は、流れでそんな状況になっただけで、そう言った意味で好きだったとは聞いていない。
けど、七生の時は、なぜかもう好きになられていたようで、きっかけはなかった気がするが。
すると亜貴はふうっとため息をつき、前髪をかき上げると。
「俺。最初、大っ嫌いだっただろ? 大和の事。兄さんが無理やり連れてきたハウスキーパー。早く出てけって思ってた」
「あーあーあー。そうだった、そうだった…」
すっかり忘れていたが、そうだった。
亜貴には嫌われていた。けれど、一緒に過ごすうちに打ち解けてくれて、事件もあって、余計に俺に気を遣うようになって。
「俺がいまだに好きだっての、忘れないでよ?」
「そ、それは…」
亜貴はぐっと顔を近づけると。
「兄さんがいないんだ。ちょっとくらい、手だしたくなるんだ」
そう言って、シートについていた俺の手の甲に指先で触れてきた。なぞるような触り方が意味深だ。
おいおいおい。
「亜貴…。やりすぎだ」
「大和、顔真っ赤…」
耳元でそう囁いて笑う。
う、完全にからかわれている…。
と、はたと視線を感じた気がして顔を上げれば、三人がこっちを見て固まっていた。
いや、固まっていたのは知高で、翔はニヤニヤ笑い、壱輝はむすっとしていた。とにかく、見られてはいた。
「ほら! みんな、お茶飲むか? あったかい紅茶入れてきたんだ! 美味しいぞ!」
わざとらしいくらい大きな声を上げて立ち上がると、亜貴の傍からささっと離れる。
いつか、岳が不在だった時も、真琴と亜貴とで俺を気遣ってくれたことがある。あの時も、やたら亜貴は岳と声が似ていて、困ったのだった。
成長を見せてさらに声が似て来ていて。寂しいときに、それはかなりきつい。もちろん、よろめくことはないのだが、余計なリクエストをしてしまいそうで。
皆に紅茶をふるまいながら、ふと亜貴を振り返ると、顎に手をあてじっとこちらを見つめていた。目が合うと口元が動き、声を出さずに言葉を伝えてくる。『いくじなし』と。
おお? なんだ? 意気地なしとは! これはそう言う問題じゃないだろう?
うぐぐと言いたい言葉を飲み込み、顔を真っ赤にしたまま皆に更にサンドイッチを配ったのだった。
「初奈、楽しかった?」
「うん」
亜貴の問いに素直にうなずく。
知高と翔はそのまま帰って行った。壱輝はそれを送ってくると一緒についていき。帰りは俺と亜貴と初奈だけとなる。
亜貴の傍らで嬉しそうだ。こんな可愛いなら、もう一人、二人いてもいいくらいだ。
「また、来ような?」
俺がそう言えば、またうんと頷いた。
空を見上げれば随分高く見えた。羊雲も現れている。秋は深まりを見せていた。風も以前よりひんやりとして感じる。
今、岳はどうしているんだろう?
空の向こう、彼方の岳を思った。
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