第24話 渦中
人生の悩みのほとんどは人間関係の悩みであるという。私はその考えにおおむね賛成である。一見人間関係の悩みでないように見えても、根本に人との関わり方という問題がある気がする。私自身も、生まれてこの方常に自分と他人との関係に悩み続けてきたように思う。でも最近、気が付いたことがある。それは、人を傷つけるものと人を救うものは案外同じものなのではないかということだ。人間関係の悩みで生じた傷は、人に相談し、人と関わることでしか解決できない気がしてきたのだ。精神科に行って薬をもらうことよりも、見知らぬ人と話し、語り合うことのほうが、よっぽど高温で私を救ってくれるような気がした。そもそも私は、医学というものをあまり信じていない感がある。東洋医学はもちろんのこと、西洋医学も、割と気休め程度のものなのだろうと思ってしまっている節がある。自分のことしか信じたくないのかもしれない。自分以外の物を基本的に懐疑的な目で見ているところがある。でも私は、人が好きとかいう人は胡散臭くて嫌いだし、人に救われることがあるという事実を意地でも認めたくない。
分かっていてもできないことというのはよくある。自分が考えすぎであるとか、気にしないほうがいいとか、そんなことぐらい、誰かに言われずとも分かっている。しかし、できなくても、そうであると意識し続けることが大切だと思う。というか、意識し続けることしかできない。
私は、物事の渦中にいるとき、物事を人に言えない傾向にある。中学生の時の悩みは高校生ぐらいになってから言えるようになった。好きな人のことも、次の好きな人ができてからしか言えない。どうしても言語化できるようになるまで時差がある。もしかすると、言語化は渦中にいるときでもできるのかもしれないけれど、ただ、反応が怖くて、渦中にいるときは、偏った考え方しかできなくて、溺れているのだ。溺れているという表現がぴったりしっくりくるように思う。いつも、窒息しそうになっている。生きることに窒息しそうになっている。俯瞰で見られるようになるまでかなりの時間を要するのだ。でも、最近は、リアルタイムで文章化できるようになって時差が少なくなっている。現在進行形で語れるようになったことは、前進していることの証な気がする。
本を読むとか、ドラマを見るということは、自分を知ることでもあるのだと思う。前まで、あまり同じ作品を二度見るということをしなかったのだが、最近はよくするようになった。今日、二年前くらいに見たドラマを再度見たら、全く違うところが目について自分の人生経験が増えたことを身に染みて感じた。というよりも、自分が成長できていない気しかしないので、ドラマを見ることで、その着眼点が変化していることを無理やり確認することで、自分は間違いなく前進していると自分に言い聞かせたかったのかもしれない。
全身麻酔 @Ahbon
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