5―7 ノイエス・ムスター 新しい模様

 破氣が完全回復した恋音は、目を閉じて銀色の櫛に破氣を注ぎ込んだ。そこへゾンダーゾルダートの兵士たちがなだれ込んできた。意凛は少し離れた所で見守っている。

「悪いけど。生き残らなきゃならない理由ができたんでね」恋音は唇を舐めた。左の頬が真っ赤に腫れ上がっている。でも、顔色は最高にいい。髪は艶々のダークブラウンだ。「君たちには死んでもらう」

 アオフタクト……。

 顔の前でクロスに構えられた銀色の櫛は、恋音の呟きと共に光り輝きながらリュラ竪琴へとメタモルフォーゼした。

 素早いグリッサンドで掻き鳴らされる弦の響きに乗って、病み上がりのオイテルペのキルシュブルーテン・ヘイヒャータンツ桜扇の舞が唸りを上げて巻き起こった。全方位に薄紅色をした光の花びらが乱れ飛ぶ。出し惜しみはしない。いくらでも回復させてあげるよ、と意凛が言ってくれたから。

 想いを秘めた女の子との熱いキス&ビンタ一発で、気合い爆発! 完全回復だ。

 すべての敵を片付けて一息ついた恋音の耳に、聞き覚えのある声が窓の外から届いた。

「オイコラ、ボケナス。今の破氣お前やろ、恋音。生きとったら返事せえや、アホんだら」

 恋音は左手を額に当てた。一つ息をついて、海王に叫び返す。

「もうちょっと言い方があるだろ、海王。せっかく可愛いのに台無しだぞ」

「こら……」海王は突然、アニメ声になった。「誰が美少女魔法少女戦士少女なのよ……。そこにいるのね、恋音クン。合流よ。はあと」

「よかったね、恋音」

「うん。でも、今度こそお別れだね。意凛のおかげで、僕の足も一応、歩ける程度には回復したし」

 意凛は窓に寄った。海王に見つからないよう、慎重に外を覗く。

「あ、後ろから私の友軍の兵士が忍び寄ってる。二人。でも海王さん、気づいてないみたい」

「あのボケ……いかん、口調が移ってきた。海王、後ろーっ!」

 海王と二人の敵が窓を見上げた。いや、もう一人いる。

「お? その気配は意凛だな。そんな所にいたのか。僥倖である! その辺にシュニッターの隊員が一人潜んでるという情報がついさっき入った。だから……」

「だめ、だめよ」

 意凛は必死の形相で奇左衛門を止めようとしている。

「何が? いつも通り、普通に命令するだけだよ?」

「だからやめて、私に命令しないで」

「なんだそりゃ。私、上官だよ? 命令してナンボの商売の。まあねえ、君は小さな頃からの知り合いで、しかも妹の親友だったから、なるべくなら頼みは聞いてあげたい。でも今は作戦行動中だから」

「お願い。今だけは、今だけは、命令しないで、キサラさん!」

「……今の私は奇左衛門なのだよ、意凛。それに、あっちもこっちも手一杯でね、ここをさっさと片付けて応援に行かなきゃならない。というわけで。意凛、そのマンションに潜んでいる敵を見つけ出して……」

「嫌、やめてー!」

 意凛は叫んだ。

「殺せ」

 意凛の体が、ビクン、と震えた。恋音の方を振り返る。その瞳は空洞のように虚ろだ。恋音は苦悶の表情を浮かべた。

「恋音クン。早く来て。干しイカのストックがもうないの。一人では辛いわ」

「意凛」恋音は静かに語りかけた。「僕は仲間を見捨てられない。でも、君にも死んで欲しくない。どちらか一つなんて選べない。だから」

 恋音はリュラを顔の前で構えた。

「この一撃を、僕は本気で放つ。意凛も全力で来い。僕が勝てば仲間を助ける。でも君は死ぬ。意凛が勝てば僕と仲間は死ぬけど、君は生き残って隊長の下に戻れる。いいね、勝負だ」

「恋音クン……。私、結構やられちゃってる。お願い、早く……痛っ。恋音クン……恋音……コラ、何さらしとんじゃ、ワレ。さっさと来んかい。痛っ。マジでヤバいっちゅうねん、はよせえやボケ。女と遊んどんちゃうやろな。くっ……痛いんじゃ、クソが!」

 正面から見つめ合う恋音と意凛。どちらの額にも汗が浮いている。外の喧噪とは無関係に、しん、とした静寂に包まれて、時が止まったかのように動くものはない。

 音もなく、天井から小さなコンクリート片が落ちてきた。二人の中間あたりの床で跳ねた。

 意凛はダッシュと同時に、高周波レーザーブレード式の秋影刀を構えた。一気に恋音に迫る。

 恋音は歯を食いしばって震えながら、残っているすべての破氣をリュラに込めた。目を閉じて、弦を一本だけそっと弾く。あらん限りの力を一点に収束させた必殺のシュヴァイゲンス・プファイル沈黙の矢が、静かに放たれた。

 意凛は高エネルギー体となったシュヴァイゲンス・プファイルをもろに受けて仰け反りながらも足を止めずに突進し、手にした秋影刀を恋音の左胸に根本までめり込ませた。二人はそのまま静止した。

 やがて、意凛はその場に崩れ落ちた。恋音は自分の胸を見つめている。

「なんだよ……。なんだよこれは。意凛、ブレードを出していないつかなんて、ただの短い棒だぞ。びっくりナイフじゃあるまいし」

「……刀身の起動スイッチを入れるの、忘れたみたい。間抜けね、私」

「全くだ。僕と同じだな。君ならそんな手段を使うかもしれないと、なぜ気づかなかったんだろう」

 意凛は秋影刀の柄を震える手で差し出した。恋音は意凛の傍に跪いて、しっかりとそれを受け取った。

「私たちは、きっと……」

 力を失った意凛の手は、冷たいコンクリートの床に落ちた。

 恋音は優しく意凛の胸に覆い被さった。意凛の体には、まだ温もりが残っていた。どちらも戦闘服を着ているので、人肌、ではないけれど、意凛の命の残滓を、恋音は噛みしめるように全身で受け止めた。

「僕らは、分かり合えたはずなんだ」

 零れ落ちた涙が、意凛の赤と黒の迷彩戦闘服に新しい模様を広げた。

「コラー、恋音。はよせえ言うとうやろ。いてまうどボケ。あ、夜月や。あんた、もうええわ」

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