プロローグ~サキ編~
1
吉田の働く施設にサキがこの施設に来たのは、半年ほど前だった。
吉田が最初にサキを見たときの印象は、地味な女の子だった。黒髪ではなく茶色に染めたような少し明るい色の髪を後ろでひとつに束ねていて、眼鏡の奥の表情には覇気がない。新人らしい緊張感も薄く、どこかぼんやりとしているように見えた。
「今日から入るサキさんです。みなさん、よろしくお願いしますね」
施設長がそう紹介すると、私たち従業員は適当に相槌を打った。
吉田はこの施設では一番下っ端だった。吉田の後にも何人か後輩が入ったが、介護職は人の入れ替わりが激しい。仕事はきついのに給料は安く、休みも少ない。新人が入っても、すぐに辞めるのが当たり前だった。だから、新しい人が入るたびに「またすぐいなくなるんでしょ」と思うようになった。
この職場は弱い者いじめが常態化していた。新人が入ると先輩たちのいじめの矛先は一瞬だけ新人に向くが、その新人が辞めると吉田も元に帰ってくる。今回もしばらくの間いじめが収まるだけだと思った。
けれど、サキは違った。驚くほど、辞める気配がない。無愛想なわりに仕事は覚えるのが早く、指示すれば淡々とこなす。ただ、それだけならいい。驚いたのは彼女が周囲の態度にまったく動じないことだった。
「サキさん、昨日の申し送り、ちゃんと聞いてた? この利用者さん、食事の形態変わったの知ってるよね?」
ある日、いじめのリーダー格でもある主任がわざと棘のある口調でサキを問い詰めた。もちろん、サキが申し送りを聞いていたことは知っている。でも、誰かを責める空気を作るのは簡単だった。
「はい、知ってます」
それだけ言って、サキは普通に配膳を続ける。言い訳も謝罪もない。ただ、知ってるから変更点に気を付けながら仕事をしているという事実だけを返した。
他の職員たちも、それを見て微妙な表情を浮かべていた。普通なら、新人は少し慌てるものだ。あからさまに責められれば、萎縮するか、慌てて弁解するか、どちらかの反応をするのが普通だ。
でも、サキは違う。
何か言われても気にしない。陰口を叩かれても気にしない。無視されても気にしない。そもそも、いじめに気づいているのかどうかすら分からない。
サキは"いじめ"というものを、根本から無視していた。
2
サキは、いつも髪を後ろでひとつに束ねている。ポニーテールと言うには雑な結び方だったけれど、それでも動くたびに毛先が馬の尻尾のように揺れる。それが、ほんの少し茶色っぽい。
「ねぇ、サキさんってさ、髪染めてるの?」
休憩時間、いじめチームの切り込み隊長のような存在である田村が、わざわざサキの隣に座って声を上げた。田村はこの職場での空気を作るのが上手い。吉田より二年くらい先輩なだけだが、周囲と適度に馴染みながら、いじめの輪に加わるタイプだった。
吉田も、田村も、そして周りにいた職員たちも、サキがおそらく髪を染めていないことはわかっていた。でも、こういう言いがかりは、いじめの入口としては手頃だった。
「染めてないよ」
サキは、淡々と答える。
「でも、なんか茶色くない?」
「地毛だよ」
「へぇ、でもさ、うちの施設って、そういう髪色ダメなんじゃなかった?」
田村がわざと困ったような顔をする。実際、施設の規則に「髪を黒くしなければならない」なんて決まりはない。『介護職なんだから、清潔感は大事』という暗黙のルールはあった。
「地毛でも、周りが不快に思ったらアウトなんじゃない?」
「……へぇ」
サキは、一瞬だけ田村を見た。驚きも、怒りも、苛立ちもない。ただ、少しだけ「意外だな」という顔をして、それきりだった。
普通なら、ここで「そんな決まりないですよね?」とか「地毛なのに黒く染めろっておかしくないですか?」とか、何かしらの反応があるはずだった。
でも、サキは何も言わない。
「へぇ」
それだけ呟いて、さっさと昼食の弁当のフタを開ける。まるで、どうでもいい雑談を聞き流したかのように。
田村が、少しむっとした顔をしたのがわかった。
「……まあ、私たちは別にいいけどさ、利用者さんがどう思うかって話だよね」
「ああ、そう」
サキは適当に相槌を打ちながら、コップに入っていたお茶を飲み干した。その態度に、田村が完全に固まるのがわかった。
吉田はその様子を見ていて、正直戸惑っていた。普通なら、この空気に耐えられなくなって「すみません」とか言うはずだった。反論しなくても、少しは動揺するはずだった。でも、サキは違う。本当に、気にしていない。
吉田は仕事中にサキと二人きりになったタイミングで、声を掛けた。
「……ねえ、あんたさ」
質問するというより、思わず口を開いていた。言葉が勝手に出てきた。苛立ちとも違う、もやもやしたものが胸に広がって、気付いたら問いかけていた。
「なんで、何も気にしないの?」
サキは日報をキーボードで打つ手を止めると吉田を見た。その目は、思ったよりも澄んでいて、まるで「質問の意味がわからない」と言いたげだった。
「……興味ないから」
サキは短く、そう答えた。
3
「……興味ないから」
サキの言葉は、あまりにもあっさりしていた。まるで、本当にどうでもいいことを聞かれたかのように。
「興味、ないって……あんた、自分のこと言われてんのよ?」
吉田の言葉に、サキは少しだけ考えるような仕草をした。けれど、すぐに「うん」と頷いた。
「そうだね。でも、だから何?」
サキはそう言うと、吉田から視線を外し、再びパチパチとキーボードを打ち始めた。
だから何――?
その言葉に、吉田は息を呑んだ。あまりにも、想定外だった。普通なら、何かしらの反応があるはずだった。弁解するか、逆に開き直るか、あるいは少し傷ついた顔を見せるか。でも、サキは違う。ただ事実を受け止めて、それに対して何の感情も抱いていない。
「でもさぁ、普通、嫌じゃない? いろいろ言われるのって」
「別に」
サキは視線を吉田に向けることなく、日報を記入している。
「え、でも……」
「言いたい人は言えば?」
サキは、さらっと言った。まるで「天気がいいね」とでも言うように。
「私がどう思おうと、みんな言うでしょ? だったら、勝手に言えばいいんじゃない?」
吉田は思わず言葉を失った。確かに、その通りだ。吉田も田村も言いたいから言っている。誰かを標的にすることで、立場を守っている。それは、サキにとっては関係のない話だ。
だけど――。
今まで、こんなふうに返されたことはなかった。
いじめられる側は、反応する。傷つくか、怒るか、耐えるか。いずれにせよ、いじめる側は何かしらの影響を与えているという実感を持つ。
でも、サキは違う。影響を受けない。無視するのではなく、本当にどうでもいいと思っている。
「……サキさんさ、本当に何も気にならないの?」
私がもう一度聞くと、サキはほんの少しだけ考えて――ゆっくりと口を開いた。
「うーん……気にするほどのことじゃないし」
――気にするほどのことじゃない。私は、心のどこかがざわつくのを感じた。
吉田が、必死になって守ってきたもの。ときにはやりたくもない、いじめる側に回ることで、自分がいじめられないようにしてきたこと。それを、サキは「気にするほどのことじゃない」と言った。
(じゃあ、私は今まで何をしてきたんだろう)
サキの言葉は、吉田の心の中の何かを、静かに崩していった。
4
翌日の仕事中、吉田はずっと落ち着かなかった。サキの言葉が頭の中に残って、何度も何度も反芻される。
――気にするほどのことじゃない。
そんなふうに割り切れたら、どれだけ楽だっただろう。でも私は、いじめる側に回らなければならなかった。そうしないと、自分が標的にされるから。
(何をしてきたんだろう。いや、今もしている)
そんなことを考えながら午後の仕事をこなしていたとき、それは起きた。フロアの中央で、大きな音がした。
「……えっ?」
振り向いた瞬間、血の気が引いた。利用者の一人、――田中さんが、床に倒れていた。
「田中さん!」
吉田が駆け寄ると、田中さんは顔をしかめながらうめき声を上げた。意識はある。だけど、どこかを痛めたのは明らかだった。
「どうしよう……!」
頭の中が真っ白になった。施設内での事故は、重大な問題だ。報告書を出さなければならないし、場合によっては家族や本部からの厳しい指摘を受けることになる。
それに、これは完全に吉田の管理ミスだった。最近体調が良くないと聞いていたのに長い時間目を離してしまった。吉田がもっと注意していれば、防げた事故だった。
「……吉田さん、救急車呼ぶ?」
不意に、吉田は背後から声が聞こえたことにハッとする。振り向くと、サキがいつの間にか背後に立っていた。
「えっ……あ、いや、まだ……」
吉田は動揺しながら答えた。
「とりあえず、ナースコール押して。看護師さんに診てもらおう」
サキは吉田の返事を待たず、すぐにナースコールを押した。
「サキさん、でも……これ、私のせいで……」
「うん、吉田さんのミスだね」
あまりにもサキにあっさりと言われて、吉田は息を呑んだ。普通なら、「そんなことないよ」とか「仕方ないよ」と言う場面なのに。
「……あんた、もうちょっとフォローするとかないの?」
吉田は思わず、苛立ちをぶつけるように言った。でも、サキは全然気にした様子もなく、淡々と答えた。
「だって、ミスはミスでしょ」
「……っ!」
「でも、それよりも大事なのは、この後どうするかじゃない?」
そう言いながら、サキは田中さんに向き直った。
「田中さん、どこが痛いですか?」
「……腰が……ちょっと痛い……」
「そっか。動かさないほうがいいね」
その落ち着いた声を聞いて、吉田はハッとした。今、一番大事なのは――ミスをどうするかじゃない。田中さんを、どうケアするかだ。
「……私、看護師さん呼んできます」
吉田がそう言って立ち上がると、サキが「お願い」とだけ言った。その時、ほんの少しだけ、私の中のモヤモヤが軽くなった気がした。
5
吉田は看護師を呼びに走った。ミスをした動揺が完全に消えたわけじゃない。でも、今はそれよりもやるべきことがある。
数分後、看護師が田中さんの状態を確認した。骨折の可能性は低そうだけど、念のため病院で診てもらったほうがいいと言った。施設長の指示で家族に連絡を取り、タクシーで病院へ向かうことになった。
吉田は田中さんが帰って来るまでの間ずっと、落ち着かない気持ちで過ごした。
「吉田さん、報告書、一緒に書こうか?」
サキがそう言ってきたのは、すべての対応が終わった後だった。
「……え?」
「事故報告書。吉田さん、こういうの書くの慣れてないでしょ」
確かに吉田はこういう報告書を書いたことがほとんどなかった。ミスをしても、他の職員たちが「まあ、これくらいなら大丈夫でしょ」と曖昧に済ませてきたからだ。でも今回は、どう考えてもきちんと記録を残さないといけない。
「……いいの?」
「別に、いいよ。どうせ主任も田村さんたちも手伝ってくれないでしょ」
サキはそう言うと吉田の隣の席に座った。
「まず、いつ、どこで、誰が、どういう状況で、ってところから書いて……」
そう言いながら、サキはパソコンの画面を指さした。私は戸惑いながらも、彼女の言葉に従ってキーボードを叩く。
(やっぱり、サキはどこか普通じゃない。私だったら、こんな状況になったら、絶対に誰かのせいにしたくなる。少なくとも、ミスをした人を手伝おうとは思わない)
「……なんで、そんなに平気なの?」
吉田は思わずサキに質問した。サキは、少しだけ考えてから答えた。
「平気ってわけじゃないよ。でも、気にしても仕方ないでしょ」
――まただ。また、その言葉。
「気にしても仕方ないって……ミスしたんだよ? 私のせいで田中さんが……」
「うん。でも、吉田さんが気にし続けたら、田中さんの痛みが消える?」
「……それは、ないけど……」
「じゃあ、今できることをやるしかないよね」
サキは、それ以上何も言わず、画面に向き直った。
吉田はサキの横顔を盗み見る。もしかして、この人はずっとこうやって生きてきたのだろうか。いじめられても、誰かに何か言われても、全部「気にしても仕方ない」って割り切ってきたのか。
それが、強さなのか、諦めなのか――吉田には分からなかった。
6
その日の夜、吉田は遅くまで残って事故報告書を書いていた。サキも、特に何も言わずに隣で作業を手伝ってくれた。
(普通、こんなときって「大丈夫?」とか「落ち込まないで」とか、そんな言葉を掛けるものじゃないの?)
サキは、そういう慰めを一切しない。ただ「やることをやるだけ」という姿勢で、何も気にしていないようだった。
「……これで、大丈夫かな」
吉田は画面を見つめながら呟いた。
「うん、いいんじゃない? 施設長に提出したら終わりだね」
サキは特に感想もなく、淡々と言う。吉田は少しだけ、サキの横顔を盗み見た。
「……ねえ、サキさんってさ、本当に何も気にしないの?」
思わず口をついて出た言葉に、サキは少しだけ目を細めた。
「んー……そんなこともないけど」
「でも、いじめられても平気そうに見えるし、今回の件だって、全然気にしてないじゃん」
サキは少し考えるように視線を落とし、それから軽く笑った。
「うーん……吉田さんはさ、髪の色のことで何か言われたら気にする?」
「え? いや、まあ……私は別に、普通の黒髪だし」
「私はね、地毛が少し茶色いの」
言われて改めて見ると、サキの髪は染めたわけではなく、根元から全て少しだけ茶色がかった色をしている。
「でも、昔からよく言われたよ。『染めてるのか』って。先生にも、『学校のルールに違反してる』って怒られたこともある」
「……それ、理不尽じゃない?」
「そうだね。でも、気にしても仕方ないでしょ? それに私以上に先生に食って掛かる友人がいてくれたから」
サキは大切なものを思い出すように「ふっ」と笑うと、次の瞬間には真顔に戻りパソコンを閉じた。
「本当に気にしなかったの?」
「うーん……最初は、ちょっと面倒だなとは思ったよ。でも、ずっと気にしてても何も変わらないし、だったら、そんなことより他にやるべきことを考えたほうがよくない?」
言っていることは分かる。でも、それを本当に実行できる人は、どれくらいいるんだろう。
吉田はこれまで、誰かに嫌われることを気にして、誰かをいじめる側に回ってしまった。サキとは、正反対の生き方をしてきたのかもしれない。
「……ねえ、サキさんはさ、今までずっとそうやって生きてきたの?」
サキは一瞬、何かを考えるような顔をした。でも、すぐに「さあね」と軽く笑って立ち上がる。
「そろそろ帰るね。お疲れさま」
そう言って、サキはひと足先にスタッフルームを出ていった。吉田はサキの背中を見送りながら思った。
――私は、どう生きていけばいいんだろう。
サキみたいに強くなれるのだろうか。いや、彼女は本当に強いのだろうか?
7
サキと話すようになってから、私は少しずつ変わった。以前は、いじめられないように気をつけながら過ごしていたけど、最近はあまり気にしなくなった。
そのせいか、田村さんたちの態度も少しずつ変わっていった。直接的な嫌がらせは減ったけど、その代わりに陰口を叩かれることが増えた。
「吉田さん、最近サキさんと仲良いよね」
「変わり者同士、気が合うんじゃない?」
そんな言葉が耳に入ることもあった。でも、不思議と以前のようには傷つかなかった。サキと話していると「気にしても仕方ない」という考え方が、少しずつ自分の中に浸透していくのが分かったからだ。
それに、吉田は気付いている。いじめている彼女たちは、本当にサキに何か言うことはできない。サキは、何を言われても動じない。何をされても気にしない。だから、いじめる側にとっては、面白くない相手なのだ。
吉田は、そんなサキの背後にいることで、少しだけ安心していた。吉田自身がいじめの標的になることは、もうないんじゃないかとも思っていた。
――けれど、吉田の考えは甘かった。
「……仕事、辞めるの?」
サキが、アパートを引き払って引っ越すことになったと聞いたのは、ある日の昼休みだった。
「うん。次の住む場所も、決まってるし」
サキはあっさりと言った。吉田はすごく動揺した。
「なんで?」
「まあ、いろいろあってね」
そう言って、サキはコーヒーを一口飲む。いじめられたから辞める、というわけではないのだろう。そういうことを気にするタイプじゃない。でも、吉田にとっては人生の岐路に再び立たされたような衝撃だった。
サキがいなくなる。それはつまり、吉田が守られていた壁がなくなる、ということだった。
サキの退職が正式に決まり、施設内ではその話題で持ちきりになった。表向きは「残念だね」と言いながらも、田村さんたちはどこかホッとしたような表情を浮かべていた。
「いなくなるんだって。やっと厄介者がいなくなるね」
そんな会話が聞こえてきた。そして、吉田は思い出す。サキがいなくなることで、次に標的になるのは――吉田だ。
これまでは、サキの背後にいることで安心していた。でも、そのサキがいなくなったら? 私はまた、元の立場に戻るのか? いや、それ以上に酷い状況になるのかもしれない。
――どうすればいい?
(サキのように「気にしない」ことができればいい。でも、私はサキじゃない。私は、そんなに強くない)
けれど、サキと過ごした時間の中で、吉田は少しずつ変わり始めていた。以前ほど、人の顔色をうかがわなくなっていた。陰口を言われても、いちいち気にしなくなっていた。サキのようにはなれなくても、少なくとも「変わること」はできる。
そう思えたとき、吉田の胸の中からは不思議と恐怖が薄らいでいった。
8
サキが退職する日、吉田はサキに声を掛けた。
「サキさんは、今までずっとこうやって生きてきたの?」
サキは少しだけ考えて、それから笑った。
「そうかもね。でも、みんなそれぞれ、自分のやり方で生きていけばいいと思うよ」
「……自分のやり方、か」
吉田は、その言葉を心の中で反芻した。サキはいつも、何を言われても気にしない。それが彼女のやり方だった。
(じゃあ、私の「やり方」って何だろう?)
吉田はずっと、他人の目を気にして生きてきた。いじめられるのが怖くて、波風を立てないようにしていた。田村さんたちの言葉に従い、サキのことを見て見ぬふりをしていた。
(けれど、それが正しかったのだろうか?)
サキと一緒に過ごすうちに、吉田は少しずつ変わった。サキのようにすべてを気にしないことはできなくても、以前ほど他人の評価を気にしなくなった。いじめられることよりも、自分がどうしたいかを考えるようになった。
だからこそ、今、吉田は怖くなかった。サキがいなくなれば、私はまたいじめられるかもしれない。陰口を叩かれるかもしれない。でも、それがどうした?
(私はもう、以前の私じゃない)
田村さんたちに迎合するために、自分を押し殺すのはやめよう。サキみたいに強くはなれなくても、私は私のやり方で、ここで生きていこう。
「吉田さん」
サキが、ふっと笑った。
「たぶん大丈夫だよ。吉田さん、もう変わってるから」
その言葉に、私は驚いた。
「……え?」
「前に、いじめられないように私を避けてたでしょ。でも、今は違うよね?」
吉田は思わず息をのんだ。サキは、ずっと見ていたのだ。吉田の小さな変化を。
「私は気にしないけど、吉田さんは気にする。でも、それは悪いことじゃない。自分の気持ちに正直になればいいんだよ」
「自分の気持ちに……」
「そう。嫌なことは嫌って言っていいし、やりたいことをやればいい。それで怒る人がいるなら、それはその人の問題でしょ?」
吉田はサキの言葉をかみしめた。今まで、誰かを怒らせないように、誰かに嫌われないように生きてきた。でも、それって本当に「私の人生」だったんだろうか?
「……ありがとう、サキさん」
「うん。じゃあ、そろそろ行くね」
サキは、軽く手を振って施設を出ていった。
吉田はその背中を見送りながら思う。サキみたいに強くなれなくてもいい。でも、もう、ただ流されるだけの自分には戻らない。
――私の人生は、私のものだから。
吉田はそう、心に決めた。
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