外伝・リンツの丘の聖堂

佐山知範

外伝・リンツの丘の聖堂

 ある日、突如として人間界と魔界を繋ぐ門が現れた。

 ゲートと呼ばれたそれは、各地で同時に出現した。そして魔物達はゲートを通り、人間界を侵略し始めた。人間界と魔界の戦争の始まりである。

 一進一退を繰り返し、数年に渡ったその戦争は、ある勇者により終結した。

 勇者は、細身の剣を持ち、青いマントをはためかせ、目にもとまらぬ速さで魔王を切り裂いた。

 魔王を失った魔界軍は勢いを無くし、人間界への侵攻は止まった。

 各地のゲートは閉じられ、戦争は終結した。

 後を継いだ新たな魔王は、勇者と手を結び、お互いの世界の平和を誓った。

 そして、二年の月日が経った。



 太陽が降り注ぎ、黄金色に輝く小麦畑が一面に広がる農耕地帯。そこをまっすぐに伸びる街道を、一台の馬車が走る。石畳の上をゴトゴトと音を鳴らしながら。

 街へ農作物を届けた帰りである。幌のかかった空の荷台に、若い男女の二人組の冒険者が乗り込んでいた。

「あーもー。お尻痛いー。まだ着かないのー?」

 女の方が声を上げる。荷物に寄りかかり、ぐったりと力なく座っている。

 黒く長い髪。黒いローブを身に纏った魔術師然とした恰好。意思の強そうな鋭い瞳は、不機嫌そうに細められている。

「文句言うなよリリア。せっかく好意で乗せてくれてるんだから」

 男の方が、馬車の中で寝ころんだまま声をかける。青いマントに細身の剣を持つ、剣士の恰好。体格はいいが、まだ目元に幼さが残る。馬車を運転してくれている御者に気を使いながらも、女の方——リリアには顔を向けず、文句を聞き流している。

「ランドはこういう移動に慣れてらっしゃるのねー。さっすが田舎者」

 リリアが、男の方——ランドを小馬鹿にしたように話しかける。

「なんでいきなり喧嘩腰でなんだよ」

「本当のこと言っただけでしょ?」

「意味わかんねぇよヒスババア」

「バーカバーカ」

 言葉の強さとは裏腹に、二人ともまるで自宅のようにリラックスした態度だ。

「あんたら、仲良いなぁ」

 御者が苦笑いしながら声をかけてくる。

 二人の目的地は、この先の町である。隣の町から、馬車に揺られて半日。首都から数えれば七日の距離だ。リリアのように文句を口にはしないが、ランドも大概疲れている。

「お、見えてきた。あそこがリンツの丘だよ」

 御者の声に、ランドは身を乗り出した。

 一面の小麦畑の先、小高い丘に広がる町が見えた。その頂上には、ひと際大きい聖堂が建てられている。ランド達の目的地だ。

「あれが噂の聖堂か」

「こんな辺鄙なところにあんな立派な聖堂を建てるなんて、教会は何を考えてるのかしらね」

 リリアも御者台へ乗り出し、聖堂を見つめる。

「この辺には他に教会が無いから、みーんなあそこに集まるんだ。周りの集落の人達は皆ありがたがってるよ」

 御者が答える。

「周りの集落ったって、小さいのばっかりじゃない。どこから金が出てんのよ」

「集落が点在しているってことは、それだけ耕すのに適した土地が多いってことだ。農家ってのは案外儲かるもんだぞ」

「へぇ、さすが田舎者」

「あ? 田舎を馬鹿にするなよ都会者。食料の供給止めるぞ?」

 言い合う二人を見て、御者は声を上げて笑った。



 二人を乗せてくれた馬車と、町の入り口で別れる。

 頂上の聖堂を中心に、丘を覆うような形で発展した町である。入り口から聖堂までを、なだらかな坂で一直線に結ぶ大通りがある。その両脇には宿屋や飲食店が並んでいた。聖堂目当ての巡礼者と思わしき人々が多く行き交っており、田舎町にしては、非常に栄えている。

 二人は聖堂の前までやって来た。

 丘の頂上の拓けた土地にある聖堂は、見上げるほどの大きさだ。広い敷地には、隣に宿舎のような物がある他は、庭園が広がっていた。

「ほんと立派な聖堂ね。近くで見ると余計大きく見える」

「ステンドグラスは大きいし、柱や梁のいたるところに彫刻が施されてる。金かかってるなぁ」

 田舎にある教会は、木やレンガで作られた、小さくて質素なものが一般的である。目の前にそびえたつこの建物は、まるで都市部にある教会のようだった。

「ということで、情報収集の定番、酒場に行きましょうか」

「あいよ。……あんま飲みすぎんなよ?」



 大通りの中程に、日の高いうちから開いている酒場を発見した。

 店内に入ると、巡礼者らしき一団や、周辺の農家の集まりのような客がちらほらと見受けられた。

 昼間から酒を飲む連中なんて全員ロクなもんじゃない、とランドは思っていたが、冒険者ギルドに比べれば非常に慎ましく酒を嗜んでいる様子だった。

 二人はカウンターに座る。

「マスター、エールを頂戴。こいつはお子ちゃまだからミルクね。」

「お子ちゃまじゃねぇよ! ミルクじゃなくておすすめのお酒をください」

 恰幅のいい女マスターは、不躾な態度のリリアに一瞬ぎょっとした表情を見せたが、すぐさま笑顔を浮かべた。

「あんたら、聖堂に巡礼に来た感じじゃなさそうだね。冒険者?」

「ま、そんなとこ」

 マスターは慣れた手つきでリリアの前にエールを置く。ランドには、この地方のブドウで造った名物だというワインを出した。

「この町は巡礼者ばっかりね」

 リリアはそう言うと、エールを一気に飲み干す。マスターは新しいエールを注いでリリアに差し出す。

「首都や他の聖地まで行けないここいらの農民たちは、皆、聖堂目当てでここに来る。農閑期にはもっと人が集まるのさ」

「へぇ。田舎なのに賑わってるのね」

「すべては、ここに聖堂を建ててくれた大神官、オスロー師のおかげさ。昔は、この辺の人たちは、集落の無人のお堂くらいしか行く場所がなかった。そこへ、オスロー師が数十年前に聖堂を建ててくれた。人が集まり、徐々に聖堂は大きくなっていった。ここらへんの信者は皆、オスロー師に感謝をしているよ。」

「なるほど。豪華だし、聖堂への寄付も多いんだろうなぁ」

 いつの間にかエールを飲み干していたリリアの前に、再度エールが置かれる。マスターはリリアの飲みっぷりに乗せられてか、楽しそうに話を続ける。

「あの戦争が終わってからもう二年。魔物に襲われる心配がなくなって、皆も安心して農業に取りかかれる。聖堂だけじゃなく、この地方全体の金の周りが良くなっているよ」

「景気のいい話ねぇ。私たち冒険者は平和になって仕事が減ってるっていうのに」

 リリアが不満を隠さない声で文句を言う。

 すると、マスターがにやりとして、カウンターの奥にある貼り紙を指差す。

「あんたたちみたいな冒険者にも、教会は恵みをくれるかもしれないよ?」

 ランドがその貼り紙に目を向ける。教会からの告知のようだった。

「警備隊の募集…? へぇ、あの教会でそんなことをしてるのか」

「平和になったっていうのに、随分物騒じゃない」

 リリアの前に四杯目のエールを出しながら、マスターは言う。

「平和になったとはいえ、まだまだ魔物は現れるし、冒険者崩れの野盗も増えてきている。そんな状況をオスロー師は危惧しているのさ。既に軍って言えるくらいの人数が集まってるよ」

 マスターは敬虔な信者、という風でもないが、それでもオスロー師に心酔している様子だ。

「あら、あたしたちも野盗になるかも、なんて思ってるの?」

 リリアが挑発するようにいうと、マスターは肩を竦める。

「おやおや、こいつは失礼したわね。でも、教会に雇われるなら安定して稼げるだろ?」

「そりゃそうだな。仕事がひと段落したら、教会に顔を出してみるよ」

 ランドはそう言いながら、まだグラスに半分以上残っているワインに口をつける。その隣で、リリアはまたおかわりをしていた。



 酒場を後にし、二人は宿屋の一室に入った。ベッドが二つ並んでいるだけの質素な部屋である。二人はそれぞれのベッドに腰掛ける。

 リリアは結局エールを十杯以上飲んでいるが、けろりとした様子だ。一方、酒に弱いランドは一杯で顔が上気していた。何なんだこの女、と内心毒づいている。

「思ったよりも情報が手に入ったわね」

「マスターがおしゃべりで助かったよ。多分問題に気付いてないんだろうなぁ」

 ランドはため息をつきながらつぶやいた。

 マスターの話には、大きな問題点があった。

 各地の教会における、警備兵の確保。これは教会本部でも認めていることである。

 しかし、今回は規模が大きい。教会本部は、武力と言える量の兵の所有は許していない。

「おそらく黒幕は、大神官オスロー師。でも、そんなこと本当にするとは思えない」

 武力の確保。それはすなわち、教会や国への反乱の準備と考えられる。

 ましてや、教会本部に無断での募兵だった。

 大神官に上り詰めた男が、そんな無謀なことをするとは考えにくい。

「つまり考えられるのは…。やっぱりあたしたちの仕事だったってことね」

「ったく。いつまで続くのかね、こんな事」

 大きなため息をついて、ランドはベッドに寝転がった。



 リンツの丘に、満月が上った。

 真夜中の聖堂に、天窓を通して月明かりが差し込む。昼間とはまた違った、しん、とした静けさが広がる。

 三階ほどの高さまである天井。そこまで伸びるほど巨大なステンドグラス。その前には、神の姿を模した像が建っている。

 像の前で、一人の老人が跪いている。

 大神官にのみ許されたローブを身に纏い、祈るように目を閉じている。

 大神官オスロー。この地において聖人として崇められる人物である。

 日中は激務のため、夜中に祈りを捧げに来ている、と聖堂の信者たちは思っているだろう。

 しかし、もし間近で観察することがあれば気付くことができただろう。祈りを捧げていないと。

 周りに濃い魔力が漂っている。それは神官達が本来忌み嫌う魔術の力だった。

 突然、扉が開く音が響いた。

 オスローが振り向くと、そこには、男女の二人組がいた。ランドとリリアである。

「これはこれは。こんな夜更けに聖堂にいらっしゃるとは。いかがされましたかな?」

「どーもー。急に神様にお祈りしたくなっちゃって。大神官様も夜のお祈り?」

「ええ。日中は執務に追われてなかなか聖堂に来れないもので」

 軽い調子で言い合っているが、二者の間には緊張した空気が漂っている。

 オスローは身に纏った魔力を隠さない。対するリリアも魔力を身に纏い警戒を怠らず、ランドは細身の剣と盾を構えている。

「警備の者を配置していたはずですが」

「邪魔だったから、ちょーっと眠っててもらったわ」

 聖堂の警備隊は、酒場のマスターの言う通り、小さな軍と言える人員が集まっていた。が、油断している警備兵を全て眠らせるなど、リリアには容易いことだった。

「あたし、駆け引きとか好きじゃないのよね。だからはっきり言うわ」

 リリアはゆったりと前に進みながら、右手を前に掲げる。

「正体を現しなさい、偽物!」

 リリアが、魔法を発動させる。周囲に複数の火の矢が現れ、それぞれ別の弧を描きながらオスロー師に向かっていく。

 着弾、爆発。オスローは炎に巻かれる。

 しかし、警戒は怠らない。この程度で倒せるものではないとリリアもわかっている。

 突如、炎の中から光線が放たれる。リリアに向かって一直線に進むそれを、ランドが盾で弾く。

「無詠唱で高度な魔法のアレンジ。人間にしてはなかなかやるではないか」

 炎の中から、オスローだった者が姿を現す。燃える皮膚やローブを破り、体が一回り大きくなっていく。闇夜のように暗い肌、頭に二本の大きな角を持ち、背中にはコウモリのような翼が生えている。

 魔族。上流階級に位置する魔界の住人だった。その姿は、物語に登場する悪魔そのものだった。

「嗅ぎつけるのが早いな。もう少し時間がかかると思ったが」

「この国と教会をなめんじゃないわよ。あんたみたいな侵略者がこの二年で何人出てきてると思ってるのよ!」

 言いながら、リリアは更に魔法を繰り出す。巨大な火の玉が三つ、螺旋を描いて魔族に襲いかかる。

 魔族は魔力の障壁で防ぐ。爆発。すかさず魔法で反撃に出る。リリアとランドの周りに影の槍が無数に現れる。ランドは剣で全ての槍を斬り落とす。

 手練てだれであった。ここまで魔法を自在に操る魔物は多くない。

「また、あの大戦を引き起こしたいのか」

 ランドの静かな声には、色濃い怒りが込められていた。

 魔族が、先の大戦の結末を知らないわけがない。人間界にも魔界にも甚大な被害が出たこと、そして新たな魔王が和平を望んでいることを。

 その平和を壊すものに、ランドは激しい怒りを覚えた。

「後継ぎの決めた和平など知ったことか。人間界を滅ぼし、魔物の世界に変えてくれる」

「なら、俺が止めてやる!」

 ランドが飛び出し、懐まで一気に距離を詰める。勢いのまま、魔族の頭部を目掛けて突きを繰り出す。しかし、かわされる。さらに何度も突きを繰り出す。それも躱される。

 魔族が横薙ぎに鋭い爪で切りつけてくる。ランドは盾で受けるが、勢いのまま吹き飛ばされる。

「ふん、大口を叩く割に大した事ないな」

 言いながら、魔族は影の槍を繰り出す。ランドは盾で防ぎながら体勢を整える。

「さっさとやっちゃいなさいよ。手加減してんの?」

「うるせぇ!」

 ランドは再度懐に踏み込んだ。しかし、剣は全て躱される。

「動きは速いが、剣の腕は未熟だな」

「くっそ、まだだ……」

 ランドがさらに強く踏み込み、渾身の一撃を繰り出そうとする。大振りになったその一瞬の隙を見逃さず、魔族はランドを蹴り上げた。

 天井に届くほど宙に浮く。身動きが取れない。

 魔族はすかさず魔法を繰り出す。黒い光線がランドに直撃する。爆発。ステンドグラスを突き破り、ランドは外へと吹き飛ばされてしまった。

「バカランド! なにやってんの!?」

 リリアが叫ぶ。その声は聖堂内に響き渡るのみで、返答がくることも、ランドが姿を現すこともなかった。

 聖堂内に静寂が訪れる。

「さて、あとは貴様だけだな。」

 魔族はリリアの方へと体を向ける。その顔には余裕の笑みが浮かんでいた。

「貴様は優秀な魔術師のようだな。人間界では生き辛かろう。どうだ、我が軍に来ないか? 人間でも力がある者は歓迎するぞ」

「あら、こんな状況で勧誘なんて余裕なのね。そんなに仲間が足りないの?」

 リリアも余裕の態度を崩さず、挑発する。

「そうか、残念だ」

 そう言うと、魔族は影の槍を何本も宙に出現させ、リリアに飛びかかる。

 リリアは火の玉を撒き散らして牽制しながら後ろに飛ぶ。槍と火の玉がぶつかる。魔族はなおも襲いかかる。逃げるリリア。両者の攻防は聖堂内を縦横無尽に駆け回り、爆発が連続する。

「惜しい、惜しいぞその実力! 魔界であれば権力を握れたであろうに!」

「要らないわよ。あたしは自分のしたいことをするだけよ」

「貴様一人ではかなうまい!」

 防戦一方のリリア。聖堂の中心で、一瞬足が止まる。

 その隙を見逃さず、魔族は一気に仕留めにかかる。巨大な影のトゲを出現させ、四方からリリアを突き刺しにかかる。

 リリアは全身を包むように障壁を展開する。障壁とトゲとがぶつかり合い、激しい衝撃音が響く。なおも無数のトゲが出現し続け、リリアは身動きが取れなくなる。

「いつまで持ちこたえられるかな」

 魔族は攻撃の手を休めないまま、余裕の表情を見せる。

「見くびるんじゃないわよ。あたしも、ランドも」

 リリアはニヤリと唇を歪める。

 足を止めて防御に徹する。つまり、攻め手も足を止めている。

「そろそろ来なさい!」

 リリアの叫びに応えるように、天窓が破られる。

「うおおおおおおおお!」

 天窓の破片と共に飛び込んてきたのは、ランドだった。その手には、異質な剣が握られていた。

 身長ほどの長さ、人が隠れるほどの幅広な巨大な剣。いや、剣というのも疑わしい、巨大な鉄塊だった。

 天井から落下してくるランドに対して、魔族は咄嗟に魔法を繰り出した。ランドは、自らを目掛けて飛んだ影の矢を、巨大な剣を振るい弾き飛ばした。

 落下の勢いが乗った剣を、魔族に向けて振り下ろす。魔族は咄嗟に身を躱そうとしたが、叶わずに左腕が吹き飛んだ。

 剣が床まで到達すると、轟音が響く。着地の衝撃は、先ほどまでの爆発とは比にならない威力があった。

 ランドが立ち上がる。その身からは青いマントは外されており、細身の剣も盾もない。

「何だその剣は」

 顔を歪ませながら、苦しそうに魔物が問う。その左腕からは緑色の血が勢いよく噴き出し、聖堂の床を濡らしている。

「これが俺の本当の得物だよ」



 二年前。大戦の決着の時。勇者が魔王を打ち倒したその瞬間、ランドとリリアは、その場にいた。勇者と共に戦っていた。

 空は紫に光り、雷鳴が轟く。地は荒れ果て、空気には魔力が色濃く漂っている。魔界の、魔王の居城。仲間は皆傷つき、倒れ伏していた。たった一人、勇者を除いて。

 魔王が倒れていく姿を、ランドは目に、心に刻んだ。戦争の終結。人間界に平和が戻る。そのことを心から喜んだ。

 帰ろう、人間界へ。

 ランドとリリアが、支え合って何とか立ち上がったとき、勇者が目の前に来た。そして、ランドに剣を差し出してきた。

——この剣を、お前に託す。

 勇者の、優しくも意思の強い眼差しが、ランドを見つめる。

——この先、残った魔族が人間界に侵略してくると思うんだ。

 勇者は、ランドとリリアを強く抱きしめた。

——俺は、魔界に残る。お前たちは、人間界を守ってくれ。

 受け取った剣は、ただの武器ではなくなった。勇者の意思と願いがこもった、平和の象徴となった。

 その後、ランドとリリアは、教会と協力し、魔界からの侵略を阻止するため、世界中を旅することとなる。



「あっちの剣も練習してるんだけど、お前の言う通り、まだまだ未熟だよ。ここからが本番だ」

 ランドは巨大な剣を脇に構え、一気に魔族の懐に飛び込む。剣の重さを感じさせない、素早い踏み込みだ。その勢いのまま、周りの机や椅子ごと横薙ぎに振り抜く。

 魔族は即座に魔法の障壁を張る。が、巨大な剣は障壁を打ち破り、魔族の胴を薙ぐ。その衝撃に魔族は吹き飛ばされた。

 その先には神の像があった。魔族が衝突し、神の像が崩れ落ちる。

 ランドはなおも構えを解かない。確かに剣は届いた。しかし、手応えは浅い。この程度では終わらない。

「ふふふ…。やるではないか。人間を甘く見ていたわ」

「あの戦争をくぐり抜けてきたからな。お前ぐらいの相手は何人も相手してきた」

 ランドの予想通り、魔族はすぐに立ち上がる。切り落とした左腕からも、胴の斬り痕からも血は吹き出していない。再生魔法か。

「本物の戦士だな。仕方ない、出し惜しみは無しだ」

 魔族は、神の像があった辺りに手をかざす。

 周囲の魔力が、そこに集まってくる。一点に集中すると、破裂したように激しい音と光が周囲に走った。

 ランドとリリアも思わず一瞬怯んでしまった。すぐに体勢を立て直し、魔族の方を向く。が、そこで目の前の光景に衝撃を受ける。

 そこにあったのは、宙に浮かぶ、禍々しい力を感じる闇の空間。ランドも見慣れた、人間界と魔界を繋ぐ門。

「ゲート!? しかもこんなに大きな!?」

「気付かなかった…綺麗に隠してたわね。」

 教会は、戦争の原因となったゲートを血眼になって探している。が、この地にゲートがあるという報告は受けてない。この魔族が巧みに隠していたということだ。

 そして、大きなゲートほど、より大勢の、より強い魔物を呼び寄せる事ができる。このサイズでは、戦争になるほどの軍勢が数日のうちに揃うだろう。

「なんで人間の兵隊なんて揃えてるのかと思ってたけど。なるほど、気づかれないように魔物と入れ替えようって算段だったのね」

 魔界からの侵略となれば、国も教会も協力して即座に殲滅にかかる。

 しかし、地方の民の反乱と思わせておけば、国の対応も慎重になる。その隙に魔物たちを呼び込めれば、侵略が容易くなる。

 もしあと数日気付かなければ、このリンツの丘は、知らぬ間に人間に化けた魔物だらけの町になっていたかもしれない。

 いや、すでにオスロー師は魔族に入れ替わられていた。もしかしたら、既に他にも紛れ込んでいたのかも…。リリアは背筋が凍る思いだった。

 そう考えている間にも、ゲートから魔物が現れる。小さい魔物は軽々と抜け出て、すでに十数匹の様々な魔物が現れていた。そして、まもなく現れるであろう巨人型の魔物も見えている。

「さあ、この軍勢を相手に、二人だけで敵うかな?」

 魔物に囲まれた魔族は、高らかに声を上げる。

「かかれ!」

 魔族の号令に、魔物たちは飛び出していく。ランドたちを囲むように、一気に間合いを詰めていく。

「なめんじゃないわよ。ランド、本気出すわよ」

「あいよ!」

 声とともに、リリアは魔法を発動させる。無数の火の玉が同時に現れ、四方から襲いかかる魔物達を正確に撃ち落としていく。仲間を盾に無理やり突っ込んでくる魔物達を、ランドの一振りが何体もまとめて吹き飛ばしていく。

 炎と巨大な剣で、周囲を破壊するように薙ぎ払う二人の戦法ならば、並の魔物であれば落ち葉を掃くように倒すことができる。

 しかし、今回はそう容易くはない。ゲートから次々と魔物が現れる。そして、巨人型をはじめとした大型の魔物も出現し始めている。

「このままじゃジリ貧だ。リリア、どうする!?」

「んなもん決まってるでしょ。狙うは頭よ!」

 リリアは周囲に向けていた攻撃を止め、一瞬の詠唱を挟むと、ゲートの前に立ちはだかる魔族に向けて巨大な炎の渦を放った。

 周囲の魔物を焼き払いながら迫る炎。魔族は魔力の障壁を展開して防ぐ。

「ぐぬぬぬぬ…!」

 激しい衝撃。数秒の間、魔族は炎の奔流に押さえつけられる。

 だが、魔族は耐えきった。炎が収まり、周囲が見えるようになる。魔族とリリアの間には誰もいない。周りの魔物達は倒されたようだが、ゲートは無事だ。

 今の大技の反動で、リリアの攻撃の手が止まった。隙が生まれた。

「これで終わりだ人間共!」

 魔族は反撃のための魔法を唱える。この瞬間、違和感を覚えた。

 ――男はどこだ?

「こんのぉぉぉおおお!」

 魔族の真上。ランドが雄叫びとともに剣を振り下ろしていた。魔族の防御も構わず、一閃。剣を床に叩きつけた衝撃で、聖堂が揺れる。

 手応えあり。魔族の身体は肩口から縦に真っ二つに分かれていた。

「ぐぉぉぉおお…!」

 魔族が叫ぶ。絶命寸前だが、まだ倒せていない。

 ランドが最後の一撃を加えるべく構えた、その瞬間。魔族は予想外の行動に出る。

 後ろに飛んだ。そこにはゲートがある。

「見事だ、人間。だが、これならどうだ」

 言うと、魔族はゲートに飛び込んだ。身体が光り輝いた。自爆。己の命を捧げた、最後の魔力。激しい爆発は、無理やりこじ開けるように、ゲートを拡大させた。

「くそ、最後になんてことを! 流石にこの大きさはヤバいぞ!」

 即座に魔物たちが飛び出してくる。大きさが先程までの比ではない、強力な魔物たちが次々と現れる。

 ランドは魔物の群れに向かって剣を薙ぎ払う。が、一撃で倒せる相手ではない。それが無数に現れている。

 脳裏に撤退の考えが浮かんだランドに、リリアが命令する。

「十秒稼ぎなさい!」

 この声に、ランドは頭から逃げの一手を消し去った。

 リリアを信じろ。

 リリアが魔法の詠唱を始める。強力な魔法を唱える準備だ。リリアを全力で守る。

 魔物の攻撃を躱す。リリアに迫る魔物に飛び掛かる。斬る。左右から同時に襲ってくる。薙ぎ払う。斬る。斬る。斬る。巨大な剣を振り回し、次々と迫りくる魔物を倒していく。

 もう少しか、とリリアに一瞬目をやる。リリアの手の中には、凝縮された魔力。かつて一度見たことのある魔法。あれは…まずい。

「行くわよ!」

「バカ、そんな魔法つかったら…!」

 ランドの制止も間に合わず、魔法が発動する。

 咄嗟にランドは、巨大な剣を床に突き刺してその影に隠れ、防御態勢を取る。

 閃光。轟音。激しい衝撃波。

 その凄まじい威力の魔法は、全ての魔物を消し去った。だけではなく、聖堂を丸ごと消滅させていた。



 空が白んできた。間もなく、夜も明ける。

 リンツの丘の頂上にあったはずの聖堂は跡形もなく、更地になっている。隣接していた宿舎なども、半壊状態だ。

 周囲には集まった町人や、巡礼に来ていたであろう信者たちが聖堂だった場所を囲うように、篝火を焚いている。

 その中心には、運良く怪我を負わなかった聖堂の警備兵や神官が集まっていた。彼らの見つめる先には、小さくなったゲートが浮かんでいる。

 ランドとリリアは、少し離れた焚き火の近くに、並んで座り込んでいる。

 爆発の直後。目を覚ました警備兵や駆けつけた町の人達によって、ランド達は危うく捕まるところだった。聖堂を破壊したであろう者が「オスロー師が実は魔族でした」などと言ったところで、普通ならば誰も信じまい。しかし、宙に浮かぶゲートを見て、人々の態度が変わった。聖堂のあった場所に、先の大戦の原因であるゲート。これを見て、皆が魔界からの侵略者の話を受け入れた。

「聖堂ごと吹き飛ばすんじゃねぇよ…」

 綺麗になってしまった聖堂跡を見渡しながら、ランドがつぶやく。

「手加減が難しいんだから仕方ないでしょ。丘ごとふっ飛ばさなかっただけマシだと思いなさいよ」

 確かにあの場面では、それしか手が無かっただろう。だが、かろうじて防げたものの、あの魔法に巻き込まれたらと思うとゾッとする。

 ゲートに目をやる。魔物があふれていたのが嘘のように、静かに浮かんでいる。

 リリアの魔法の威力により、ゲートは縮小した。今は力の弱い魔物が時折通り抜けてくるだけだ。だが、リリアにゲートを完全に閉じる術はない。ゲートを閉じるには、教会の力が必要だ。本部から専門家が送られてくるまでの数日、このまま警備に当たることになる。

「ここの人達、かわいそうになぁ…」

 魔族に入れ替わられたオスロー師は、おそらくもうこの世には居ないのだろう。心の拠り所であった聖堂は、魔界からの侵略者の拠点となっており、それが消滅した。この町の住人は、今後どう生活していくのか。

「あんた、また救えなかったとか思ってるんでしょ」

 図星を突かれ、ランドは俯いてしまう。

「あたし達がここに来た時点で、すでに手遅れだった。むしろ、本当に町が乗っ取られる前に止めることができた。あたし達は最高の仕事をしたのよ」

 分かっている。事件が発覚してから動き出さなければいけない以上、完璧に救うなど無理だ。それでも、悔しい気持ちが溢れてくる。

「ま、その気持ちがあんたのいいところだけどね」

 リリアの手がランドの頭を撫でる。その手の感触は柔らかく、温かい。

「次も頑張るわよ」

 この世界には、まだ侵略を企む魔物が潜んでいる。真の平和の為には、立ち止まっているわけには行かない。

 前を向いたランドの目に、光が差し込む。リンツの丘に、夜明けがやってきた。

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外伝・リンツの丘の聖堂 佐山知範 @tom_sayama

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