第3話 日常の中に影を見る

「はー…」


木陰から射す陽の光が、カーテンの隙間から零れて落ちる。遠くからは小鳥たちが朝を告げる歌を歌っている声が聞こえてきて、隙間から漏れ出た清々しい空気がひかるの頬をふわりと撫でた。だがそれすらも、輝の目元に刻まれた黒い隈を消す要因には足りえない。


あれから輝は一睡も出来なかった。一晩中、というには短い時間であったが、彼が得た情報をまとめるには十分すぎるほどの時間であった。

少しは寝た方がいいとは思ったのだが、そんな微かに残った理性を彼の友への思いが邪魔をする。それほどまでに、“最上ハル”という人物は相月あいつき輝の心の中に深く刻まれているのだ。

タチの悪い、夢だと思いたかった。しかし、一睡もしていないという事実と、彼が座るベッドの上に落ちる木の葉が、それが嘘ではないと輝に気付かせる。


幸いにも、俺に時間は沢山ある。俺に体育を教える伊佐センはどうやらこの学園がある島から一週間ほど出なければならないらしく、その中で昨日見たツリーハウスを調べるなりして、ハルの失踪理由を知らなければ。そう改めて決意をして、ようやく彼はいつも食堂へ行く時間を過ぎていることに気付いた。そして顔を洗おうかと鏡の前に立ったところで、彼自身の瞳に隈が濃く写っている事に気づいた。普段早寝早起きを心がけているからか、その分ツケが出てくるのが早いということを深く理解した瞬間だった。

一体この隈をどう隠そうか。出会って一年、こんな隈が深く付くほど夜寝なかったことは無いと断言していいだろう。どうしよう、隈を隠すにはコンシーラーだとか、なんかそういう化粧品が必要らしいが、生憎外で遊ぶことが大好きな男子高校生であるので、そんなものは持ち合わせていない。廊下からは他のクラスメイトの声が聞こえてくる。兎にも角にも、時間はほぼないだろう。


「おはよ〜…」

「おはよ輝…って、あなた、酷い隈じゃない!」

「うわマジだ!え、夜中なんかあった!?」


と、せめて少しだけでもバレる時間を遅らせよう、という思いから朝食を限りなく遅い時間にしてHRが始まるギリギリの時間に教室へ入ったはいいものの、それでも普段そこに無いはずのものがあると、人というのは心配してしまうもので。


「い、いやいやいや!ただちょっと、好きな本読んでたらいつの間にか朝だっただけ!そんな心配することでもないから!それにほら、もうHR始まるし早く席についてー!」


そんな心配がなんだか後ろめたいような気がして、輝は必死に目を逸らした。やっとの思いでその心配をどうにか昇華させることが出来たと思った輝だが、彼は、チャイムの音にかき消されたであろうため息をする姿を見つめる姿があることを、慢心ゆえか寝不足ゆえか、気づくことは出来なかったのだ。


そうしてクラスメイトや担任からの心配の言葉を乗り切って、輝は昨日の記憶を辿り、授業時間のはずのこの時間にあのツリーハウスの場所へ向かった。


記憶を辿り、輝はその場所へとたどり着いた。しかし、その先にツリーハウスなんてものは何も無い。昨夜は確かにそこにあったはずのものが、跡形もなく無くなってしまっているのだ。確かに記憶に残っている。脳裏に強く刻まれるほど印象深い出来事であったし、それ故に輝は一夜を起きたまま明かす、なんてことが起こったというのに。


「なんで…」


唯一の手がかりが無くなってしまって、輝は愕然とした様子で昨夜の足跡の前に立っていた。ここにこれがあるってことは、ツリーハウスは近くにあるはずなんだけれど…。

こうなってしまえば、地道に調べる以外でやれることは無い。やるしかない、と、輝はあても無いままどこかへと歩き始めて──。


そして、何も情報を得ないまま、一週間が経った。一週間前のあの時と同じように、ふかふかのベッドの上に輝は飛び込んだ。そのまま落ちないように、右へ左へ行ったり来たりする。その勢いで埃が舞って、大きめのくしゃみを一つ。輝は苛立ったように鼻をかんだ。


「なんっも見つかんねぇ…」


もはやあの出来事は嘘であったのか、夢であったのかと思う程に、何も見つからない。

考えても、何も分からない。そんな思いからか何かは知らないが、輝は月を見に屋根上へと登ろう、と動き出した。

夜ももう遅いので、自室の窓から落ちるようにして外へと出る。ちなみに男子の寮部屋は三階にあるので、純粋な身体能力が凄い。いや、もはや身体能力が凄いとか言ってられない時期ではある。ちなみに、消灯時間後に寮外へ出るのは校則に反しているが、まぁ屋根上って寮の一部だし、と無理やり自分を納得させる。というか、一年の頃からバレないように屋根上に登っていたからきっと大丈夫だろう。そのままいつものように梯子を使用し、屋根上へと登る。


月の美しさは、変わらずにそこにある。


また上着を忘れたことに対して若干の後悔を滲ませつつ、ただ月を眺める。夜風が頬を撫で、無限にある星明かりが、輝を照らし続けている。こうも美しい月を眺めていると、事実を知ったあの時のことを思い出す。

結局あの人物が誰だったのかも分からないままであるが、今はただ、この美しい月を眺めていたかった。確かに寒いが、一眠りするだけの体力は十二分にあるし、部屋へ帰って上着か何かを持ってこようか。輝が動こうとした、その間際だった。屋根の下…それも輝が上がってきた梯子がある方向から、輝にとっては聞きなれた、梯子を登る音が聞こえてきた。それが誰かを見ようと、輝が体を起き上がらせようとすると。


「あー、いたいた。よぉ、気まぐれ猫ちゃん♪」


屋根下から輝の方に顔を覗かせたのは、輝と同じ2年A組のメンバーである若瀬わかせ大和やまとだ。古のコンピューターをこよなく愛する者である大和は、かなりのお調子者である。探すの手間取ったぜ、なんて言いながら了承も得ずに輝の隣に座る。が、その後何か気づいた様子で一拍開けた後に一人分の場所を開けて座るものだから、なんだか憎めないやつ、という印象の方が強い。


「…猫ちゃんって言うの、やめてよ」

「はは、これは失礼」


そのまま何も言わずにずっと隣にいるものだから、輝はむず痒い気分になって、何故だか同じように月を見上げる大和の方を向いて、疑問を投げかけた。


「…なんか、あった?俺さ、端末部屋に置いてきててさ…」


そう問いかける言葉の途中で、大和はそれを遮り、一つの小さい電子端末のようなものを輝に向かって差し出した。


「悩んでいる輝くんに、とある人からのお届けものだ」

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原罪の学び舎 夜月 @Sinmon_MOON

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