第1話「幼い旅人」②
ユタの村・郊外北——。
この村から北に向かってまっすぐ行ったところに星の湖はあるらしい。
基本的には一本道だが普段人の通りが全くないことに加え、木や草がうっそうと生えている林を通って行かなければならないので道らしい道はなかった。
「こんなところ、よく女の子が一人で行こうと思ったな……」
草をかきわけて進みながらレキがつぶやく。
ミーリは星の湖とやらに、なにか余程の用でもあったのだろうか。ここはモンスターだって出るし、相当の理由がないとなかなか来ようとは思えないだろう。
小さな女の子にとってここがどれほど怖い場所であるかを考えるとレキはミーリがとても心配になった。
「ミーリ! どこにいるのー!?」
走りながらレキは叫ぶ。
なんだかここはいやな感じだ……。村の周りにはそれほど強いモンスターは出ないとルーシィも村長も言っていたが、この辺りの異質な気配をレキは感じとっていた。
しばらく走りながら湖をめざしていたが、辺りがさらにうっそうとして視界が悪くなってきた矢先に、突然前方から女の子の悲鳴のような声が聞こえてきた。
「ミーリ!!」
その声にレキは反射的に腰に差していた剣を抜くと、全速力で声のするほうへと向かって行った。
ミーリは追って来る二匹のモンスターから必死で逃げていた。使える唯一の魔法は効かなかった。
潜在的な魔力を光にかえて攻撃するものだったが、ミーリほどの力ではモンスターにほとんどダメージを与えることができなかったのだ。
走り疲れてミーリはついに転んでしまい、それによって彼女は一本の木に追い詰められた。
じりじりとミーリに近寄って来る二体のモンスターは全身が緑色の体をしていた。頭の上には一本の角が生え、眼はヘビのような眼が顔の真ん中にひとつあるだけだ。そして涎の滴る牙を剥き出し、鋭い爪をミーリに向け今にも襲い掛かろうとしている。
「た、たすけて……」
泣きながら震えるミーリを見て一体のモンスターはにやりと笑うとそのままミーリに向かって飛びかかって来た。
——キィン!!
硬い金属音が辺りに鳴り響いた。
ギリギリ間に合ったレキがミーリの目の前でモンスターの振り下ろされた爪を剣で受け止めていたのだ。
あまりの出来事にミーリはパニックになっていて言葉がでてこない。
レキが一匹のモンスターの爪を受け止めていると、今度は横からもう一匹がレキめがけて襲いかかって来た。
レキはおもいっきり力を込めて剣を振り払い自分より大きなモンスターを吹き飛ばすと、また素早く剣の向きを変え、そのまま襲いかかって来たもう一匹のモンスターを斬りつける。
「ギャァァ!!」
激しい悲鳴とともにモンスターは倒れた。
それを見ていたもう一匹のモンスターは一瞬恐ろしい眼でレキを睨んだが、レベルの違いを悟ったのかそれ以上襲って来ることはなく、そのまま林の奥へと走って逃げていった。
モンスターが見えなくなるまでその後ろ姿を見送ったあと、剣を収めたレキはミーリのほうを振り返る。
「ミーリ、ケガはない?」
やさしく微笑むレキを見て、緊張の糸が切れたミーリの目からは大粒の涙が溢れ出た。
「……うっ……わぁぁあん!! 怖かったよぉぉ……!!」
大声で泣きじゃくるミーリを慰めようと、レキは自分より少し背の低いその頭をポンポンと優しくたたいた。
しばらくしてミーリは泣き止んだ。ようやく落ち着いたようで、改めてまじまじとレキを見つめる。
「レキってけっこう強いんだね」
「まぁね。そうじゃないと一人で旅なんてできないよ」
「そういえば、レキはなんで一人で旅をしてるの?」
ミーリはレキの旅の目的が気になっていた。これまでに何度か尋ねてはいたが、結局はっきりした答えを聞いていない気がする。
「……探してるものがあるんだ」
「探しもの? どんなもの? どこにあるの?」
ミーリはさらに聞いてみた。それだけではさっぱりわからない。
「う~ん……、どこにあるかはオレにもわからないんだ。だから旅を続けながら探してるんだよ」
もう一度、なにを? と聞こうとした時レキが言った。
「じゃあミーリ。村に帰るよ」
「えー!? ダメだよ! 今から星の湖に行くんだから!」
「えぇっ!? まだ行くの!?」
「あたりまえじゃない! それに今はレキもいるから安心だし~」
そう言ってミーリは前に向かって歩き出した。さっきまであんなに泣いていたのが嘘のように元気いっぱいである。
全く帰る様子のないミーリにレキも仕方なく後をついて行くことにした。
「さっきのモンスターがいたからこの先に進めなくってずっと隠れてたの。結局見つかって追いかけられちゃったけどね」
ミーリが歩きながらしゃべり始めた。レキがいる事で安心しきっているのかその足取りは軽く、堂々としている。
「ミーリ、本当に危ないところだったよ。村の周りはそんなに強いモンスターはいないって聞いてたけど、さっきの奴はちょっと危険な感じがしたな……」
レキの言葉にミーリがそうそうと頷く。
「今まではあんな強そうなモンスター、この辺りにいなかったんだよ」
「今まではって、ミーリは前にもここに来たことがあるの?」
「うん! もっと小さい頃だけどね。昔は村に小さな井戸が一つしかなかったから、どうしても雨が降らなかったときは村のみんなで、湖まで水を汲みに行くことがたまにあったの。それに一度ついて行ったことがあるよ」
「そうなんだ」
普通の村人がモンスターの出るこんな林を通って行くのは相当な覚悟と準備が必要だろう。今では井戸がもう一つできていて水の心配もなくなったという。
「でも前に来たときと、ちょっと様子がちがうなぁ」
ミーリが「うーん」と言いながら首をかしげる。
「さっきも言ったけど、前はあんな強そうなモンスターいなかったし、この林の雰囲気もこんなに不気味な感じじゃなかったんだけどなぁ……」
たしかに林には嫌なオーラがたちこめていた。単に草や木がうっそうと茂っているからだけの理由ではなく、かすかに邪悪な気配が感じられる。
レキは慎重に辺りの様子を窺いながら湖を目指した。
それからしばらく歩くと、意外に近い場所に湖はあった。
林を抜け、少しひらけたところにその湖が辺り一面にひろがっていた。
湖を見てレキはなるほど、なぜここが星の湖と呼ばれているかがわかった。湖の形は見事な星形をしていて、水面は太陽の光に照らされてきらきらと輝いている。まさに星のような湖だ。
レキがしばらくその光景に見入っているとミーリはいつのまにか湖のほとりまで行き、湖を背にしてキョロキョロと何かを探しまわっていた。
「ミーリ、なにしてるの?」
レキも近づいて行って聞く。
「えへへ、わたしも探しものだよ!」
ミーリはにこっと笑うと、また何かを探しはじめた。
今度はレキが、なにを? と聞こうとした時だった。突然、湖から放たれた邪悪な気配を感じとり、レキは急いで振り返る。
「ミーリ危ない!!!」
レキがミーリを突き飛ばし、自分もその方向へと飛んだ。
——ザシッ!! という衝撃音と共に、さっきまでミーリとレキがいたところにモンスターの鋭い爪が突き刺さっていた。
それは先ほど林の奥へと逃げたモンスターだった。全身から水を滴らせ、恐ろしい瞳でこちらを睨んでいる。どうやら湖の中にかくれて気配を消していたようだった。
レキは再び剣を抜き、ミーリを後ろへとかばいながらそれを構える。ミーリもこの状況に気付き、レキの後ろでガタガタと震えだした。
その時、ザバァという音と共にもう一匹のモンスターが湖から現れた。
その姿は、頭の角やヘビのような一つ眼は緑のモンスターと同じだったが、体の色は無気味な紫色をしており背中にはコウモリの羽を大きくしたような翼が生えている。
そいつは緑色のモンスターよりもさらに危険そうな雰囲気を漂わせていた。
「コノ湖ニ近ヅク人間、生キテハ返サン……」
妖しく眼を光らせながら紫色のモンスターが低い声で唸る。人間の言葉を話せるのは高度なモンスターの証である。
「ガーゴイルか、厄介だな……」
レキは小さく呟いた。
ガーゴイルとはモンスターの中でも強敵と位置づけられる類いの魔物で、俊敏で機動性が高く、攻撃力も上位クラスの厄介な奴だ。
ミーリを危険に晒すわけにはいかない。なるべくモンスター達をミーリに近づけないうちに倒さなければ……。
そうこうしているうちに二匹のモンスターがこちらに向かって襲いかかって来た。レキもその動きにあわせ、剣を構えて前へと走り出す。
緑のモンスターよりもガーゴイルのほうがスピードは断然速いようだ。鋭い爪でレキに攻撃を仕掛けてくるが、これをすんでのところでレキは避けた。続けて緑のモンスターが襲って来たが、それも身を翻してかわす。
相手が二匹なのでレキはしばらく攻撃をかわすことに集中し、モンスターに隙がでるのを待った。四度目の攻撃を避けたとき、緑のモンスターが勢いあまって前にバランスを崩した。その一瞬の隙をついてレキは防御から攻撃へと行動を切り替える。
即座に一歩前へと踏み込み、緑のモンスターへと一文字に剣を払った。レキもスピードには自信がある。モンスターが避けるよりも防御の体勢をとるよりも素早く、その攻撃をうちこんだ。
「ギィアァァ!!!」
クリーンヒットだ。
モンスターはなす術もなく悲鳴を上げると一撃でその場に倒れた。これで残るはあと一匹。
ふと見るとガーゴイルの姿がなかった。なぜならそいつはレキが緑のモンスターを倒しているうちに後ろへと回り込み、まさに今、隙をついて背後から襲いかかろうとしていたのだった。
それに気づいたレキは振り返って剣を構える。しかし、そのガーゴイルの攻撃が繰り出されることはなかった。
「—ライト・フラッシュ!—」
魔法の詠唱とともに、ガーゴイルの背に光の玉が直撃した。ミーリが背後から魔法を放ったのだ。
ダメージはないものの予想外の攻撃にガーゴイルは驚き攻撃のタイミングを失った。
その間にレキは素早く体制を整えると、そのままガーゴイルへと斬りかかる。しかし敵もすぐに立ち直りこれを受け止めた。しばらく激しい攻防が続く。
「ココニアル封印ハ、解カサヌ……」
「封印? ここになにか封印されているのか?」
ガーゴイルの攻撃を受け止めながらレキが聞く。
「ソウダ……我々ニトッテ、非常ニ都合ノ悪イモノダ」
けっこうおしゃべりなモンスターだとレキは思った。モンスター達にとってなにか都合の悪いものがこの湖に封印されているらしい。
昔はこんなモンスターがいなかったとミーリが言っていたということはモンスターも最近になってここに封印されているものに気づいたということだろうか?
そんなことを考えながらもレキは敵の攻撃をかわし続けていた。いくらガーゴイルが相手でも、一匹であればレキにとってそれほど強敵ではない。
「今すぐ、ここから立ち去る気はないか?」
レキは一応聞いてみたが、ガーゴイルは邪悪な眼を向けてフザケルナ! と叫ぶと再び襲いかかって来た。
レキは仕方なくその攻撃を迎え討つように前へ飛び出すと、敵の攻撃が繰り出されるよりも一瞬だけ速く、上から剣を一直線に振り下ろし渾身の力を込めてガーゴイルの体を真っ二つに切り裂いた。
叫び声とともにモンスターは倒れ、緑のモンスターと重なると、やがてその二つの亡骸は跡形もなく塵となって消え去った。
レキが剣を収めるとすぐさまミーリが駆け寄って来た。
「わたしの魔法、役に立ったでしょ!」
あんなに震えていたのが嘘のように、ミーリはすっかりと元気を取り戻し、レキに向かってピースしている。
「……まったく、怖がりなんだか怖いもの知らずなんだか。ミーリにはかなわないよ……」
レキは少し呆れたように言うと、やれやれと優しく微笑んだ。
さっきまで林を包んでいた嫌なオーラはモンスターを倒したと同時に消え去っていた。あのモンスター達が何らかの理由でこの辺り一帯を邪悪な気配で覆っていたらしい。
レキはさっきモンスターが言っていた封印の話を思い出して辺りを見回した。
すると湖の真ん中から太陽の反射とはどこか違う、微かな光が漏れている部分があることに気が付いた。
レキは早速マントや上着を脱いで身軽な格好になる。
「レキ、どうする気?」
「さっきのモンスターが言ってたことが気になってね。ミーリはここでちょっと待ってて」
そう言うとレキは驚くミーリをその場に残し、ためらうことなく湖の中へと飛び込んだ。
「うわっ、溺れないでねー」
泳げないミーリはレキの姿が消えた水面に向かって、こわごわと呼びかけていた。
湖はそんなに深くはなかった。光は水に潜るとますます強くなっている。
その光のあるほうを目指して泳いで行くと、中心には直径20cmくらいの光を放つ球体があった。
レキはちょっと迷ったが、その光る球体を両手で包んで持ち上げると、再び水面を目指した。
プハッ! と水面に出るとミーリが心配そうに立っているのが見えた。レキはミーリのいるほうへと泳いで行き、水からあがった。
「それ、なーに?」
ミーリがレキの持つ光る球体を指して聞いた。
「なんだろ? さっきの奴が言ってたモンスターにとって都合の悪いものだと思うけど……」
そう言ってレキは球体を観察した。見るからに不思議なものである。
感触は柔らかくも固くもなく、冷たくも熱くもない。ただひたすらに光を放ち続けているだけだ。
しかし、レキがひとしきり球体を調べおわる前に、それはいきなりカッと輝くような眩しい光を放ちながら真っ二つに割れてしまった。割れた球体はそのまま大気に消え、レキの手には今しがたその光の中から出てきたらしい一冊の本だけが残る。
「これは……」
レキは突如自分の手の中に出現した本を一目見て、とても驚いた。
その本は古びて茶色くなっており、表紙には題名がない代わりに不思議な紋章のようなものが描かれていることが確認できる。
「なにこれ? 汚い本だね」
ミーリは顔をしかめたが、レキはミーリに向かって微笑んだ。
「やっと探しものが一つ見つかったよ」
レキの言葉に、ミーリは不思議そうにその古びた本を見た。
「これがレキの探していたものなの?」
「うん、ミーリにも後で詳しく話すよ。とりあえず早く村に帰ろう。みんなが心配してるよ」
* * * *
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