第1話「幼い旅人」①
世界七大大陸の一つ「ラトル大陸」にある、地図にさえ載らない小さな村・ユタ。
そこは住民が全部で20人ほどで、旅人の行き来もほとんどない、外の世界からはほぼ孤立しているといってもいいくらいの田舎町だった。
村の外では多少のモンスターが出るものの、それほど強いモンスターもいなければ村の住人が外へ出ることも滅多になかったため、村はいたって平和である。
村の住人はほとんどが自給自足で野菜を作ったり、家畜を飼ったりして生活していたが村には一軒だけ宿屋があった。
旅人がほとんど来ないのだから宿屋なんてそうそう商売にはならないのだが、たまに外の世界から珍しいものを売りにくる商人などを泊めるために普通の民家が副業のようなかたちではじめたものだった。
その宿屋でめずらしく朝からバタバタとにぎやかな足音がしていた。
「おっはよー! 朝だよレキ!」
そう言いながら「バァン!」と扉をおもいっきり開けて入ってきたのは宿屋の娘・ミーリという少女だった。
黒と茶のちょうど中間くらいのアッシュブラウンの髪を両側でおさげにしたあどけない少女で、年はまだ10を少し超えたくらいだろう。
ミーリが元気いっぱい声をかけた相手は、そのあまりの勢いに驚いて目を覚ます。
「わぁっ!? びっくりした……。ミーリ、できればもうちょっと優しく起こしてもらえないかな」
にぎやかな朝の訪れに、レキと呼ばれた少年は軽く不満をもらしながらも怒った様子は全くなく、「うーん……」と伸びをしつつベッドから起き上がると、ミーリに向かってにっこりと笑った。
とても笑顔が似合う少年で、多少寝癖がつきながらもサラリと輝く金髪と明るいブルーの瞳が差し込む朝日に照らされ一層キラキラと輝いており、それが爽やかな印象を与えている。
「レキがいつまでも寝てるからだよ! もう朝ゴハンできたって、おねーちゃんが言ってたよ」
ミーリがいたずらっぽく笑いかけながら言う。
この宿はミーリの姉そして母の二人で主に営われており、父親を早くに亡くしたミーリの家族は残された人手で協力しあって宿を支え合っているのだ。
「わかった、今いくよ」
レキはミーリに相槌をうつと、ぴょんとベッドから降り、再び大きく伸びをした。
レキが着替え、ミーリと一緒に一階にある食堂へと降りていくと、そこではミーリの姉であるルーシィと母のローサが朝食を用意してくれていた。
二人以外にも朝食を食べに来ている村の住民が数人テーブルについている。
「おはようレキ君、ミーリがうるさくしてごめんなさいね。よく眠れた?」
どうやらミーリがレキを起こす声は一階にまで届いていたようだ。おそらくその声は間近で聞いていなくとも、かなりの大音量だったことだろう。
「ミーリはもう少し落ち着いてくれるといいんだけど……」
ミーリの姉、ルーシィがちょっと困ったような表情をしながら言う。
ルーシィは落ち着きのないミーリとは正反対の、どちらかというとおっとりとした女性で、二人は姉妹といえどもその性格はまったくの対照的だった。
そしてルーシィは普段から元気のありあまっている妹に手を焼かされていたのだ。
「わたし、普通に起こしただけだもん」
ミーリが少しムッとしつつ反論する。
両頬を大きくプーと膨らませ、怒った表情をつくってみせていた。
「うん。ミーリはほんの少し元気すぎるだけだから、大丈夫だよ」
レキはそのやり取りを見て、クスクスと笑いながら一応フォローを入れた。
しかし、元気すぎるという言葉はあまりフォローとはとられなかったようでミーリはさらに頬を膨らませた。
「こらぁレキ! それ、どーゆー意味なの!」
言いながら、ミーリは軽くポカッとレキの頭にツッコミを入れた。
こんな光景はここ最近のお決まりのやり取りの一つで、それを見ていた誰からかともなく自然と笑いがこぼれる。
それは何気ない朝の幸せなひとときだった。
「ところで、レキ君はいつまでこの村にいられるの?」
ひとしきり笑いのおさまったところで、ミーリの母がレキの前に朝食がのった盆をおきながら何気なく聞いた。
「今日の昼には出発しようと思ってるよ」
「そう……」
ミーリの母は少し寂しそうな顔になる。
レキはもともとこの村の生まれではなかった。それどころかほんの二週間前に外の世界からやって来たばかりである。
レキはたずねて来るものの少ないこの村に、久しぶりの旅人としてやって来たのだ。
もの珍しい旅人ということに加え、まだ13才という若さの少年が一人でここまでやって来たことに村の人はみな興味と歓迎の意をあらわしていた。
しかしまだ滞在して二週間ということを思わせないほどに、レキはこの村になじんでいた。
もともともっている性格というか才能というか、レキには自然と人を引き付ける魅力のようなものがあり、旅人ということを抜きにしてもレキは人気者だったのだ。
まるで、ずっと昔からこの村に住んでいたかのように、レキは村人の日常生活の中にとけこんでいた。
「……この村にとどまることはできないの? どうせ部屋はいつだって余ってるし、村の人手も足りてないからレキ君さえよければ好きなだけここに居てくれれば……」
ミーリの母はおよそ返ってくる答えはわかっていたが、それでも聞かずにはいられなかった。
「……うん。この村のことは大好きだけど、オレは旅に出てやらなきゃいけないことがあるんだ」
そう……とだけ言ってミーリの母はそのまま黙り、少し寂しそうに他の客の朝食の片付けを始める。
そんな彼女の代わりにカウンター越しに座っている村の男が身を乗り出してきた。
「まぁ、気が向いたらまたいつでも来いよ。そのときは歓迎するからよ!」
わはは、と笑いながら男は明るく言い放った。またいつでも会えるというような軽い口調だったため、なんだかそれにつられてレキも思わず少し笑顔になる。
「………レキ、行っちゃヤダよ」
しかししばらく黙って聞いていたミーリが突然口を開いた。さっきのおフザケの時の様子ではなく、今度は本当に少し怒ったような表情をしている。
「まぁまぁ、ミーリ。レキは元々この村に用があって来たわけじゃねぇんだからさ。たしか旅の途中で道に迷ってたまたまここに着いたんだったよな? だからこれ以上引き止めるわけにもいかねぇよ。もう二週間も引き止めちまってるわけだしよ」
先ほどの男がミーリをなだめる。
しかし、ミーリはそれには答えずしばらく黙っていたが、やがて席を立ってスタスタと食堂を横切ると、そのまま扉を開けて外へと出ていってしまった。
「ごめんなさいねレキ君。あの子、年の近い友達はレキ君が初めてだから、あなたがいなくなるのが寂しいのよ」
ミーリの母親が片付けの手を止め、レキのほうを見ながら少しだけ残念そうにぽつりと呟いた。
レキも黙ってはいたが、この村から離れるのは正直寂しく思っていた。
朝食はどれもとてもおいしく、特に今朝とれたばかりの野菜で作ったサラダは絶品だった。
レキが朝食をとりおわると、宿屋には交代で村の人が次々と訪れ、しばらくはみんなと雑談して過ごした。
せまい村なので今日レキが出発するという話がもう広まったのだろう。みんな顔を出してはレキに声をかけていった。
やっと客が途絶えたときにはもう昼前になっており、レキは急いで二階に上がると二週間過ごした部屋をきれいに片づけ、自分の荷物をまとめあげた。
そして再び荷物を持って下に降りようとしているところで、一階からルーシィの「ええっ!?」という何やらひどく驚いた声が聞こえてきた。
「……? どうしたんだろ?」
気になったレキはまた一度荷物を置き、一階へと降りていった。
「本当にミーリが?」
レキが食堂に降りると、ルーシィがたった今宿屋を訪ねてきた様子の老人に、不安げに問い返している姿が目に入った。
その老人は村の一番外れに住む村長だ。
「そうじゃ、間違いない。今朝早くに村の外に出ようとするミーリと会ってなぁ。どこに行くのかと聞いたら、村より少し北にある星の湖に行くと言っておったんじゃ」
村長は降りてきたレキにも気づき、ちらりと視線を向けながらさらに続ける。
「その辺りはモンスターも出るからと止めたんじゃが、それくらいのモンスターは自分の魔法でなんとかできると言って聞かなくてな。しばらく待ってみたんじゃが……まだ帰ってこんのじゃ。まさかミーリの身に何かあったのではないかと思ってなぁ……」
村長はいくらなんでも帰りの遅すぎるミーリが心配になり、知らせに来たようだ。その様子は心からミーリの身を案じていた。
「星の湖……ここからそんなに遠くないわ。何事もなければもう十分帰って来てる時間なのに……」
ルーシィも村長の話に、さらに不安そうな顔をして言った。
「どうしましょう……ミーリにもしものことがあったら……」
モンスターの脅威が常に身近にある生活なので、冒険者を生業としていない村の人間でも護身のための簡単な魔法や剣術を少しは修練していた。
しかし、だからといってモンスターと遭遇しても大丈夫というわけではなく、それはほとんどカタチだけのものである。
実際にモンスターと戦ったことのある人なんて大人でもこの村にはほとんどいない。
「オレがミーリを探しに行って来るよ」
二人の話を聞いていたレキがすぐさま言った。
ルーシィと村長が同時にレキを見る。
「でも……危険だわ。もしもレキ君にまで何かあったら……」
「大丈夫! オレはもともとこの村の外からやって来たんだから。ちょっとくらいモンスターが出たって平気だよ。ミーリはオレが無事に連れて帰ってくるから、二人は安心して待ってて!」
そう言うとレキは二人に向かってにこっと笑いかける。
笑うと13才よりももっと幼く見えるレキだったが、その幼い笑顔はなぜか二人を不思議と安心させるようなものだった。
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