僕たちを連れていくよ
「てがみ君」
そのとき、僕の名前を呼ぶ阿鷹瑚春の声が少しだけ震えていたのを、僕は聞き逃さなかった。そらし続けていた顔を戻すと、彼女は、ともすれば怒っているようにも見えるほど真剣な表情で僕を見つめていた。
「どうしたんだよ、そんな改まって」
僕の身体は椅子ごと少しだけ後ろに下がってしまう。キッという嫌な擦過音がして、それからまったくの静寂が訪れた。遅れて聞こえてきた運動部の掛け声が、ひどく遠くからのものに感じた。
「ちゃんと見たんだよね、私の夢を」
「……ああ」
【返り咲く】
角の丸い女の子らしい自体には不釣り合いなほど、それは簡潔で力強い宣言だった。
「やっぱり戻りたいのか? 昔の自分に」
その宣言を、スクールカーストの頂点にいた頃の輝かしい阿鷹瑚春に戻りたいという願いと僕は受けとった。そしてそれは僕の思い込みなんかではなかったようで、彼女は力強く二回頷いてみせた。
「そりゃあね。ボッチ生活も気楽だし悪くないんだけど、やっぱり、あの頃の私の方がきらきら輝いていた気がするから」
「清々しいほどの自画自賛だな」
そうやって僕が笑うと、阿鷹瑚春は本日二度目の、こちらに手の甲を向けるあの不敵なピースをしてみせる。
「自分の魅力も理解してないようじゃ、カーストトップは張れないからね」
なるほど、と僕は相槌を打った。
「じゃあ、阿鷹はいったいどんな手段を使って返り咲こうと思ってるんだ?」
「そんなの、まだなにも決まってないよ」
「はあ?」
僕の間抜けな返事が流石に頭にきたのか、阿鷹瑚春は眉をひそめて「そんな簡単に思いいつくんだったら、紙ヒコーキなんて飛ばさないから」と興が醒めるようなことを言う。
「所信表明を書いたテストの裏紙ヒコーキ作って明日に投げるよ、ってか?」
僕が棒読みでそう言うと阿鷹瑚春は「名曲を雑にいじるな」と可愛らしく憤慨する。
「でも、戻りたいって気持ちは本気なんだよな?」
「もち」
「だったら、俺にもそれを手伝わせてほしい」
僕の宣言がよっぽど急だったのか、阿鷹瑚春は簡単には乗ってこず、まずは怪訝そうに唇を尖らせてみせる。
「ごめん、すごくありがたいことを言ってくれてるのはわかってるんだけど、理由を教えてくれない?」
彼女の表情は穏やかなものだったけれど、同時にどこか硬さもはらんでいるように見えた。テストの裏に書いた夢に対する真剣さの片鱗みたいなものを、僕はぼんやりと感じとる。
「理由は三つある。一つは、俺がスクールカーストのトップに居るような奴らのことを嫌ってるから。一泡吹かせてやりたい」
「理由の一つ目からいきなりネガティブすぎない?」
「もう一つは、テストに夢を書いて紙ヒコーキにして飛ばすその感性と行動力に惚れたから」
「いじってるよね? もうそれいじってるよね?」
律儀に、そしてどこか楽しげにツッコミを入れてくる阿鷹瑚春を無視して、僕はほんの少しだけ息を吸う。
「最後の一つ、阿鷹が俺の名前を褒めてくれたから」
今度は、彼女もすぐには合いの手を入れてくれない。僕はだんだん恥ずかしくなってきて、この窓際の誰かさんの机に顔を伏せたくなる。
「それ、あんま関係なくない?」
なぜか、阿鷹瑚春の方も少し恥ずかしげだった。今度は僕が、窓の外に目をやる番だった。
「関係ないよ。でも、嬉しかったんだ。あんなにまっすぐ俺の名前を呼んで、褒めてくれた人は、阿鷹が初めてだったから。阿鷹は俺の行動原理を理解できないかもしれないけど、それだけで力になりたいと思えた」
わりと真面目に胸のうちを晒したというのに、彼女は直ぐに反応を示さず、なにかを考え込むように沈黙している。
そして、さっきも見せた、どこか怒っているように見える真面目な表情で僕の目を捉える。窓からの光を映す彼女のヘーゼルの瞳が、息を呑むほど綺麗だった。
「てがみ君は、自分の名前が好きなんだ?」
「今、好きになろうとしてるところ」
僕は即答した。阿鷹瑚春は笑みをこらえるように唇を固く結んでいる。
「よかった」
「なにが」
「本当はさ、てがみ君が信頼できそうな人ならどうにか丸め込んで私に従わせようと思ってたんだけど、普通に友好的な関係を築けそうだなって」
「お前さ、本音を繕わずに伝えることを美徳だと思ってない?」
僕がそう言うと、阿鷹瑚春はなんだか感心したように数度頷いて見せる。
「なんていうか、言語化する能力が高いよね、てがみ君って」
「ボッチなのに?」
「ボッチなのに」
コミュニケーションの輪からはみ出た者同士、僕たちは卑屈に笑いあう。
「じゃあ、本当に一緒に考えてくれるんだ? 私が人気者に返り咲く方法」
「ああ」
阿鷹瑚春は、四つ折りにしてブレザーのポケットに仕舞っていたテスト用紙を取り出して、物理だけを選んで残りを再びポケットに仕舞う。
僕は、彼女の細く細い指が丁寧に紙ヒコーキを折るのを眺めている。瑞々しく膨らんだ爪は派手な装飾こそないけれど確かな光沢を放っていた。それは僕には生み出せない、彼女だけが持つ密かな輝きだった。
「できた」
折り目がついて皺がいったその長細い紙ヒコーキが、彼女の右手からグラウンドに放たれる。阿鷹瑚春の夢と僕の親切心を乗せたそれは、雲を割って突き進むことも、ましてや虹をかけることなどあるはずもなく、風に煽られてまともに飛ぶことも叶わないまま、葉が茂る銀杏の樹へと突っ込んでしまった。
「あっけないね」
と僕は言った。
「いいんじゃない? 誰にも見つからなそうだし」
これって不法投棄かな? と阿鷹瑚春は言った。吹き込む風にピンクの髪が揺れる。
「さあ」
と僕は笑った。
なんとく、僕たちの前途は明るいのかもしれないと思った。
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