【失言ホラー 一言目】褒めたつもりだったのに【なずみのホラー便 第161弾】

なずみ智子

褒めたつもりだったのに

 大学生の弟が左頬を腫らして帰ってきた。

 私が理由を聞くと、弟は付き合っていた彼女に強烈なビンタを食らったうえ、その場で別れを告げられたらしい。


「俺はただ、あいつを褒めたつもりだったんだよ……なのに、なんで怒ったんだようぅ……」


 初めてできた彼女にフラれてしまった弟は、涙目になっていた。

 前に一度だけ、弟は件の彼女をこの家に連れてきたことがあった。

 髪は明るい色にカラーリングされ、メイクもバッチリと隙が無く、少し派手目な今時の女子大生といった風貌の娘であったが、挨拶や言葉使いは意外にもちゃんとしていた。

 その見た目よりずっと真面目でしっかりした娘であるとの印象を私は彼女に抱いていた。


 あの彼女に弟はいったい何を言ってしまったのか?

 何はともあれ、上手くいっているようであった関係を一発で終わらせる失言を弟がしてしまったのは事実だ。

 本人はそんなつもりはなくとも、相手にとっては取り返しのつかないカテゴリーに該当することはあるし、その人格を否定ならびに攻撃するようなことは相手が誰であれ、言ってはならない。

 姉馬鹿かもしれないが、私の弟はそこまで考えが浅く、思いやりのない人間ではないはずだ。

 けれども、同じ人間とはいえ、男と女のとらえ方の違いというものは多少はあるだろう。

 彼女、いや元彼女と同じ女として、弟の今後の恋愛における学びとなれば……と、私は弟から詳しい話を聞いてみることにした。


「今日、あいつのマンションに遊びに行ったんだけど、机の上にいろんな検定のテキストが積んであってさ。あいつ、見た目によらず、すげー真面目だし検定マニアでさ……一番上に色彩検定のテキストが置いてあったから、俺、あいつにちゃんと断ってから、それを見せてもらったんだよ」


 ここまで聞いた時点では、この後のビンタに繋がるような兆候は一切見られない。


「テキストをパラパラめくっていくと、いろんな色が掲載されているページがあって……単に赤系の色一つとっても、これだけの種類があるんだって感心せざるを得なかったよ。カタカナのバーガンディとかテラコッタとかは聞いたことあったけど、知らなかった日本語の色も幾つかあったんだ。そン中で、鳥の鴇の色と書いて『鴇色』ってのがあって……」


 弟は頭を掻きながら続ける。


「その鴇色を見た俺は、この綺麗な色はどっかで見たことがあるよなって、思い出そうとしたんだ……で、すぐに思い出せた。だから、あいつに『この綺麗な鴇色って、お前の乳首と同じ色だな』って言っただけだよ。そしたら、あいつ……一瞬、凍り付いたかと思うと、真っ赤になって『キモい!』とか喚きながら、ビンタを食らわせきて……」


 私は呆れずにはいられなかった。

 話を聞きたそうとしたのは私とはいえ、弟よ、あんたは自分の元彼女の乳首の色というデリケートでプライベートにも程がある事項を姉にそっくりそのまま話すことについては何とも思わないのか?

 私の心中には気づかず、弟は話し続ける。


「俺はあいつが『やだ、もう、何言ってんの』って恥ずかしがりなからも一緒になって笑ってくれると思ってたんだよ。第一、俺はあいつの乳首を貶めたわけじゃない。綺麗な色だって褒めたつもりだったのに……」


 いや、だから、その褒め方があの元彼女にとっては凄くキモかったんだよ。

 検定試験に一発合格ならぬ、即座にあんたとの別れを決意させるほどのキモ冷めポイントだったんだろうよ。

 私は弟の肩を叩いて励ました。


「この世界には様々な色があるように、あんたと一緒になって笑ってくれる娘も世の中にはいるだろうけどね。それに、今回のことは、男女としての愛は色褪せていても長い付き合いによっての情がまだ色褪せてなかったなら、内心は『キモい!』って思っても表面上は『あーはいはい』と流してもらえたかもしれないことだとも思う……でも、あんたはあの彼女と肉体関係を結ぶことはできていても、情によっての色褪せぬ関係性はまだ構築できてなかったんだろうね」


「いや、そういう問題なのか? これって……」


(完)



【後書き】

 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 連載中の長編の下書きに取り掛かっていたところ、失言ホラー2本のアイデアがおりてまいりましたので急遽、形にしました。

 2本目も近いうちに公開予定です。

 なお、作中の弟が元彼女に褒めたつもりで言った言葉についてですが、仮に作者が同じことを言われたなら、元彼女と同じく「キモい!」と思ってしまいますね。

 さすがにビンタはしませんが……。

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