記憶喰らいの檻

友智コウ

第1話 記憶喰らいの管理者

「過去に戻りたい」と思う人は多いと聞きます。それはなぜかと質問すると、後悔していることがあり、それを解消したいからだとか、恋の未練を断ち切りたいからだと言われることが多いようです。では、なぜ人はこんなにも後悔することが多いのでしょうか?もしかしたら、実際には「そんなことはない」と自分に言い聞かせているのかもしれません。そんな過去の未練をエサにする生物を、あなたは知っていますか?その生物は、何とも良い感じの名前で呼ばれていて…それは、ノスタルジスと呼ばれています。


誰が名前を付けたのかは、不明だが意味は、


「ノスタルジア」と「スパイラス」=食べるものを掛け合わせた名前。なんとも安直な名前だと思った。私は、この世界でその生物の維持管理を任された。飼育員?それとも管理者?そこら辺は感じ方次第だが、少し厄介な人選だということがわかった。何しろ、その生物はただの未練を食べるだけではなく、飼育環境によってはその性質が変わり、場合によっては管理する者にすら影響を及ぼすことがあるからだ。


その生物が求めるのは、ただ「過去の未練」だけではない。時には、管理者自身の内面に潜む、忘れたくても忘れられない記憶までもがそのエサになり得る。そのため、私が一番警戒しなければならないのは、感情や記憶の「漏れ」のようなものだ。


一度、私が過去の痛みを少しだけ思い出してしまった瞬間、それはすぐに察知され、まるでその思い出を吸い取るように生物が反応を見せた。私の中でわずかな変化でも、奴らには敏感に伝わる。それに気づいたとき、私はただの管理者ではないことを痛感した。


私はその生物たちを「記憶喰らい」と呼ぶことにした。過去の未練を食べることで、その力を得ているのだろう。そして、それが増長すると、飼育環境が少しずつその生物たちに侵食されていく。私たちが「管理」と思っているものが、実は逆に彼らによって管理されているのでは? と思うようになった。


ある日、私はその事実を直視せざるを得なかった。未練があふれ出し、管理区域の壁が崩れ始めた。やがて、どんな些細な後悔でも、「記憶喰らい」にとっては無敵のエサになる。もしこれが続けば、施設の全てが崩壊してしまうだろう。


その瞬間、私の目の前で一匹が震えるようにして動き始めた。まるでその身が膨れ上がり、過去の痛みを吸い込むかのように。その様子を見て、私は頭の中で一つの結論にたどり着いた。


「このままでは、もう止められない。」


私は冷静さを保ちながら、管理システムにアクセスする。施設のロックダウンを試みるも、その操作は無駄に終わった。どうやら「記憶喰らい」たちは、施設の一部のシステムにも干渉できるようになったらしい。以前は管理が行き届いていたはずの場所が、今や彼らの力で支配されていく。


それでも、私は最後の手段に託すしかなかった。施設内には、過去のデータがすべて保存された保管室がある。そこには「記憶喰らい」を封じ込めるために、最初に作られた秘密の装置が隠されていた。それを使えば、彼らの暴走を止めることができるはずだ。


だが、私はすでにその装置に近づけるだけの力を失っていた。未練が私の中で膨れ上がり、過去の記憶が足を引っ張る。それらが引き金となって、私もまた「記憶喰らい」になりかけていた。


「やめろ…!」


私は自分に言い聞かせ、必死で制御しようとする。だが、無意識のうちに過去の痛みが頭をよぎる。その度に、周囲の「記憶喰らい」たちが活性化し、ますます勢いを増していく。


もう時間がない。私は決心した。過去の自分と完全に決別し、装置を手に入れる。それが成功すれば、すべては元通りになるかもしれない。しかし、もし失敗すれば、私は完全に「記憶喰らい」の一部となり、施設も崩壊し、全てを失うことになる。


そのとき、突然、背後から声が聞こえた。


「それを試す価値は、あるのか?」


振り向くと、見知らぬ人物が立っていた。その人物の目は、どこか冷徹で、私を見透かしているような気がした。彼は、まるで私の心の中を読んでいるかのようだった。


私はその人物を睨みつけた。だが、言葉を発する前に、彼の手が素早く動いた。気がつくと、私の手には小さな装置が握られていた。それは、施設の保管室にあるはずの秘密の装置——記憶喰らいを封じ込める唯一の手段だった。


「なぜ……?」私は息を呑む。


「君がここまでたどり着けるか試したかった」と彼は冷淡に言う。「だが、時間はもうない。選べ——お前が記憶を捨てて装置を起動するか、それともここで彼らの一部となるか」


私は装置を握りしめた。躊躇う理由はなかった。だが、背後でうごめく記憶喰らいたちの気配が、私の決意を鈍らせる。彼らは私の未練そのものだ。捨てるということは、過去のすべてを失うということ。


「……決めたよ」


私は装置を起動するボタンを押した。途端に、空間が歪み、耳鳴りのような振動が施設全体に響き渡る。記憶喰らいたちは悲鳴を上げ、黒い霧のように消えていく。しかし、それと同時に、私の中の過去の記憶も、次々と剥がれ落ちていった。


家族の顔。笑い声。痛み。怒り。絶望。


すべてが霧散し、私は何もない空白の存在になった。


——いや、違う。


私はまだ生きている。ここに立っている。


気がつくと、施設の中には私と、あの男だけが残っていた。彼は満足げに頷くと、静かに言った。「おめでとう、お前は選択した」


「……私は誰だ?」私はぼんやりと呟く。


「それを決めるのは、これからだろう」


彼の言葉が消えると同時に、施設全体が崩れ始めた。私は出口へと駆け出す。自分が何者だったのか、もう思い出せない。だが、これから何者になるのか——それは、自分で決められる。


私は、生まれ変わった。

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