日々のエッセイ
由永 明
第1話 おとなになって必要な学びとは何か
理科は、文化系はおとなになってから役に立たないから学ばなくていい。
この表現には肝心な何に、という部分が省略されている。お金を集めるために、というのが当然のこととして暗黙のうちに了解されているから言う必要もないという了見だと思う。
おとなになるということは、経済的にも精神的にも自立することだと考えると、昔の読み書き算盤、というのは大切なことでそれは今でも変わっていない。今で言うと、スマホやAIの知識や使い方のことだろうか。
確かに、昔は食べていくことで精一杯でそれ以外に時間も労力も割く余裕はなかったと思う。しかし、現代は豊かになって、食べること以外に興味関心を向ける余裕が持てるようになった。
そういった豊かになった今の時代だからこそ、物事の価値観の多様性というのを認識すべきだと思う。
赤ちゃんをみていると、おとなにとってはなんの価値もないとおもえるような、紙切れ1枚、空き缶、そんなものでも興味を持って触ったり匂いを嗅いだり、口に入れたり、転がしたり折ったり、やりたいように様々に向き合ってる。これは大人目線でいうと、遊んでいるということだと思う。赤ちゃんにとってはおとなが考える高額なおもちゃも、どこにでもある日用品でも価値に違いはない。同じように好奇心をもって近づいていく。それが人間の本来のあり方なんじゃないかなあ。
おとなが子どもたちに伝えるべきことは、ものの見方の多様性、価値の多様性、ということだと思う。おとなになるということ、人間が命を生きるということは、そして自分の人生を生きるということはどういうことなのか、一人ひとりが違う価値観で考える自由を持っているのが現代だと思う。
赤ちゃんが何にでも興味を持つように、人間は本来学ぶことは楽しいことだということを知っている。何度転んでも諦めずに立つ練習をした赤ちゃんの時代を誰もが経験しているはず。学び工夫してできなかったことができるようになることの喜びを知っているはず。楽で簡単なことに価値がある、というのは一面的な見方でしかありません。
お金を集めることだけが正義ではない、価値の全てではない、ということを知るために、理科も、文学も、様々な科目、そして遊びとしての経験も不要なものなどないと考えます。損することは大嫌い、少しでも得することに群がることを私はもったいないことだと感じています。
今まで先人たちが語り継ぎ、蓄積してきた歴史や経験、そしてその成果を切り捨てて矮小な人生を送ることこそ、大きな損ではないかしらと思います。
日々のエッセイ 由永 明 @yoshinaga2024
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