見えない天使
神楽堂
見えない天使
同じクラスに地主さんの娘さん、ミサちゃんっていうんですけど、私とは結構、仲が良かったんです。
けど、ミサちゃんのお父さんは、いわゆる地主さんで、村の中では結構評判悪かったんです。
私の両親も、その地主さんのことをいつも悪く言っていました。
事情はよく分からないのですけど、私は人の陰口を言うのも聞くのも嫌いです。
だから、そんな大人たちの話は聞かないようにしていました。
その頃、私は小学二年生でした。
席が近かったこともあって、私はミサちゃんとお友だちになりました。
ミサちゃんはいつもかわいい服を着ていました。
お金持ちの子っていいな~、って私はいつも思っていました。
ある日のこと、ミサちゃんに遊びに誘われました。
「カナちゃん、今日は私のおうちに遊びに来ない?」
「え? ホント? 行く行く!」
ミサちゃんのおうちって地主さんだから、大きいおうちなのかな?
放課後、私はわくわくしながらミサちゃんのおうちに行きました。
おお~!
見えてきた見えてきた。
噂通り、大きくて立派なお屋敷です。
そのお屋敷の前で、ミサちゃんは一人で遊んでいました。
道を行く人みんながミサちゃんに声をかけていました。
そっか、ミサちゃんは大地主の娘さんだから、顔も知られているんだ。
お屋敷から出てくる人たちは、おそらくはお客さんとか、使用人さんとかそういう人たちなのでしょう。
大人たちはみんな、ミサちゃんに優しく声をかけていました。
教室ではただのクラスメイトですが、学校を離れれば、ミサちゃんは地域の人たちによく知られた、いわば村の有名人でした。
教室でお隣に座って一緒にお勉強をしているミサちゃんが、ここではなんだか別人のように見えました。
ミサちゃんは、私の姿を見つけると笑顔で声をかけてくれました。
「カナちゃん、待ってたよ」
「ミサちゃんのおうち、大きくて立派だね」
「いつも言われるんだ。じゃあ、中で一緒に遊ぼ!」
お屋敷の門を開けてもらい、中に入ります。
塀の中も、想像以上に広くてびっくりしました。
池があって、木が植えてあって、川があって、水車みたいなのが回っていて……
私たちは玄関に向かって歩いていきます。
庭師のおじさんたちは私たちを見つけると、登っていた脚立から降りて、私たちに頭を下げて挨拶します。もう、びっくりです!
使用人さんたちはミサちゃんに挨拶しているんだろうけど、一緒にいる私までなんだかお姫様になったみたいな感じがして、顔が赤くなってしまいました。
やっと玄関に着きました。
お屋敷の中もとても立派で、目に入るものすべてに驚いてしまいました。
お屋敷の中で使用人さんとすれちがうときは、使用人さんは立ち止まって深々とミサちゃんにお辞儀をしていました。
私はこれまで、教室でのミサちゃんのイメージしかなかったのですが、ミサちゃんってものすごく偉い人なんだなと、すっかりイメージが変わってしまいました。
そして、普通の人である私がこんなところにいてもいいのかな、とドキドキしてしまいました。
ミサちゃんのお部屋も、おもちゃやぬいぐるみでいっぱいで、私には夢のような部屋でした。
使用人さんが、お茶とお菓子を立派なお盆に乗せて持ってきました。
何もかもが別世界で、同じ小学二年生なのに、私とこんなにも違う生活をしているということに驚きました。
もう少し大きくなれば、私なんて釣り合わないって思って、お友達になるのを遠慮していたかもしれません。
けれど、その頃は私はまだ小学校の低学年だったので、すごいなと思いながらも、ミサちゃんと学校でも放課後でも一緒に仲良く遊んでいました。
ミサちゃんのお屋敷に呼ばれて遊ぶことも増えてきました。
クラスのお友達が、私に話しかけてきました。
「カナちゃん、ミサちゃんのおうちに行ったことあるんでしょ?
「
「うん。ミサちゃんのお屋敷には、エンジェルがいるって。そして、そのエンジェルは子供にしか見えないんだって。それってホントなのかなって思って」
そんな話があったなんて知らなかった。
子供にしか見えない天使……
いったいどういうことなのだろう。
そういえば……
この前、ミサちゃんのお屋敷に行った時、お屋敷の門の前で白いワンピースを着た女の子が一人で遊んでいたのを見たことがありました。
門の前をいろんな人が歩いて通り過ぎていきましたが、誰もその女の子に声を掛ける人はいませんでした。
ミサちゃんが門の前で遊んでいるときは、ほとんどの大人の人がミサちゃんに挨拶をしていましたが、その子に対しては、なぜだか誰も挨拶をしません。
ということは、その子はミサちゃんのおうちとは関係のない子なのかな、と思いました。
人口が少ない村なので、村人の多くは顔見知りなんですけど、確かに私も、村にこんな子いたっけ? と思ってしまいました。
歳は私より少し下に見え、幼稚園くらいかなと思いました。
門が開いて、中から使用人さんが出てきました。
その使用人さんは、その女の子に挨拶することなく行ってしまいました。
私が近づくと、その子は顔を上げました。
近くで見てみると、なんだかとってもかわいい子で、私は思わず微笑んでしまいました。
すると、その女の子も私の顔を見て、ニコッと微笑み返してくれました。
この子が、「大人からは見えない天使」なのかなと思いました。
月日は流れ、私とミサちゃんはどんどん仲良くなり、またまたミサちゃんのお屋敷にお呼ばれしました。
そして、私はあの時の女の子に再び会いました。
お屋敷の廊下を私とミサちゃんが歩いていると、いつものように使用人さんは立ち止まって私たちに挨拶をしてくれます。
そして、今日はなんと、廊下にあの時見た女の子がいたのです。
その子に対しては、誰も立ち止まることなく、挨拶もしません。
ということは、あの子はミサちゃんの妹ではない、ということなのでしょうか。
いや、ひょっとしたら噂通り、あの子は子供にしか見えない天使なのかもしれません。
私たちがミサちゃんの部屋に入ると、なんと、その子もついてきて一緒に部屋に入ってきました。
ミサちゃんは言いました。
「今日はエンジェルちゃんと一緒でもいい?」
「この子、エンジェルちゃんっていうの?」
「うん。ほらエンジェルちゃん、カナちゃんに挨拶して」
すると、その女の子は私の顔を見てニコリと微笑むと、
「はじめまして。エンジェルです」
と、自己紹介してくれました。
私は驚いて、
「エンジェルちゃんは、ミサちゃんの妹なの?」
と、聞いてみました。
「妹じゃないの」
ミサちゃんは答えました。
確かにそうだと思いました。
道行く人も、使用人さんも、誰もエンジェルちゃんに見向きもしません。
ミサちゃんの妹さんなら、もっとチヤホヤされるはずです。
エンジェルちゃんは言いました。
「わたしね、なんだか、見えてないみたいなの」
そんなことある? って言いたくなったけど、さっきの使用人さんの様子からして、それは本当かも、とも思いました。
エンジェルちゃんは色が白くて、そして、お人形さんみたいにきれいな顔をしていました。
妹なら顔が似ているはずですが、ミサちゃんとは全然似ていませんでした。
こんなきれいな顔の子、村では初めて見たような気がしました。
私は言いました。
「私はカナ。エンジェルちゃんとお友達になってもいい?」
すると、エンジェルちゃんは、その名の通り天使のようなほほ笑みを浮かべて、
「うん」
と、言ってくれました。
こんなにもかわいいお友達ができて、私は嬉しい気持ちになりました。
三人で遊んでいると、いつもように使用人さんがお茶とお菓子を持って部屋に入ってきました。
お茶もお菓子も、二人分しかありません。
やっぱり、大人にはエンジェルちゃんは見えていないのかも。
いや、これってエンジェルにいじわるするために、わざとしているのかも。
だったら大人たちはひどい。
そう思いました。
「二人分しかないよ?」
私がミサちゃんに聞くと、
「うん、いつもこうなの……エンジェルちゃんの分はないの」
と、悲しそうに答えました。
それを聞いて、エンジェルちゃんは言いました。
「うん。いつもこうだから、気にしないで」
「え? それってひどい。みんなでエンジェルちゃんにいじわるしているの?」
「私のことはいいから」
それを聞いて、ミサちゃんは、
「私の分をエンジェルちゃんにあげるからいいの」
と、言いました。
このおうちはいったいどうなっているのだろう?
そして、エンジェルちゃんはいったい何者なのだろう?
謎は深まるばかりでした。
家に帰り、お父さんお母さんに聞いてみました。
「ミサちゃんのおうちに天使がいるって話、聞いたことない?」
「ミサちゃんと関わるのはやめなさい」
やっぱり……
いつもこうなります。
私のお父さんもお母さんも、いや、うちだけじゃないんだけど、ミサちゃんのおうちと関わりたがらない空気があるというか、そういう変な空気を私は前から感じていました。
私は、めげずに続けます。
「ミサちゃんのところにね、子供にしか見えない天使がいるんだって。本当なのかな? お父さんはミサちゃんのおうちのエンジェルちゃんを見たこと、ある?」
「あるわけないだろ」
きっぱりと言われてしまいました。
ん?
それって、やっぱり大人からは見えない存在だからなの?
天使なんているわけないという気持ちと、本当はいるかもしれないという気持ちとが半々になりました。
それからも、たびたび私はミサちゃんのおうちで遊ぶことがありました。
エンジェルちゃんとも遊ぶことが増えてきました。
エンジェルちゃんは、私にすごくなついてくれて、私が来るのをいつも心待ちにしているとのことでした。
私も、こんなかわいい子になつかれて、それはそれで幸せな気持ちになりました。
ミサちゃんも、エンジェルちゃんが楽しそうにしているのを見ると、なんだか嬉しくなると言っています。
エンジェルちゃんの微笑みは、本当に天使の微笑みでした。
その微笑みに、私たちはいつも癒やされていました。
ある日、本当に天使なのかも、と思って、私はエンジェルちゃんの背中を触ってみたことがあります。
けれど、羽は生えていませんでした。
輪っかがあるのかな、と思って、頭の上をまじまじと見たこともあります。
輪っかはありませんでした。
エンジェルちゃんは、本当に天使なのだろうか?
私には正直なところ、私と同じ人間のように思えました。
ただ、気になったのが、エンジェルちゃんのその美しさです。
色はとっても白いし、顔立ちが整っていて、私やミサちゃんとは違う種類の人間に見えました。
なので、エンジェルちゃんはひょっとしたら本当に天使かも、という思いは捨てきれませんでした。
あと、気になっているのが、エンジェルちゃんは子供からしか見えない、ということです。
エンジェルちゃんは、ミサちゃんのお屋敷では確かに、大人の人たちからまるで見えていないかのような扱いを受けていました。
でも、それはミサちゃんのおうちの問題かも知れない、とも思いました。
他の大人の人からエンジェルちゃんは見えているのかどうか、それが気になりました。
そして、それを確かめる機会が訪れました。
エンジェルちゃんがお屋敷の門の外で遊んでいたときのことです。
私もミサちゃんも、この時、一緒に外で遊んでいました。
門から出てくる使用人さんたちは、やはりミサちゃんには声をかけ、エンジェルちゃんには声をかけません。
使用人以外の大人たち、つまりは屋敷を訪れるお客さんや通行人、それらの人たちもやはり、ミサちゃんに対しては声をかけるのですが、エンジェルちゃんには絶対に声をかけないのです。
大人にはエンジェルちゃんは見えていない。
それは、本当のことのように思えました。
しかし、その考えを覆す出来事がありました。
ある日のこと、ミサちゃんからどうしても放課後来てほしいって言われて、おうちでは私の親からまた行くのかとかいろいろ言われてケンカになり、結局、行くのが遅れた日がありました。
お屋敷の近くまで来ると、門の前にエンジェルちゃんとミサちゃんがいて、そして、黒くて高そうな車が停まっているのが見えました。
車からは、背が高くてかっこいい男の人が降りてきて、ミサちゃんのお父さんお母さんと何やら話をしていました。
その後、男の人はエンジェルちゃんの方を向くと膝をかがめ、なんと、話しかけていました。
エンジェルちゃんに話しかける大人の人を、私はこの時、初めて見ました。
エンジェルちゃんは、ちゃんと大人の人にも見えている!
びっくりしたけれども、同時に、安心もしました。
エンジェルちゃんはその後、手を引かれて車に乗り込みました。
どこかに行ってしまうの?
私は全力で駆けつけようとしましたが、門の前に着いたときにはすでに、車は出発した後でした。
「エンジェルちゃん、どこかに行ったの?」
私がそう聞くと、ミサちゃんは涙を流しながらこう言いました。
「エンジェルちゃん、本当のおうちに帰るって……」
「本当のおうち?」
私には何がなんだか分かりませんでした。
ただ、ミサちゃんの様子から、エンジェルちゃんはここに戻ってくることはもうない、ということだけは分かりました。
エンジェルちゃんが帰る日だから、絶対に来てねってミサちゃんは言ってくれたのでしょう。
それなのに、お別れの挨拶ができなくて、私はとても残念でした。
それから、幾年が過ぎました。
私もミサちゃんも大きくなりました。
エンジェルちゃんのことを二人で思い出したりもしました。
小学校を卒業し、ミサちゃんは都会の私立中学に行くことになりました。
私は村の中学校に進学し、その後、高校は都会にあるミッション系の女子高に進学しました。
小さい頃、エンジェルちゃんと遊んだ思い出が影響したのでしょうか。この高校に行けば、エンジェルちゃんと再会できるような気がしたのです。
エンジェルちゃんと遊んだときは小学二年生。
今は高校三年生。
あの頃は分からなかった事情が、今となってはいろいろと分かってきました。
ミサちゃんのおうちはかなり高い地代を取っていて、村の人たちからは強い反感を買っていました。
私の父も、ミサちゃんのおうちから土地を借りていて、それで心に含むものがあったようでした。
ミサちゃんのおうちは、いろいろと権力を持っていて、それを振りかざしていたので、村の嫌われ者だったようです。
けれども、地主さんに逆らうと村では生きていけません。
みんなは表では頭を下げていましたが、陰ではたくさん悪口を言っていました。
ミサちゃんのお父さんは地主さんであると同時に、村議会の議員でもあり、次の村長候補として目されていました。
しかし、女性問題が明るみになり、地主さんは失脚してしまったのです。
村で一番の器量良しと言われていたある女の人を「囲って」いたのです。
その女の人には元々、恋人がいたのですが、地主さんは権力を使って、お相手の男性を村から追い出してしまいました。
そして、その女性を別宅に囲ったのです。
その別宅というのが、私も建物を見たことがあるのですが、牢屋みたいな感じで、つまりは閉じ込められていたのでした。
地主さんはその別宅に通い、無理やり関係をもっていたとのことでした。
その女性はついには妊娠してしまいます。
地主さんは堕ろさせようとしたみたいですが、女の人の強い希望で産むこととなりました。
その子が、エンジェルちゃんだったのです。
つまりは、エンジェルちゃんは地主さんの愛人との間の子供でした。
この事実が明るみになり、村人たちからの非難を浴びて、地主さんは村議会議員を失職してしまいました。
そして、エンジェルちゃんを産んだ女の人は、産んだ子を取り上げられた挙げ句、引き続き監禁生活を強いられ、心を病んでしまいました。
悲しいことに、監禁部屋でその女の人は、首を吊って死んでしまったそうです。
そのこともまた、村中に知れ渡りました。
私は子供だったので、そういった事情をまったく分かっていなかったのですが、村の人たちが地主さんを悪く言っていた理由がこれでやっと分かりました。
議員を失職しても、地主さんは相変わらず権力を振りかざし、村人たちからは恐れられていました。
女の人を監禁して子供を作り自殺に追い込んだこの話は、村のタブーとなりました。
そのことで地主さんを責めた人がいたのですが、結果、村から追い出されてしまうという事件もありました。
地主さんの愛人の子については触れてはならない。
そんな雰囲気が村には蔓延していたのでした。
村人たちがエンジェルちゃんのことを、あたかも見えていないかのように扱っていた理由はこれだったのです。
エンジェルちゃんは、お屋敷の中でも冷遇されていたとのことです。ミサちゃんのお母さんからの命令だったらしいんですけど、エンジェルちゃんのことを極力無視するよう、使用人たちに指示が出ていたとのことです。
エンジェルちゃんは大人から見えなかったというより、大人の事情で、いないことにされていた、といった方が正しいのかもしれません。
とにもかくにも、ひどい話だと思いました。
では、あの時、車で迎えに来ていた人は、いったい誰だったのでしょう。
とある検査から、エンジェルちゃんは地主さんの子供ではないことが分かったのでした。
元々付き合っていた男性との間の子供でした。
そのことが分かってからは、屋敷内でエンジェルちゃんはさらに辛い立場になったようでした。
エンジェルちゃんの本当のお父さんは、地主さんの力によって村から追い出されていましたが、一念発起し、新しい町で事業を起こして成功したそうです。
裁判で勝って、エンジェルちゃんを引き取ることが正式に決まり、それであの時、車で迎えに来ていたのでした。
あの日、エンジェルちゃんのことをちゃんと見えていた大人の人、それはエンジェルちゃんの本当のお父さんだったのです。
今日は高校の入学式。
名簿を見ていたら、ある名前を見てはっとしました。
クラスメイトたちは、随分変わった名前だねと言っていましたが、これはもしかしたら、と思いました。
その子に会ってみました。
「あの、私、カナって言うんですけど、あなたはひょっとして、小二まで一緒に遊んでいたエンジェルちゃんですか?」
すると、まるで天使のような彼女は微笑みながら答えました。
「ひと目見てすぐ分かったよ。カナちゃんだよね! お久しぶりです。私は
「エンジェルちゃん! 私、心配していたよ。あれからどうなったの?」
私とエンジェルちゃんは、これまでのお互いの人生について、いつまでも語り合いました。
もう、エンジェルちゃんのことを「見えない」なんて言う人は、いません。
< 了 >
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