『0能者ミナト』第一話「嫉」②

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 朝のおおくら市にいくつものサイレンが鳴り響いた。


 パトカーや救急車が街の中心部にある人知らずの藪の周囲に集まる。大勢の野次馬が遠巻きにおそるおそるのぞいていた。


「こっちだ。まだ間に合う」


 そう言って走ってきた救急隊員が担架で人を運んでいる。担架からだらりと垂れた腕からは血がしたたり点々と地面に落ちた。


 黄色い立ち入り禁止のテープの外側で、泣き叫ぶ母親がいた。しかし厳重に取り囲んだ警官によって、中に入ることはかなわなかった。


 野次馬達の前には深くえぐれたアスファルトの道路があるだけだ。めくれあがったアスファルトから土の地面が顔をのぞかせ、場所によっては破裂した水道管から水がふきでていた。


 横転した車、ひしゃげたトラック、ちぎれたガードレール、瓦解した塀、まるで空爆にあったかのように街が破壊されている。


 その光景を前にしてテレビ局のカメラとリポーターの姿もあった。


「今朝、大倉市で起こった事故現場です。ごらんのようにいまだに混乱はおさまらず、全員の安否も確認できておりません。なぜ道路の一本だけ百メートルもの長さで崩壊したのか、警察も消防も原因は特定できておらず、たつまきの一種、テロ行為、地盤沈下など様々な憶測が飛び交い、周囲の住人は……」


 レポーターやテレビカメラの死角をぬうように、奇妙な集団が人知らずの藪に向かっていた。中心にいるのは二十代後半の女性で、巫女の装束を着ている。人混みから守るように周囲を歩く男達はあさいろの服を着ていることから、宮司に使えるごんらしかった。


 かたい表情の巫女が人知らずの藪にたどり着くと、出入り口に立っている警察官が立ちはだかった。


「この先は立ち入り禁止です。お引き取りください」


 奇妙な集団を警察官はいぶかしむが、己の職務を忘れることはなかった。しかし中央の巫女姿の女性が書類を出すと、警察官の態度が変わった。


かげしんとうから派遣されましたみずたにです。許可は得ています」


「す、すみませんでした。お通りください」


 水谷理彩子と名のった女性は軽くうなずくと警察官の横をすり抜けた。早足なのは彼女の横顔に見える焦りの色と無関係ではないだろう。


「やはり……」


 理彩子は常世境と呼ばれる巨木の前にたどり着くと、かすれた声でつぶやいた。

 外の道路だけでなく、人知らずの藪の門から中央の巨木までの地面も、一直線にえぐれている。しかし崩壊した地面は、巨木の前でぴたりと止まっていた。あるいは巨木周辺より、未知の力が発せられたと考えるべきか。


 周囲の地面には血痕があり、幾人もの警察官が現場検証をしていた。白線で囲まれた場所が地面に点在している。しかしそれは人の上半身だけだったり、足の形だけであったり、どこか欠けているものがほとんどだ。


「クチナシ様、被害者の詳細がわかりました」


 警官から事情を聞いていた神官の一人が理彩子に報告する。


「派遣された神官以外にも被害者はいるようです」


「御蔭以外の部外者が紛れこんでいたってこと?」


「はい。学生証が見つかっています。素人しろうとでした。大学のオカルト研究会だそうです」


「……そう」


 御蔭神道に所属する理彩子は、クチナシ様と呼ばれ、若いながらもせいかいという高位に位置する身分を持っていた。御蔭神道においてそれは数々の怪異事件を解決した証であり、彼女は幼い頃から、怪異の引き起こした数多の現象を見てきている。


 とぎばなしの中にでてくるような愛らしい怪異もいれば、恐ろしく残酷で、人の体を食いちぎり、死体をいくつも転がしていくような怪異もいる。姿をなさず人の気をくらい、魂に同化し寄生して生きていくような怪異もいた。


 無残も不可思議も、彼女には日常の一つだった。今回の事件も規模こそ大きいが、そのような日常の一つであるはずだった。


 だが彼女にいつもの冷静さはなかった。


「それで、全員の遺体は確認できているの?」


 わずかに語尾がかすれている。


「いえ、山神沙耶の遺体だけは確認できていません」


「そう」


 理彩子のれいな表情にあんともとれる感情が表れるが、すぐに表情を引きしめるとご神木である二本の巨木の間に立った。


「これは?」


 地面に落ちている朽ちたなにかを見つけ、理彩子は表情をくもらせる。


「しめ縄の残骸……。やはり、封印は解かれてしまったのね」


 しかし手の中のしめ縄にはなにか違和感があった。朽ちているとはいえ、なにかが足りない気がする。理彩子がそれを思い出そうとしていると、周囲にざわめきが起こった。


 ざわめきに目をやった理彩子の目が見開かれる。次の瞬間、理彩子は人目もはばからずざわめきの中心へ走りよった。


「沙耶!」


 人知らずの藪の奥から、立っていることすら奇跡的に思えるほど、傷つき、ふらつきながら近づいてくる少女の姿があった。理彩子が駆けよると、少女の体は力尽きたように、腕の中に倒れこんでしまう。


「沙耶、しっかりして沙耶」


 沙耶は一度だけうっすらと目を開けてなにかをつぶやいたが、声となって聞こえるほど力強いものではなかった。そのまま沙耶は理彩子に体をあずけるようにして意識を失ってしまう。


 抱きとめた体から呼吸と心音を感じて、理彩子はひとまず安堵の表情を浮かべた。しかし肩越しにだらりと垂れさがった沙耶の細腕を見たとき、理彩子の表情が一変した。


「これは……」


 沙耶の腕を見て、理彩子はしめ縄の残骸を手にしたとき感じた違和感の正体に気づいた。


 封印のためのしめ縄には、と呼ばれるじんだいが書かれていたはずだ。


 伊ル日は十二の母音を持ち、発音方法はわかっていない。文様のようなそれを見て、文字だと認識する現代人は少ないだろう。謎が多い神代文字の中でも、伊ル日文字は特に強力な呪の力を持つと言われ、封印やとうに使われてきた秘伝の文字だ。


 しかし、しめ縄の残骸からその文字は消えている。


 かわりに、沙耶の白い右腕が、伊ル日の不気味な文字で埋めつくされていた。

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