0能者ミナト

葉山 透/メディアワークス文庫

『0能者ミナト』第一話「嫉」①

   プロローグ


「人知らずのやぶ」と呼ばれる禁足地が、街の中心にあった。


 いつ頃から人が入ることが禁じられたのか、街の歴史をひもいてもさだかではない。だが付近の住人はそれを長い間、ずっと忠実に守り続けていた。


 人知らずの藪は百数十メートル四方の公園程度の場所であったが、樹高が高く、枝葉の多い木々が茂るさまは、藪というより小さな森に近い。足を踏み入れなければ中の様子はほとんどわからなかった。


 中心には、とこざかいと呼ばれるご神木があるとされているが、地元の人間でも見た者はいない。ほんの五十メートルも歩けばあるはずのものを見ようともしない。人知らずの藪とはそのような場所であった。


「へえ、本当に街のど真ん中にあるんだ?」


 そう言ったのは二十歳前後の集団の一人だった。深夜十二時をすぎた真夜中、周囲には彼ら以外の人影はなかった。


「これって千葉県のわたの藪知らずに似てないか? 神隠しの伝承があるのも似ているし」


「神隠しか。人を寄せ付けないための脅しの定番じゃん」


 数人の男子学生が禁足地を前に、はしゃぎながらカメラのフラッシュを光らせていた。


「はいはーい、ではこれより、めいざんだいがくオカルト研究会、メイオカ研の実地研究を執り行いたいと思います」


 騒いでいる彼らは気づいていないが、周囲からほとんど物音は聞こえなかった。小さな街とはいえ、中心部に近ければどこからか車の音の一つでも聞こえていいものだが、そんなものはいっさいなかった。虫の声さえなりを潜めている。


「ここから入れそうだな」


 厳重に取り囲まれた柵にも、出入り口は設けられていた。若者達は柵をのぼり、笑いながらチェーンをまたいで中に踏み込んでいった。


 中に入ると外から見た雰囲気とまるで違うことがわかる。木々が高く、まわりから押しつぶされそうな雰囲気があった。密集した枝に阻まれて星空はどこにも見えない。


 光が届かないので、夜の深さも一段と深く感じられる。懐中電灯がなければ歩くのもおぼつかない場所であった。


「さすが、雰囲気あるなあ」


 雰囲気にまれつつも楽しみながら奥へ入っていく。二十メートルほど歩くと彼らは奇妙なものを見つけた。二本の巨木だ。


「これすごくない?」


 二本の巨木は湾曲し、七、八メートルくらいの高さでお互い蛇のように絡みついていた。アーチ状の巨木は大きな門のようにも見える。


「どうやって作ったんだろ? ここ、別に雪国じゃねえし、自然じゃこうはならないだろ」


 木の幹は抗重力反応により重力に逆らって伸びる。途中で九十度近く折れ曲がるなど普通では考えられない。


「型でもはめて伸びる方向変えたんじゃない? 盆栽みたいにさ。何十年かかるかわかんねえけど」


「そうだな。神社の松とかも変な形したのけっこうあるし。何百年ってたってるから自然に見えるだけで」


「でもこれ、写真すっげーいい感じ。見ろよ。ブログ、何件コメントつくかな?」


 カメラの小さい液晶パネルを見せ合い盛り上がる若者の一人が、すたすたと巨木の前まで歩いていく。


「禁足地っていうわりには真新しいしめ縄がしてある。まあ実際はこんなもんだよな」


 二本の巨木の間には腰くらいの高さのしめ縄が張ってあった。


 言葉通りそのしめ縄は汚れらしい汚れはなく、新品にしても不自然なくらいに綺麗だった。たれているもまっさらで、野ざらしにされた紙とは思えない。縄の表面には文字とも記号ともつかない何かがびっしりと描かれていた。


「ああ、つまりこれが現世と常世の境界線ってわけね。神隠しにあった人はみんなこの木の門をくぐって消えちゃったってことか」


「しめ縄ってそんな意味あるの? ただの飾りだと思ってた」


「あなたたち、ここで何をしているのですか!」


 突然、背後から怒鳴り声がした。


 全員が振り返ると、そこには十代半ばの少女がいた。きやしやな体を包むのは、夜目にも鮮やかな赤と白で構成された装束だ。横から前に垂らしている一房の長い髪が風になびいていた。幼さを残した顔の眉は険しくつり上がり、怒りの感情をあらわにしている。


「それに手を触れてはなりません!」


 しかし若者達は彼女が怒っていることなど、気にもとめていなかった。夜中に人気のない場所で、神秘的な少女に出会えたことに興奮し、よけい盛り上がって騒ぐ声が大きくなる。


「すげえ、巫女さんじゃん。もしかしてここの人?」


「すごい可愛いね。いくつ? 名前なんていうの?」


 彼らはぞろぞろと少女のまわりに集まると、無遠慮に体の隅々に目をやった。


「私はやまがみ。ここは禁足地。むやみに入っていい場所ではありません。この地に眠るあらみたまを起こす前に立ち去りなさい」


 山神沙耶と名のった少女が出口を指さしても、彼らは出て行こうというそぶりを見せなかった。


「あらみたま? ははは、なんだそりゃ」


「君だって入ってるし」


「ねえ巫女さんは本職? そんな格好で寒くない? それともお水で営業に来たの? だったらいまからお店に行っちゃおうかなあ」


 聞き慣れない言葉に従うどころか茶化すだけの若者達に、沙耶は奥歯をかむ。


「ねえ、それなに?」


 若者の一人が沙耶の背にある長い棒状のものに気づく。それは1メートル以上もの長さがある弓だった。沙耶が弓を手に取ると、体の芯に鋼を通したかのようにりんと引き締まった。


あずさゆみを知りませんか。これで荒魂を鎮めるのです」


「矢がないけどどうすんの? 破魔矢なら逆なんじゃね?」


「梓弓って矢がないんだろ。弦をギターみたいにはじくんだよ」


 知識のあった若者が仲間に説明する。


 その間になにかに気づいたのか、沙耶の目線が若者達から背後にある常世境の巨木に向けられた。横顔がこわばり、弓を握る手に力がこもる。


「ねえねえ巫女さん、ここって神隠しで有名なんでしょ? じゃあちょっと試してみようよ」


 一人がしめ縄に向かって走る。彼が何をしようとしているのか誰もが察した。このときばかりはずっとふざけていた若者達もかたをのんで見守っていた。沙耶はあわてて走り寄って止めようとしたが、とうてい間に合う距離ではなかった。


「おっと」


 走り出した若者は、しめ縄を飛び越えようとして足をひっかけてしまい、よろけるように向こう側に足をついた。その様子にもしやと思っていた他の部員達はほっと息をはいた。


「やっべえ、切れちゃった。そうだ今回の記念品、このしめ縄にしないか? 部室のコレクションに加えようぜ。切れちまったんだし俺たちで有効活用してやんのが道理ってもんだろ」


 筋の通らない理屈を口にしながら、もう片方の巨木についているしめ縄を引っ張って強引にはずそうとする。それを沙耶があわてて止めに入った。


「やめなさい!」


 沙耶はしめ縄を奪い取ったが、その拍子にもう片方にくくりつけてあった縄がはずれてしまう。


「コレクションに協力してくれるんですかあ?」


 沙耶を除く全員が笑う。沙耶は青ざめ呆然とし、はずれたしめ縄を見ていたが、すぐに笑っている若者達に向かって叫んだ。


「早く、早くここから逃げて! は……」


 叫び声が途中で途切れる。しめ縄の表面にある文字がもぞもぞと動いたかと思うと、まるで生き物のように移動を始めた。その先にあるのはしめ縄を握っている沙耶の手だ。


 文字が小さな虫のようにい上がり、沙耶の皮膚に張り付いていく。文字が消えた部分のしめ縄は、真新しいはずなのに沙耶の手の中で見る間に朽ちていき、崩れて地面に落ちた。まるで早送りをしている映像だ。


「なんてこと……」


 座りこむ沙耶の顔に光が差しこんだ。巨木と巨木の間の空間に縦長の光が生まれた。その光は徐々に左右へ広がる。まるで見えない両開きの扉が開いていくかのようだ。


「あ、ああ……」


 誰もが目の前の現象に言葉を失った。二本の絡まった巨木の間に光の空間があった。その奥に何かがうごめいているが、闇夜を切り裂く光はまぶしすぎて目を開けていられなかった。


 まばゆい光とは裏腹に、吐き気をもよおす、むせるような臭気が一瞬にしてあたりにたちこめる。


「くっ」


 沙耶の手には、先ほどまでどこにもなかったはずの一本の黒い矢が握られていた。梓弓と黒い矢をかまえると、光の奔流に向かって狙いを定める。


 小さな体と細い腕にそぐわぬ力で、弓がきりきりと引かれた。


 光はさらに強くなる。臭気はよりひどくなり、息を吸うこともままならなかった。

 明山大学オカルト研究会の部員達は、悲鳴すらあげるまもなく光の渦に飲み込まれていく。


 その光の中心に、沙耶の引き絞った矢が一直線に放たれた。

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