フーテン、鬱病になる

 薬の力を借りながら、久しぶりにパソコンへ向かい、文章を書いている。

 どうも酒からくる鬱病にやられていたみたいで、気づいたら一週間が経っていた。その間のことはほとんど記憶にないが、風呂にも入れず、食事もカロリーメイトで凌いでいた。部屋の中には、酒瓶とカロリーメイトの空き箱が散らかっている。

 考えがまとまらず、集中もできない。夜眠られず、朝に起きられない。いつの間にか1日が終わっていて、明日が来ないように祈りながら、ひたすら布団にくるまっていた。睡眠の導入イメージには必ずアルビノの黒人が現れ、僕の腕を切り取ろうとしてきた。眠りに落ちたら落ちたで、必ず悪夢を見る。

 流石にこれはおかしいと思い、近所のメンタルクリニックに駆け込んだ。しかし完全予約制だったようで、予約の段取りを終わらせ、スゴスゴと家に帰るしかなかった。

 どうにか4日後に予約が取れた。それだけで嬉しくなり、久しぶりに風呂に入った。お湯に浸かり、体を洗うだけで、生き返った気がした。ずっと家に引きこもっていたので、声もろくに出せないなか、湯船で鼻歌を歌った。最初はボソボソと、次第に大きくなり、ついには隣人の迷惑も考えず、大熱唱していた。風呂が僕に生きる活力を与えてくれた。

 少し元気になり、湯船から出て驚いた。一週間分の汚れが剥がれ落ち、まるで今流行りのマコモ湯のようになっていた。僕のドロドロとした心の内を表すかのように、黒く煮凝っていた。僕は一週間分の暗い感情を、文字通り水に流せたのだ。

 その日は久しぶりによく眠れた。悪夢も見なかったし、朝日と一緒に布団から出られた。郵便受けには、しっかりと大声に対する苦情が入っていた。

 今までの僕だったらそれだけで泣いていたのだが、今の僕なら手紙を破り捨てるくらいの元気はあった。

 太陽の出ているうちに部屋の掃除を済ませて、買い物に行った。元気だった頃によく作っていた豚の角煮を作り、それをつまみに酒を飲んだ。

 アルコールからくる鬱のくせに、酒をやめないのはどうにかしているという人もいるだろう。だが、僕は高らかに宣言しよう。

 アル中は治せない。というか、治す必要がない。なぜなら治せないことに悲観するより、治せないならそれでいいと、受け入れることが必要だからだ。

 予約日になって、僕は二日酔いのまま、メンタルクリニックに向かった。僕が住んでいる地域では、なかなか評判の良い精神科医のようで、僕が訥々と吐き出す弱音を否定もせず聞いてくれた。

 数十分の診察を終えて、彼は言った。鬱病と、アルコール依存症です。頑張って治しましょう、と。

 ひとまず2週間分の薬を渡された。見たこともないような大きい錠剤を渡され、忘れず飲むように、絶対に酒と併用しないようにと釘を刺された。そんなこと言われたら緊張するじゃないかと、一瞬腹をたてたが、ここで怒ると絶対に良い結果にはならない。僕は感情を少しも漏らさないよう注意しながら、帰路についた。


 薬は効果覿面だった。僕の部屋の中に充満していた濁った感情は、日毎に薄められていき、朝日が昇ることを美しいと思える程には精神的に安定することができた。不思議と酒を飲みたいと思う気持ちもなくなっていた。やらなければいけないことは山積みだったが、まあなんとかなるかと楽観的になれた。薬一つで人間ここまで変わるのかと、自分の単純さに腹が立った。

 ここで僕の邪悪な過去が追い縋ってきた。薬物にハマっていた頃、無意識のもっと向こう側、生も死もない世界にいきたいと願っていた。今僕の手元には薬、アルコール、タバコという三種の神器が揃っている。

 やめておけと言う自制心を、好奇心が容易くねじ伏せた。

 タバコを吸って、酒を飲み、抗うつ剤を飲んだ。記憶が飛んだ。

 気がついたら僕は、床に全裸で寝そべっており、おしっこを漏らしていた。部屋に積もったゴミ袋の臭いと混ざって、鼻がもげそうなほどの悪臭を放っていた。思わず鼻に手をやって、ちゃんとついているか確かめたほどだ。

 この時湧き上がった感情は後悔でもなく、一種の怒りだった。こんなところでおしっこを漏らしながら腐るために生まれてきたんじゃない。

 その勢いのまま、猛然と部屋の掃除を始めた。玄関先のゴミ置き場がはち切れそうになる程、ゴミ袋を詰め込み、溜まっていた洗濯物をやっつけた。窓を開け放ち、シンクに山積みの食器を、ベテランソープ嬢のような手際の良さで洗った。

 部屋が綺麗になるにつれて、自分の悪臭に嫌気がさしてきた。昼だが、風呂に入ることにした。

 熱いお湯に浸かってぼーっとしていると、取り止めのない考えが泡のように浮かんでは消えていく。

 やはりお風呂に浸かるのは健康に良い。ただ頭の中を空にするだけでも気持ちいい。単純な作業や瞑想も、薬と同じくらい効くのだろう。

 近頃、風呂キャンセル界隈が話題に上がることがある。心身の疲れや単に面倒という理由で風呂に入らない人たちを指す言葉だ。僕も鬱病の時は風呂に入れなかった。風呂キャンセルとカジュアルな呼び方をしているが、立派な鬱状態だ。

 それに対して、不潔だなんだ騒ぐ人たちに、決して僕たちの気持ちはわからないのだ。風呂に入りご飯を食べる。それらは健康な心身を持っている人たちの特権であって、当たり前ではない。

 「当たり前」という言葉の刃を振り回す七三分けのサラリーマンより、垢のこびりついた僕たちのようなフーテンの方が、よっぽど人間らしいのではないだろうか。

 ただ、こうも思うのだ。薬や酒に溺れるより、熱い風呂に使ったほうが健康にいいし、「効く」のだから、僕と同じような人たちは勇気を出して、風呂に入るのはいかがだろうか?

 グチャグチャとした考えは、お湯で洗い流した。風にあたろうと窓を開けると、向かいのアパートの窓際にいた、純真無垢な小学生と目が合った。僕はパンツ一丁だ。小学生は間違いなく僕を見て笑っている。

 恥ずかしくなってカーテンを閉めた。もう2度と風呂なんて入らない。

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