僕を吐いた街と僕が吸った街
楽天アイヒマン
1話目:そこに元気なフーテンがおるじゃろう?
去年の12月に仕事を辞めた。特に理由はなく、なんとなしに嫌になって辞めてしまった。そのため次の仕事もなく、無産者として毎日フーテンの真似事のような生活をしていた。あまりに暇でしょうがないけれど、かといってやりたいことも仕事もない。
はてどうするか。悩んだ末(といっても眉間に皺寄せ考えたのではなく、酔っ払って笑いながら考えたのではあるが)、物書きを始めた。どうせ暇なんだ。誰かが見て感想の一つでもいってくれれば万々歳だ。
しかし物書きとは突拍子もない。酔っ払って頭のネジが緩んでいたとしても、いったいなんでそう思ったのだろう。脳みそのどこからほじくり返してきたのだろう。
少し気になったので、僕は僕自身を考察することにした。
だいたい芸術家たるものは、幼少期に屈折した体験をしており、そのモヤモヤを胸の中で大事に大事に育てたものが勝ち取る職業ではあるが、僕の場合は母親へのコンプレックスがあった。
物心がオギャアと生まれた、確か3歳頃だっただろうか。僕と兄貴が酷い兄弟喧嘩をした。殴る蹴る髪の毛にむしゃぶりつき涎を撒き散らす、大変なやつだ。そして激昂した兄貴が、何かの映画の影響を受けたのだろう。「殺す」と僕に向かって言い放ったのだ。
さあ大変なのが母親だ。顔色をサッと変えるとキッチンに走り込み、包丁を持ち出してきて叫んだ。「今から〇〇(僕の名前)を殺す。あんたがどんな酷いことを言ったか確かめさせてやるわ」完全にヒステリー、鬼子母神だった。
その時僕の中で母親が分裂したのだ。普段僕に優しくしてくれる「母親」と、かたや目の前で叫んでいる醜い「人間」。その二つのうち「母親」が透明になって、僕の心と記憶に焼きついた。
僕はその時から自分の中の「母親」を取り返すために試行錯誤している。僕が書いている小説には酷い母親がいっぱい出てくるが、それは逆説的に僕の中の母親を取り返す行為に他ならない。
さて、暗い話になってしまったが、僕は別に気にしていない。今でも母親とは仲良くやれているし、たまに実家に帰って飯を食う。ただ素面じゃ辛いから、実家に帰ってまずやることは手洗いうがいウイスキーだ。今では実家に帰るたびに心配されるが安心してほしい。まだ平気だ。
さて、次は楽しかった話だ。僕は小学3年性の終わり頃まで大阪の堺市に住んでいた。夕焼けに白んだ天王寺駅の美しさは今でも覚えている。
今でもそうだが、僕はその頃酷い人見知りで、同学年には友達がおらず、兄貴の友達とばかり遊んでいた。周囲からは可愛がられていたはずだが、僕は兄貴より劣っていると感じてしまい、ずっと嫉妬していた。
そんなある日、僕が国語の授業で書いた詩が、市の特選に選ばれたのだ。確か「ひまわり」とかいう題名の詩だったはずだ。「ひまわりが太陽に向かって手を振っている。またねって言っている」みたいな、まあそんな凡庸な詩だ。それが詩の特選になってしまうなんて、何だか世の中ってわからないなあと子供心ながらに思ったものだった。
母親に手を引かれ、市の文化ホールへ行き、表彰を受けた。景品の原稿用紙をもらい、意気揚々と帰った。帰り道に近所の公園を通りがかると、兄貴が数人の友達とサッカーをしていた。僕は母親の手を振り解き、サッカーに混ぜてもらった。家に帰る途中、兄貴が聞いてきた。「なあ、ずっと気になってたんだけど、サッカー中何持ってたの?」
僕の右手には泥だらけになってクシャクシャの原稿用紙が握られていた。僕はそれを誇らしげに掲げた。つまらない子供時代で、唯一の輝かしい瞬間だった。
当時の僕は随分ロックな少年だったらしい。せっかくもらった景品を遊びでくしゃくしゃにするなんて。今の僕には足りないパッションかもしれない。輝かしさとそれに対する反骨心を原稿用紙にぶつける。今の僕の原型はすでにできていたのかもしれない。
次は少し不思議な話だ。僕は中学生の頃、ある夢を見た。
僕は宇宙の底で浮かぶ星を眺めていた。宇宙の底はオレンジ色の砂漠が広がっており、砂漠はどこまでも広がっている。地平線の手前には痩せた象がトボトボと歩いている。
ゾウの群れに近づこうと足を踏み出した時、天上から大きな声がした。
「宇宙の底は砂漠です。地球は平らだったのです」
その時目が覚めた。普通なら夢の内容は綺麗さっぱり忘れていたのに、この時だけは鮮明に覚えている。夢の内容をスマホのメモに書きつける。
これ以来夢に興味が湧いて、少し調べてみた。どうやらフロイトという学者によると、夢は記憶の中から無意識的に引き出され、組み合わされたものである。そして夢とは無意識的な願望の現れであり、一種の自己表現だ、ということらしい。
ほうほう、僕は夢の中で一種の自己表現をしていたんだ。だったらあの夢は何だったのだろう。忘れてやまないあの砂漠と宇宙と象は。
僕はその夢を見られないまま、大人になった。そして大人になって気がついた。酒を飲むと夢が見られる。しかも肉体は目を覚ましているが、意識だけ夢の中に行ける。すぐに酒に夢中になった。酒を飲みながら無意識に溢れ出すイメージの奔流をノートに書き連ねていく。「お筆先」とか「オートマティズム」とか言われるアレだ。一つ例をあげよう。
『何もかも捨てて、時計の針だって追いつけない世界に行こう。
冷めない夢ならば、そこでゲラゲラ笑ってやるさ。
モノクロの現実と、サイケな夢。どちらで目覚めるかはあなた次第だ。
歌う鏡に背を向けて、手を繋いで明日へ逃げ出そう。
(僕は誰だ。ここで何をしているんだ)
ラスベガスで縒れた猿。シャンパンの泡の向こうに何を見る。
だんだん大きくなる電話帳。一筋の涙は誰の為?
ずっと待っていたんだ。トドメを刺されるその日を。
無限の後悔とひとつまみの希望をむねに、歪んだ明日を望んでいる。
ぷくりぷクリと笑う夢は、昨日の夢と愛も変わらず。
意味もわからない言葉を受けて、大衆は今日もゲラゲラ笑う。
溢れたウイスキーの向こうに、憧れたはずの昨日を見る。
黒曜石にコンセントの向こう。こぼれ落ちた明日が待っている。
(止まれない。あなたが笑わない限り)
ずっと好きだった。忘れないはずだった。
今はただ、あなたに似た蜃気楼を探して、白日の下歩いている。
パッチワークになってしまった僕のことを、あなたは疑わず受け入れてくれるだろうか?
トムもジェリーも裸足で逃げ出す。僕の姿は怪物だろうか。コラージュだろうか。
それすらわからなくなった僕を、愛してくれる人はいるのだろうか?
新しい一日はすぐに終わり。テーブルの前で塞ぎ込んでいる。
コマ送りのフィルムのように現れる走馬灯を、笑いながら奴らが見ている。
寒くないのに、怖くないのに。この鳥肌はなんだろう。武者震いか。怖いのか。
ただ爛れた脳みそが嘯いているだけなのか?』
目が覚めたら目の前のパソコンに打ち込まれていた。保存した時間を見ると午前2時。完全に怪文書である。しかし、どこかわかるような、わからないような、現実に隠された大きな悲しみの匂いが立ち上っているのは、僕の気のせいだろうか?
毎日毎日それを繰り返していくと、流石にガタが来てアル中になった。気分は毎日最悪で、ついには何となしで仕事を辞めるに至った。
母親、子供の頃の栄光、砂漠、夢。それらの要素をアルコールで煮込んで濾した搾りかすが僕なのだ。そう考えるとフーテンになるべくしてなったというか、子供の頃に初めてマジックの種明かしを見た時のような、奇妙な達成感がある。
僕はどこにいくんだろうか。走り続けるには少し燃料が足りない。少しウイスキーを啜ろう。
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