もうすぐ春ですね

バレンタインデーから1ヶ月。


昼休み前の教室は、授業中だというのに、局所的にバレンタインとは違う、妙な熱気に包まれていた。


まあ、もう授業範囲はほぼ終わっていて、今日の内容も「自習に毛が生えたようなもの」だから、教師の方も半ば諦めムードだ。プリントを配って適当に説明したあとは、特に注意することもなく、やる気のある生徒だけが自主的に取り組むスタイルになっていた。


結果、教室の一部では、ホワイトデーに浮かれる男子たちがこそこそと話をしていた。


「ホワイトデーのお返しって、クッキーが無難らしいぞ」

「いや、マシュマロだろ」

「意味あるやつだとヤバいって聞いたけど……」


机の上には、小さな紙袋やラッピング袋が並べられ、男子たちはひそひそと意見を交わしている。その隣では、期待に満ちた表情で会話を聞く女子の姿もちらほら。お返しを待つ女子、もらう男子、それを見守るギャラリー――局所的に微妙な緊張感が生まれていた。


――が、そんな雰囲気に関心を示すのはごく一部だった。


大多数の生徒は、スマホをいじるか、机に突っ伏してぼーっとしているかのどちらか。雑談しながら「ホワイトデー? ああ、そんなのあったな」程度のテンションで過ごしている。義理すらもらえなかった男子たちは、悟ったような表情でノートの端を折り曲げたり、退屈そうにシャーペンをカチカチ鳴らしたりしていた。


俺――六道蓮司ろくどう れんじは、そんな教室の端っこで、机の上に置かれた小さな紙袋を見つめながら、ため息をついた。


「いやー、まさか俺がホワイトデーに悩む日が来るとはな……」


(結局、小泉先輩へのお返し、これで良かったんだろうか……)

最終的に選んだのは、ちょっと高級な紅茶と焼き菓子のセット。マシュマロベースの白いお菓子でホワイトデーっぽさを出したつもりだ。

義理チョコのお返しとしては少し張り切りすぎたかもしれないが、卒業祝いも兼ねてるし、まぁいいだろう――そう思いながらも、不安が拭えない。


「さて……どこで渡せばいいんだ?」


三年生は卒業式の準備で学校に来ているはずだけど、今どこにいるかまではわからない。そういえば、受験の結果もそろそろわかる頃だ。


そんなことを考えていると、ちょうど昼休みのチャイムが鳴った。


プレゼントを持って立上がろうとしたところで、不意に佐藤悠真さとう ゆうまが近付いてきて、俺の肩を叩いてきた。


「お前もお返し渡しに行くのか?」


「"も"って言うか……お前こそ、篠原さんに渡すんだろ?」


ホワイトデーとはいえ、実際にお返しを準備している男子はごくわずかだった。

ほとんどは「自分には関係ない」と言わんばかりにプリントを適当にめくったり、机の落書きを爪でこすったりしていた。そして、そんな大半の連中は、チャイムの音と共にお昼の準備を始めている。

そんな中、紙袋を机の上に置いて、チャイムの音と共に準備している俺に目をつけて、佐藤が声をかけてきたのだろう。


「ま、まあな……」


そんな感じで言いよどむ佐藤は、バレンタインの日に篠原紗季しのはら さきから義理チョコ(らしきもの)をもらって以来、なぜか妙に距離が縮まっていた。最近では放課後に一緒に帰ることもあるらしく、俺としてはそっちの進展が気になるところだ。


「で、お前のその紙袋、お返しにしてはちょっと気合入ってないか?」


「いや、これは卒業祝いも兼ねてるし……」


「ふーん?」


佐藤はニヤニヤしながら俺を見てくる。


「なんだよ、その顔」


「いや、六道、お前もしかして……」


「ちげーよ!!」


俺が全力で否定したところで、教室から人気が引いた。食堂に行ったり、購買にパンを買いに行く連中が出て行って、弁当組だけが残っている。


(さて、まあ篠原は最悪同じ教室だから佐藤もこれ以上茶茶入れていないはず。

先ずは先輩を探すか……)


紙袋を片手に、少し緊張しながら廊下へ向かう。ホワイトデーのお返しを持って先輩のところへ行くなんて、人生で初めての経験だ。


(卒業祝いも兼ねてるし、別に普通のお返しだろ……うん)


そう自分に言い聞かせつつ歩き出したところで、後ろから声をかけられた。


「ねぇ六道くん、それ誰に渡すの?」


「うわっ!?」


急に話しかけられてビクッと振り向くと、そこには篠原がニヤニヤしながら立っていた。そして、すぐ隣にはさっき話し掛けてきた佐藤もいる。


「な、なんだよ急に……!」


「いやー、ホワイトデーのお返しを持ってるのが珍しくてさ」


篠原は意味ありげに微笑むと、隣の佐藤をチラリと見た。


「ねぇ佐藤くん、六道くんはちゃんと準備してるのに、まだなのかなぁ~?」


「えっ!? ちょ、おまっ……」


佐藤が焦った顔をする。


なるほど、これは……煮え切らない佐藤に対する当てつけか。


「ちょっと待てよ篠原、それとこれとは話が――」


「それにしても、六道くんって意外とマメなんだね。誰に渡すの?」


「えっ、そ、それは……」


俺が言葉を濁した瞬間、篠原のニヤニヤが加速した。


「ふーん? じゃあ、もしかして……好きな人?」


「ぶっ!?」


不意打ちの一撃に、俺は盛大にむせた。


「なっ……違うし!! ただのお返しだし!! だいたい、お前に関係ないだろ!!」


「ふふっ、じゃあ別に教えてくれてもいいじゃん?」


篠原はまるで猫がネズミをいたぶるかのような目で俺を見てくる。


「……なんでそんなに俺のことを詮索するんだよ」


「んー? なんとなく?」


篠原は適当にごまかしているようだが、たぶん理由は別にある。


(多分、佐藤への当てつけの延長だな……)


おそらく、佐藤が煮え切らない態度を続けていたことにちょっとモヤモヤして、その流れで俺をからかっているんだろう。


(よし……なら、ここは逆襲に出るか)


少し落ち着きを取り戻した俺は、篠原をじっと見つめて言った。


「……お前、今ので墓穴掘ったぞ?」


「え?」


「俺が誰に渡すか気になってるみたいだけど、お前、俺の相手が誰なのか知ってるのか?」


「そ、それは……知らないけど……」


「だろ? なのに、何でそんなに必死になって聞いてくるんだ?」


「えっ、それは……」


篠原が少し口ごもる。俺は一気に畳みかけた。


「もしかして、お前、俺の相手が佐藤と同じだと思ってた?」


「……!!」


篠原の表情が一瞬固まり、焦ったように佐藤を見た。


「ち、違うよね……?」


佐藤も目を見開き、俺と篠原を交互に見ている。


「お、おい六道、お前まさか……!?」


「ふっ……残念だったな。俺の相手はお前の知ってる人じゃないぞ」


俺はわざと勝ち誇ったように微笑んでみせた。


「えっ、じゃあ誰なの?」


篠原が眉をひそめる。


「言うわけないだろ。だって関係ないもんな?」


「むっ……」


篠原がムッとした表情になる。


そして次の瞬間――


「……あっ、もしかして小泉先輩?」


「……!」


今度は俺が固まった。


「え、まさか本当に?」


「……っ!」


顔が一気に熱くなるのがわかった。


(やばい、完全にペースを握られた……!)


篠原が再びニヤニヤと笑みを浮かべる。


「ねぇねぇ、やっぱりそうなんだ?」


「ち、違……いや、違わなくもないけど……!」


「ほら、やっぱり!」


「あーもううるさい!!」


顔を真っ赤にしながら叫ぶ俺を見て、篠原はさらに楽しそうに笑っていた。


「お前らなぁ……!」


俺は何とか言い返そうとしたが、言葉が出てこない。


「……あれ?

……焼き餅?」


そんな苦し紛れの俺の言葉を聞いた瞬間、不意に篠原の笑みが消えた。


「……」


「な、なんか俺まで恥ずかしくなってきた……」


気づけば、黙ってちょっと下を向いた篠原の顔もほんのり赤くなっている。そして、その隣で佐藤も同じように顔を赤らめていた。


「お前ら……もしかして……」


「う、うるさいっ!」


「そ、そうだよ!

付き合ってるよ!」


「えっ、マジで!?」


今度は俺が驚く番だった。

確かに薄薄感じてはたけど、まさか付き合ってるとは……


「そ、そっちこそ、結局本命いるんじゃん!」


「うっ……それは……!」


「ほら、やっぱり!」


「ぐぬぬ……!」


まさかの展開に、今度は三人全員が顔を真っ赤にして沈黙する。


「……お前ら、付き合ってるなら早く言えよ」


「そっちこそ!!」


「はぁ!? 俺関係ないだろ!」


「いや、関係あるし!」


「意味わかんねぇ!!」


教室の入口付近で繰り広げられる、妙に熱のこもった攻防戦。


俺と篠原、そして佐藤の言い合いは、教室の隅で激化していた。まさかホワイトデーのお返しを巡る話が、こんな大騒ぎになるとは……。


しかし、そんな俺たちのやり取りをかき消すように、教室の入口が突然騒がしくなった。


「え? 何? なんかすごい盛り上がってるけど?」


軽快な声とともに姿を現したのは――


小泉楓こいずみ かえで先輩だった。


ポニーテールを軽く揺らしながら、俺たちを見渡し、ニヤリと笑う。


「ちょうど探してたんだよね~。

あれ、なんかすごい顔赤いけど、どうしたの?」


「えっ!? いや、これはその……!」


「おっ?」


小泉先輩は、俺の手元にある紙袋に視線を向ける。


「あ、ホワイトデーのお返しだ!」


「っ!!」


さっきまでの混乱とは別の意味で、俺の心臓が跳ねる。


小泉先輩は特に遠慮することもなく、紙袋をひょいっと手に取った。


「へぇ~、何が入ってるんだろ?」


「いや、ちょっ……開けるの早くないっすか!?」


「いいじゃん、どうせもらうんだし♪」


なんというマイペース……。


俺があたふたしていると、ふと、小泉先輩が「そうだ」と思い出したように言った。


「そういえばさぁ……」


「そういえば、先輩」

このままではペースを握られっぱなしだ。そう思った俺はわざと話に割り込んだ。


「……はい?」


「受験どうでした?」


「……!」


俺がそう尋ねると、小泉先輩はニヤッと笑い、手をパッと開いて ピースサイン を作った。


「受かったよ」


「っ!! それ、本当ですか!?」


「うん、今日の朝、合格発表見たらバッチリ名前あった!」


「やったじゃないですか!」


俺は思わず拳を握りしめる。


(よかった……! 受験の結果が出るまでは、どこか落ち着かない感じだったけど……)


小泉先輩の「合格」という言葉に、ホッと安堵する。


すると、小泉先輩は満足そうに笑いながら、俺に向かって手を差し出した。


「はい、じゃあ合格のお祝いは?」


「え?」


「ほら、ホワイトデーのお返しもらったし、ついでに合格祝いも欲しいな~」


「いや、ちょっと待ってくださいよ……」


俺が戸惑っていると、ふと紙袋の中身を思い出した。


「……いや、これ、ホワイトデーと合格祝い、兼ねてますよ」


「……へぇ?」


小泉先輩は、一瞬驚いたような顔をした後、ふっと優しく微笑んだ。


「そっか……六道は、私が受かるって信じてくれてたんだ」


「え……」


「じゃなかったら、普通、ホワイトデーのお返しと合格祝いを一緒になんてしないでしょ?」


そう言いながら、小泉先輩は包みを大事そうに抱きしめる。


「うん、ありがとね」


その笑顔があまりにも自然で、俺は思わず視線をそらした。


(やばい……さっきまで篠原たちと騒いでたせいで、頭がついていかねぇ……)


そんな俺の様子を見ていた小泉先輩は、ふと何かを思いついたように、パチンと指を鳴らした。


「ねぇねぇ、六道」


「……はい?」


「じゃあ、今度の土曜日とか、ダブルデート どう?」


「……は?」


思わず聞き返すと、小泉先輩はニヤリと笑って、俺の隣にいる篠原と佐藤を指さした。


「だって、佐藤くんと篠原さん、付き合い始めたんでしょ?」


「ちょっ、なんでそれ知ってるんですか!?」


「いやいや、教室入ってきたときの雰囲気で丸わかりだったし!」


「……マジかよ」


肩を落として呟く佐藤とアタフタと訳のわからない怪しい阿波踊りを踊り出した篠原さんに俺が愕然としていると、小泉先輩は俺の肩を軽く叩いた。


「というわけで、ほら、せっかくのホワイトデーだし、4人で遊びに行こうよ。

今日は無理だけど、今度の土曜日なんてどう?」


「え、いや……」


俺が困惑している間に、小泉先輩はひらひらと手を振りながら、さっさと教室を後にする。


「じゃあね!

ダブルデート、楽しみにしてるよー!」


そう言い残し、ポニーテールを揺らしながら去っていった。


……そして、教室に残された俺、佐藤、篠原。


「……え、これ俺、参加確定なの?」


「……そっちより、ダブルデートってどういうこと……?」


「おい佐藤、今の聞いたよな?」


「聞いたけど……なんか、お前、すごいフラグ立てられてね?」


「これって、私たちをどうのこうの言えないレベルだと思うんだけど?」


「うぅぅ……」


俺は顔を覆いながら、その場にしゃがみ込んだ。


(なんだこれ、ホワイトデーなのに、なんか色々と……すごいことになってる……)


佐藤と篠原は付き合い始めるし、小泉先輩にはダブルデートの約束を取り付けられるし……。


「俺……どうすればいいんだ……?」


「……さぁ?」


佐藤と篠原が顔を見合わせながら、微妙な表情をしているのが視界の端に映った。


こうして、俺のホワイトデーは、予想以上に騒がしく、そして何やら意味深な一日になってしまったのだった――。


おわり


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