第2話 偽名
大きい……。
立ち上がった男の身長は180cm以上はある。細身に見えた身体も意外と引き締まっていたようだ。なんとか立ち上がらせたものの、肩で息をしつつ壁にもたれている。気品を感じるその立ち姿に、あれこれと詮索したくなるが、……きっと答えてはくれないだろう。自分のコートが血で濡れるのにも構わずその長駆を支え、歩き出す。
……無口な人だ。何も言わず、苦しげな吐息だけが頭上から聞こえる。何度も壁にもたれて休憩を取りながら進む。ふらつく大きな身体を支えるのも一苦労だ。だんだん足取りが重くなる。あと少し、耐えてもらわないと。何度目かの休憩の時、名を尋ねるが、返事がない。意識が朦朧としているのかと思い顔を見上げると、
「……カミロ・レヴァンテ」
と、こちらを見ずに小さな声で答えたあと、わずかに目を伏せ顔を背けた。
……多分、偽名。気付かないふりをして「そう、良い名前」と何事もないように返事をすると、微かに息を呑む声が聞こえた。……偽名を答えたことに、罪悪感でも覚えたのだろうか。あんな場所に血だらけで座り込み、近づいた私を鋭く睨みつけた冷たく獰猛な目。普通の、大手を振って明るい太陽の下を歩ける人間ではないことは明らかだ。だけどなぜか私には、彼が心からの悪人であるとはどうしても思えなかった。
「エリナ……! お願い、来て!」
何とか屋敷にたどり着き、カミロを支えながら扉を開いて、住み込みで働く使用人の名を大きな声で呼ぶ。彼女はここで働く前、医療の道へ進むための学校に通っていたと聞いたことがある。
「
小言を言いながらパタパタと小走りでこちらに来た彼女は、私とカミロをみて目を見開く。
「ごめん、この人、怪我してて……!」
「……こちらへ!」
カミロの怪我の程度を見て取ったのか、何も聞かずに一緒に客間へ連れて行く。寝台へ寝かせると、エリナはすぐに医療キットの準備を始めた。
もう大丈夫……。彼女に全幅の信頼を寄せている私は、安堵と疲れからその場にヘナヘナと座り込んでしまった。
「詳しいことは、後でお聞きします。今はその汚れた服を脱いで、シャワーでも浴びてきてくださいな」
テキパキと処置を進めながら、こちらに微笑みかけるエリナ。
「……うん、ありがとう、エリナ。お願いします」
そう言って気力を奮い立たせて立ち上がり、部屋を出る前にそっとカミロを見る。体力の限界だったようで、目を閉じてぐったりと寝台に身体を沈めている。灯りの下ではっきりと見る彼の顔は病的なまでに青白いが、その冷たい彫刻のような整った顔立ちに目を奪われる。やはり隠しきれない気高さのようなものが感じられる。
……やっぱり、彼は何かが違う。こんな風に、ボロボロになって生きる世界の人間だとはどうしても思えない。あれこれと思案しながら、そっと部屋をあとにした。
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