「失敗しちゃったら今日の晩ご飯はなしだよ?」

佳奈かなちゃん、そろそろ晩ご飯の準備しよー」

「……ん、わかった……」


 さっきまで見ていた映画のしょーもない内容を引きずる私は、美愛みあの言葉に力なく答えた。

 ひどかった。というかグロかった。内容自体は最初に見たサメ映画よりはマシだったけど。 


 映画を見ている間に太陽はかたむき、空がオレンジ色に染まっていた。

 どこか物悲しくなるような秋の夕暮れ。昼間はさわやかで涼しかった風が、今では少し冷たく感じる。


 頭の中に残っている映像を少しでも追い出そうと頭を振って、私は立ち上がった。

 伸びをしながら椅子に目をやる。この椅子、包み込んでくれるような座り心地がとても良くて、ずっと座っていても苦にならない。美愛が『チェアはちょー重要』と言っていた意味が、今さら身にしみてわかった。


 同じく立ち上がった美愛に「佳奈ちゃん、はいこれ」とタブレットを手渡される。

 私のげんなりしているであろう顔とは対照的に、美愛の顔は晴れやかだ。どこかつやつやしているようにも見える。


 けれど、そんな顔が一瞬でかげりを見せる。

 どうしたんだろう、と思う間もなく、美愛がおずおずとした様子で、


「佳奈ちゃん……また一緒に映画見てくれる……?」

「……こういう映画は、ね」

「っ! う、うん!」


 私の妥協案に、美愛がうれしそうに何度もうなずく。

 言葉に含ませた想いをちゃんと読み取ってくれたみたいでよかった。


「よーし、それじゃあキッチンへ行こー!」

「私、タブレット部屋に置いてくるから、先に行っててくれる?」

「それなら、あたしカップ持ってっとくね」

「ありがと、お願い」


 美愛は被っていたキャップを脱いで椅子に置くと、私と自分のカップを持って部屋のき出し窓から家の中へと入っていく。私もそのあとに続いて部屋へ入り、窓を閉めた。

 勝手知ったるなんとやら。これまで何度も来ていて私の家に慣れている美愛は、迷うことなく一階のキッチンへと向かっていく。私は途中で二階にある自分の部屋に寄って、タブレットを充電しておく。


 一階はダイニングキッチンとリビングがひとつなぎになっていて、キッチンには美愛と私の母がいた。二人とも笑顔で親しげに話している。

 しょっちゅう私の家に来ている美愛は、私の母と仲が良かった。お互いを名前で呼び合うほどだ。私そっちのけで、二人で料理やお菓子を作っていたりすることもある。そのせいか、キッチンのものの場所なんかは美愛の方が詳しかったりする。


「――裕奈ゆうなさん、改めて、あたしのお母さんに電話してくれてありがとうございます」

「あはは、いいのよーそれくらい。いつでも頼んで。そんなことよりどう? キャンプは楽しい?」

「はいっ、楽しいです!」


 そんな二人の和気藹々あいあいとした雰囲気漂うキッチンに入ってきた私へ、母が意外そうな顔を向けた。


「あら、佳奈も降りて来たのね。美愛ちゃんだけ来たから、てっきり美愛ちゃんにご飯の準備全部させるのかと思って手伝おうとしてたところよ」

「もうっ、さすがにそんなことしないってば」

「ごめんごめん。いやでもほら、佳奈は料理全然できないから……」

「……材料切ったりするくらいはできるし」


 美愛と違って、私は料理のスキルが全然ない。一応、普段のお弁当は自分で準備してはいるけど、それだって冷凍食品と前日夜に母が作ってくれたおかずがないと成り立たない。


 そのとき突然、ぱんっ、と手を合わせるように軽く叩いた美愛が「あっ、そうだ」なんて、なにかを思いついたかのように言うと、母に向かって笑いかけた。


「裕奈さんも一緒にたこパしません?」

「あはは、そうしたいところだけど、遠慮しておくわ。今日はパパもいないし、私は私でゆっくりさせてもらうから。私のことは気にしなくていいから、二人で楽しみなさいな」

「はーいっ」

「私はまだキッチン使わないし、急がなくていいからね」


「火の取り扱いだけは気を付けるようにね」と言い残して、母はキッチンから出ていった。自分がいたら邪魔になる、と気を利かせてくれたらしい。いつもなら、大体リビングのソファでダラダラしているのに。


 母が出ていくのを見届けた美愛は「よしっ」と気合を入れたかのように声を発した。


「準備しよっか。あたしが材料切るから、佳奈ちゃんは生地作ってもらっていい?」


 そう言って手渡されたのはたこ焼き粉のパックだった。そして、シンク下の棚からボウルと泡立て器と計量カップとキッチンスケールを取り出して調理台に置いた。


「……くれぐれも、パッケージを見てちゃんとはかってね? 失敗しちゃったら今日の晩ご飯はなしだよ?」

「……はい」


 なんていう忠告を、神妙な顔と声をした美愛からたまわる。

 以前、美愛と一緒にお菓子作りをしたとき、目分量で材料を入れてしまって失敗したことが脳裏に思い浮かぶ。美愛もきっとそれを思い出したに違いない。

 かといって、包丁に慣れていない私では材料を切るのが遅いから、生地作りしか役に立てないんだけど。


 失敗したらご飯なし。そのプレッシャーが私に襲いかかる、けど――


「――なーんてね! 安心して、佳奈ちゃん。お菓子と違って多少分量を間違ってもたこ焼きは失敗しないから」

「……それを聞いて安心したよ」


 美愛のちょっとしたお茶目だったらしい。ほっ、と安堵する。よかった、ほんとに。

「じゃあよろしくねー」と言って、美愛は冷蔵庫から材料を色々と取り出し始める。


 たこ焼き粉のパッケージ裏を確認する。そこに書かれている、手順、粉と水の分量、そして卵の必要数を凝視する。そっか、卵が要るんだ――と取りに行こうとしたら、転がらないようおわんに載せた卵を美愛が「卵、ここに置いておくね」と持ってきてくれた。


 二人並んで作業できる程度には広いキッチンで、私と美愛の晩ご飯の準備が始まった。


 よし、やるか――私はひそかに気合を入れると集中する。

 慎重に慎重を重ねて、キッチンスケールに置いたボウルにたこ焼き粉を入れて量り、軽量カップで水を量ってそれをボウルにあける。料理が苦手でも、さすがにキッチンスケールや計量カップの使い方がわからない、なんてことはない。


 あとはそのボウルに卵を割り入れ――ると、失敗してからまで入れてしまいそうな気がするので、まずはお椀に中身を出すことにする。

 やっぱりちょっと欠けた殻が入ってしまったけど、箸でどうにか取り出すことに成功。事無きを得た。

 あとはこの卵をボウルに入れて、泡立て器でかき混ぜるだけ。ぐるぐるとボウルの中身を回し続ける。粉っぽかったものが、段々とろとろしたものになっていく。


 かき混ぜつつ、美愛はどうなったかな、と隣にいるはずの美愛を見ると、いつの間にかキッチン奥のコンロの前に移動していた。

 鍋でなにかをでている。もう切るのは終わったのか、包丁やまな板は洗われて水切りラックに置かれていた。手際が良すぎるんだけど……。

 調理台の上には、ぶつぎりにされたタコ、なぜか数か所穴が空いているミニトマト、半分に切られたマッシュルーム、スライスされたにんにく、湯気立つシーフードミックス(これもすでに茹でていたらしいことにびっくりする)といった、美愛が準備した材料がそれぞれ容器に入れられていた。

 

 ……もしかしたら、美愛の手際が良すぎるんじゃなくて、私の手際が悪すぎるのかもしれない。


「佳奈ちゃん、終わったー?」

「……うん、できたよ。これでいい?」


 茹でている間はすることがないのか、美愛が私に顔を向けていてくる。近くまで寄っていってボウルの中を見せると、美愛はうんうん、とうなずいた。


「うん、おっけー!」

「でもこれ、ダマになってるけどいいの?」


 ボウルの中の生地をよく見れば、ところどころにダマができていた。ダマがあるとダメってなにかで見た覚えがある。かき混ぜるのが足りなかったかな、と私が思っていると。


「大丈夫大丈夫。焼くまでに消えるから」

「そうなの? まぁ、美愛が言うんならそうなんだろうけど……」


 よくわからないけど、美愛が大丈夫ということは大丈夫なんだろう。そのままにしておくことにする。

 美愛に「ボウル貸して?」と言われて渡すと、泡立て器が抜かれて代わりにお玉が生地の中へとぷん、とかる。その上で美愛はボウルにラップをかけた。


「佳奈ちゃん、それ先に上に持ってっておいてもらえるかな?」

「ん、わかった。持っていくもの多そうだし、置いたら戻ってくるね」

「ごめんね、お願い~」


 茹で終わったのか、鍋を持ってシンクに移動しようとする美愛の邪魔をしないよう、私はボウルを持ってキッチンから出るのだった。

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