「こういうときはサメ映画なんだよ、佳奈ちゃん」

「はー……落ち着くねぇ、佳奈かなちゃん……」

「そうだね……」


 食後。

 変な空気はさわやかな風と共に去り、今は穏やかな時間が流れていた。


 お昼ご飯の片付けも終え、椅子に座ってまったりとしながら、私はもう一度豆かられたコーヒーを、美愛みあは自分で持ってきたティーパックでフレーバーティーを飲んでいた。

 暇さえあれば勉強や読書をしてしまう私にとって、こういう風になにもせずにぼーっとする時間というのは珍しいことだった。


 昼下がりの午後。

 吹いている涼しげな風のおかげで暑さはそこまで感じないけれど、日焼けが少し心配だった。日焼け止めはちゃんと塗ってはいるけど。


「このあとはなにするの?」

「んー……夜ご飯までは自由時間かなー。キャンプのこういう時間はなにしてもいいんだよ、って誰かが言ってた」

「美愛は自由時間になにするつもりだったの?」

「……えへっ。キャンプするのが目的だったから、なんにも考えてなかった……」

「ダメじゃん……」


 それなら本でも読もうかな……、と思うけど、そうするとその間は美愛を一人にしてしまう。

 自由時間だからいいのかもしれないけど、せっかく一緒にこうしてバルコニーでキャンプをしているのだから、一緒に何かしたかった。


「じゃあ――……映画でも見る?」

「っ! 見る!」

「ん、わかった。タブレット持ってくるからちょっと待っててね」


 自分の部屋に戻ってタブレットを取ってくる。バルコニーまでワイファイの電波が届くか心配だったけど、どうにか届いてくれた。


 バルコニーに戻ってくると、私が人工芝のシート上に設置した椅子とテーブルの配置が変わっていた。

 椅子はくっつけられ、その前にテーブルが置かれている。


「ただいま」と、美愛の右隣の椅子に座って、タブレットをつけてサブスク契約している動画サイトを開く――さてさて、なにを見るべきか。

 私は別にどんなジャンルの映画でも構わない。ホラーもいける口だし、派手なアクションやなんならラブロマンスでもいい。

 けれど、それはそれでどの映画を見るかなかなか決めづらいということでもある。


 そういえば美愛と一緒に映画を見たことないな、とふと思う。

 住んでいる近くに映画館はないし、部屋で遊ぶときも各々勝手なことをしていて『映画を見よう』なんてことにならないし。

 それに、美愛の口から映画に関する話を聞いたこともなかった。あまり映画を見ないのか、それか興味がないのかもしれない。


 私のオススメ映画を美愛に見せるのもいいけど、どうせなら美愛に見たいものを選んでもらった方がいいかな。映画を見慣れていないであろう美愛には、そっちの方が楽しいかも。

 よし美愛に選んでもらおう、と決めてタブレットを美愛にも見えるように膝の上に置く。


「美愛、なにか見たいのある? 選んでいいよ」

「サメ」

「……サメ?」

「こういうときはサメ映画なんだよ、佳奈ちゃん」


 こういうときがどういうときなのかはわからないが「サメ映画がいいんだよ」と真面目な顔をして言う美愛の意志は固そうだった。

 なんでサメ……? と思いながらも私はタブレットを美愛に渡して、見たい映画を選んでもらう。

 選んでいる時間はわずかだった。すぐに美愛は「よし、これにしよー」と映画を決めた。


 テーブルに立てかけて見るつもりだったけど、太陽の下、ということもあってちょっと見づらかったので、美愛と一緒に片側ずつタブレットを持って、二人の膝の上で見ることにする。


 美愛の細くてきれいな指が、再生ボタンを押す。映画が始まる。



 ――九十分後。



「しょ、しょーもな……」

「しょーもなくて、頭からっぽで見れるのがサメ映画のいいところなんだよ、佳奈ちゃん」


 美愛が選んだサメ映画を見終わった私は、ぐったりとうなだれた。

 有限である人生の大事な時間を無駄にした感が半端なかった。今の映画から何一つ得るものはなかった。


 対して、美愛は満足気だった。今の、宇宙から地球に降り注ぐサメが人間をっていく、というグロなんだかコメディなんだかSFなんだか、ジャンルがよくわからない映画がよほど面白かったらしい。

 序盤でサメに喰われたはずのヒロインが、クライマックスでサメを突き破って中から出てくるシーンはもはやギャグだった。ちなみにそのシーンで美愛はゲラゲラ笑っていた。


「……美愛、正直に答えて。実はB級映画好きでしょ」

「…………てへっ」


 視線を明後日の方向にやりながら、首をかしげて可愛くそう言う美愛に、私は深いため息を吐く。

 まさか美愛にそんな趣味があったとは。道理で一緒に映画を見よう、なんて言ってこないし、映画の話も口にしないわけだ。


「なんで今まで黙ってたの?」

「だってー、普段だったら一緒に見ようって言っても佳奈ちゃん絶対嫌がるだろうなって。こんなの見るくらいなら勉強してた方がいい、とか言いそうだし」

「……言うかも」


 というか、今まさにそう言いたい。

 さすがにキャンプでまで勉強するのはどうかなとは思うのでやらないけど、今のサメ映画を見ている時間で勉強していた方が有意義だったのは間違いない。


「でしょー? それに、B級映画は無理に人にすすめるもんじゃないからね」

「今見させたくせに……」

「佳奈ちゃんが選んでいいよって言ったから、つい……えへっ」


 とんでもない映画を見させられたが、楽しそうに笑う美愛を怒る気にはなれない。選んでいいと言ったのは私だ。まさかあんなク……アレな映画を選ぶとは思わなかったけど。

 行き場のないやるせなさは、ため息という形になって私の口から出ていった――そのとき。


「……それに、ね。普段言いづらいようなことも、キャンプでなら言える気がしたの」

「美愛……?」


 それまでの弾んだ声から一転、美愛が声のトーンを落とした。笑顔も消え、その顔はうつむいている。

 けれど、美愛がそんな暗い様子を見せたのは一瞬だけだった。


「……時間的にもう一本くらいいけそうかな。もう一本見ようよ、佳奈ちゃん!」


 どうしたのかと私がくよりも先に、美愛はすぐさま元気を取り戻して、タブレットを鼻歌交じりにいじり出す。


「――ちょ、ちょっと待って……もう一本見るの?」


『もう一本見ようよ』と言われて、私は思わず待ったをかけた。

 そのせいで、美愛にさっきの様子のことを訊くタイミングをいっしてしまう。

 けれど、このまま続けてB級映画を見させられたら頭がおかしくなりそうだったから、止めるしかなかった。


「うん! ほら、こんな機会でもないと、佳奈ちゃんと一緒にB級映画を見ることもないだろうし。ほんとはね? ずっと、一緒に見てみたいな、って思ってたんだー」


 そう、うれしそうに言われてしまうと『B級映画はやめよう』とは言えなくなってしまう。なんだかんだ、私は美愛に弱いから。

 私は覚悟を決めた。かかってこい、B級映画――でも、その前に。

 

「……見る前に、コーヒー淹れさせて」

「あたしも何か飲もー。佳奈ちゃん、あたしの分もお湯沸かしてもらっていい?」

「ん、わかった」


 覚悟は決めたけど、コーヒーを飲んで気を紛らわせながらじゃなきゃ、とてもじゃないけど見てられない。

 どうせまた次もアレな内容だろうし、せめてコーヒーで気分だけでもさっぱりさせたい。


 ケトルに水を入れて火にかける。その間に豆をく。

 その、私がゴリゴリとハンドルを回して豆を挽いている様を、美愛がじーっと見ていた。


「――佳奈ちゃん、豆から淹れてみてどう?」

「ん? いつもよりおいしいよ。でも飲む度に挽かなきゃいけないのはちょっと手間かなぁ」


 いつもよりおいしく感じるし続けてもいいかも、と思うけど、普段からやるなら手挽きだとさすがに面倒そう。今はカセットコンロでお湯を沸かしているからその待ち時間に挽けるけど、普段は電気ケトルを使うからお湯が沸くのが早いし。普段も豆から淹れるようにするなら、電動のミルにした方がいい気がする。

 でも、電動のミルまで買ってしまったらきっともう手遅れだ。コーヒー沼から抜け出せなくなってしまう。……もうすでに肩まで浸かっているような気がしないでもないけど。


 ただ、自分で豆を挽いてコーヒーを淹れるのはもともと興味があっただけに、キャンプでこうして試せてよかったな、と思う。

 続けるにしろ、やめておくにしろ、どういった感じなのかを知れたのはよかった。


「キャンプやってよかったよ。キャンプしなかったら、試そう、なんて思わなかったしさ」

「そっか、それならよかった……えへへ」


 ほっ、としたように、美愛はやわらかい笑みを浮かべた。

 もしかしたら美愛の中には、私がキャンプに『付き合ってくれている』という気持ちがあったのかもしれない。

 そんなことはない。確かに最初こそ美愛にキャンプを『させてあげたい』という気持ちがあったけど、準備しているうちに私もキャンプが楽しみになっていたから。


 豆を挽き終わった私は、空いた手で美愛の頭をなでながら伝える。


「ちゃんと私もキャンプ楽しんでるから。安心してよ、美愛」

「うん……ありがと、佳奈ちゃん」


 ――お湯が沸くまで、私はそうしていた。


 そして、お湯が沸き、コーヒーを淹れ終わり、美愛のフレーバーティーも用意して。

「よーし、じゃあ次の映画見よ!」と美愛が張り切った様子でタブレットを触っている。


 次はなにを見させられるんだろう。心配になった私は、せめてまたサメ映画だけは勘弁してもらおう、と美愛に伝える。

 美愛は「安心してよ、佳奈ちゃん」と笑顔で私に向かって告げる。


「次は大丈夫! サメじゃないし、B級映画の中でもマシなやつだから!」

「B級映画っていう時点でもう大丈夫じゃないと思うんだけど……」


 っていうか『マシ』って言っちゃってるし。

 ウキウキで次の映画を選んだ美愛にうながされて、タブレットの片側を持つ。


 ――次に宇宙から降り注いできたのはダイオウイカだった。

 確かにさっきのサメ映画よりはマシだったけど、それでもやっぱり、内容はしょーもなかった。


 見終わった私は「どうだった⁉」と満面の笑顔で訊いてくる美愛に、無言でチョップを喰らわすのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る