怪奇!快楽被◯人鬼怪人紅登場

鴻 黑挐(おおとり くろな)

第1話

 ラスベガス。燦然さんぜんと輝く歓楽街かんらくがいの裏側にある寂れた路地裏の、その一角。

 ゴミ袋の山の中。男が一人、倒れている。トレンチコートと中折れ帽を身につけた、アジア系の男だ。

 腹部からおびただしい量の出血、力の抜け切った身体、伏せられたまぶたからわずかにのぞ散大さんだいした瞳孔どうこう。この男がもはや生きてはいないのは、火を見るより明らかだろう。

 この男は凄腕すごうでのギャンブラーだった。『フォン』と名乗るこの男は、颯爽さっそうと大勝ちして店の金庫をカラにしていく疫病神やくびょうがみとしてディーラーたちの間で恐れられていた。


「や……。っちまった……」


そして、その男の前で血まみれのサバイバルナイフを持って立ち尽くす、黒髪を後ろで括った青年。

 彼は、ここラスベガスのカジノでディーラーを勤める蛇ノ目じゃのめ 蔵人くらうど。洋画と賭博漫画の影響でカジノディーラーに憧れ、十八歳で単身アメリカに渡り早七年。持って生まれた手先の器用さと何事にも物怖じしない豪胆さで、今では日本人ディーラーながらカードゲームのテーブルを任せられるほどにまでなった。


「なのに何で……。アホか、オレ‼︎」


逮捕、解雇、ビザ取り消し……。この殺人が露見すれば、蔵人は全てを失うことになる。


「と、とにかく……。死体を捨てる?ああ捨てるならナイフか?いや、その前に着替え……」


顔面蒼白そうはくの蔵人は、真っ白になった頭を必死に回転させて冴えたアイディアを待ち続ける。

 その瞬間だった。


「あー、イテテ」


蔵人は目を疑った。先ほど刺し殺したはずの紅が、まばたきをして、あまつさえ顔をしかめてみせたからだ。


「な、なんでっ」


この時、蔵人の頭には二つの思考が同居していた。内訳としては『絶対に致命傷だったはずなのに、何で生きてるんだ⁉︎』が三割、『このまま何事もなかったかのようにコイツが帰ってくれればオレは捕まんないじゃん、ヤッピー』が七割である。


「絶対死んでたはずだろ⁉︎」

「うん。君に殺されたね」


紅が服をはだけて蔵人に腹を見せる。サバイバルナイフで深々とつけられた刺し傷がみるみる塞がっていく。


「色々あってね。死んでも生き返るんだ、俺」


あっけらかんと言い放つ紅とは対照的に、蔵人の顔は真っ白に青ざめている。


「ひっ……!」

「なんだよ、その生娘みたいな悲鳴は。君が刺した傷だろ?」

「やっ、やめろ、見せるな!」


まだ塞がりきらない腹の傷を見せつけられ、蔵人は泣きそうな顔で悲鳴を上げた。


「ところで……」


フリーズしている蔵人の手を紅が握る。


「さっきの、すっっごいヨかった……‼︎」

「……は?」


彼が頬を紅潮こうちょうさせてそんなことをのたまうので、蔵人は思わず間の抜けた声をらした。


「特にナイフを刺した後に半回転させたの!あれすごかった、絶対やってたでしょ⁉︎」

「やってるわけあるか!これが初めてだブッ殺すぞ‼︎」

「え、もう一回殺してくれるの⁉︎ヤッター‼︎」

「いや、ちが……。ああもう!」


耐えかねた蔵人がその場から逃走しようとするが、紅がそれを阻止する。


「いや、本当に過去イチ気持ち良かったんだよ……!今まで数えきれないくらい死んできたけど、君の殺し方が一番なんだ。才能あるよ」

「いらねーよそんな才能‼︎」

「俺は欲しいんだ」


口論の最中、蔵人は紅の股間が主張を強めているのを視認しにんしてしまった。


「蛇目蔵人……。俺は、君の才能が埋もれるのが我慢ならない……!」


紅がナイフを握る蔵人の手を手繰り寄せ、自分の腹に突き刺す。


「ひっ……!」


蔵人がサッと青ざめる。


「蛇に呑まれたカエルが射精する理由を知っているかい?絞首刑にされた死刑囚が勃起する理由は?」


紅が蔵人の手ごとナイフを回転させる。金属製の無骨な獲物が臓物をかき回す。


「学者先生は生存本能だって言うけど……。俺は違うと知っている」


ナイフを腹から胸に引き上げる。ズタズタにされた臓物が湯気を立てて蔵人の手にこぼれ落ちる。


「気持ちイイんだよ。文字通り、死ぬほど!絶頂オーガズムは『小さな死』なんて呼ばれるが本物の死はその比じゃない!セックス以上の快楽だ!」


蔵人が嘔吐おうとする。えた吐瀉物としゃぶつの臭いと臓物の血腥ちなまぐささが最悪のマリアージュをかもし出す。


「だから蔵人、俺と……」


ふと紅が気がつくと、サバイバルナイフだけが置き去りになっている。


「き……、キッッッショ‼︎」


蔵人は紅の手を振り解き、そのまま脇目も降らず全力疾走で走り去っていた。


「あ……、蔵人!」


それを紅が追いかける。恐ろしいことに、こぼれ落ちた臓物と腹の傷はすでにふさがりつつあった。


「待ってくれー!」

「誰が待つか‼︎この変態‼︎」


夜のラスベガスを二人が駆け抜ける。


「俺を……俺を殺してくれーっ‼︎」


恍惚こうこつとした紅の叫び声が、ビルの合間にこだました。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

怪奇!快楽被◯人鬼怪人紅登場 鴻 黑挐(おおとり くろな) @O-torikurona

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ