第12話 噂の逆襲と妹の苦悩
あの日の“最後のイタズラ”騒動以来、俺と柚葉の間には気まずい空気が横たわっている。家で顔を合わせても、どちらからともなく目をそらしてしまう。柚葉は相変わらずクールな表情だが、どこか落ち着かない様子で、声をかけるタイミングが見つからない。
そんなとき、七瀬が裏で流している誹謗中傷が、さらに過激になっているという話をクラスメイトから聞かされた。
「ねえ、相川くん。変な噂が出てるけど……大丈夫?
“あの兄妹は境界を踏み越えてる”とかなんとか……」
おそらく、イタズラの件を見た七瀬が面白がって尾ひれをつけているのだろう。「イタズラなんてただの手段で、本当はもっと“危ない関係”なんじゃないか」――そんな、荒唐無稽な噂が広まっているらしい。正直腹立たしいが、七瀬に直接抗議しようにも、彼女は証拠などどうでもいいように吹聴しているだけだ。
クラスでは俺を避けるように距離を置く者もいれば、面白がって囁き合う者もいる。今までは「ただのイタズラ兄妹」という認識だったのが、今や「近親まがいの関係を匂わせる気味悪い二人」みたいに変わりはじめている。もちろん根も葉もない話だが、一度広まった噂はなかなか消せない。
学校の廊下で柚葉の姿を見かけても、彼女は誰とも話さず、一人で壁際を歩いていく。以前からクールで皮肉屋な態度で距離を作りがちだったが、今はさらに棘を帯びた空気を漂わせていた。声をかけようとする同級生がいても、柚葉の鋭い視線と短い返事でやり取りが終わってしまう。
「……あの子、最近すごい不機嫌そうだよね」
「話しかけると“何の用?”って切り返されるって聞いた」
そんな噂話があちこちで囁かれるのを耳にし、俺は胸が痛む。柚葉は自分が引き起こしたイタズラで、周囲が騒ぎ立てる結果になったことを責めているんだろう。自分の不器用さがすべて悪いと考えているのかもしれない。でも、だからといって誰も寄せ付けない態度を取れば、さらに孤立するだけだ。
一方で、俺自身も「どう声をかければいいのか」まったくわからなくなっていた。家では以前のように甘えたり、“お兄ちゃん”と呼んでくることはなく、ロボットのように必要最低限の会話しか交わさない。朝食の時間に「おはよう」と言うと、「……うん」と返されるだけ。下を向いたまま、母さんがいれば普通を装って食事を済ませる。そんな繰り返しが苦しくて仕方ない。
挙げ句の果てに、七瀬が「そろそろあの兄妹、限界なんじゃない?」とクスクス笑っているらしい。おそらく彼女は、俺たちが噂によって追い詰められるのを見て楽しんでいるのだろう。純也や他の友人が心配してくれても、「なんとかなる」と曖昧に返すことしかできない自分が情けない。
放課後、昇降口で柚葉と鉢合わせた。彼女は一瞬こちらを見たものの、まるで見なかったように顔を背ける。もどかしさに耐えきれず、思わず声をかけた。
「柚葉、ちょっと待ってくれないか」
「……何?」
「家でちゃんと話そう。こんな状況、俺も嫌だ」
「……話すことなんて、もうないよ」
柚葉の静かな声には、諦めとも取れる硬い響きがあった。追い縋ろうと足を踏み出しかけたとき、周囲にいたクラスメイトが訝しげにこっちを見ているのに気づく。あの噂を思い出し、好奇の視線が降り注ぐのを感じて、俺はそこで立ち止まった。
「……わかった。ごめん」
それ以上、何も言えなかった。柚葉は踵を返して校舎を出ていき、俺はその背中を眺めることしかできない。お互いに距離をあけるほど、誤解や疑念が増幅していくのがわかるが、どうやって埋めればいいのか、今の俺には分からないのだ。
その夜も、夕食のとき母さんは仕事でいなかった。リビングで柚葉と向かい合って食事をしているのに、まったく言葉がない。テレビがただ空回りする中、食器を片付け終わると、柚葉はそそくさと自分の部屋に戻ってしまった。
「……このままじゃ、本当にまずい」
噂はますますエスカレートしていく。妹は自分を責めて、周囲にも皮肉を向けて孤立を深める。それを止められず、ただ立ち尽くすしかない自分も不甲斐ない。こんな状況、誰かが決断しない限りは変わらないだろう。
大事なのは、俺がどうしたいのか、そして柚葉が本当はどうしてほしいのか――そこにたどり着くためには、もっと深く話し合わなければならない。だが、今の柚葉は近寄りがたいオーラを放っているし、俺も彼女をどう支えていいのか見失っている。
兄妹としての境界を踏み越えている――そんな言葉が頭をよぎるたび、胸がざわつく。まさか、これが本当に取り返しがつかない状況になるのでは……と不安が募ってしまうのだ。
暗い部屋で一人、窓の外を見つめながら、どうにかしてこの状況を打破できないか考える。俺が柚葉を本当に守りたいなら、こんな距離感を続けてはいけない。七瀬の噂を押し返すためにも、柚葉との誤解を解かなきゃならない。
けれど、どこから手をつけるべきなのか。その答えはまだ見つからず、夜はただ静かに更けていく――。
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