この世界が変
虚数遺伝子
この世界が変だ
この世界が変だ。
何気ない床に落ちたボトルに目を向けて初めて思った。ゴミ箱のそばに落ちている。誰も見ようとしない。こんな廊下の真ん中なのに。私はそれを拾って捨てた。
「じゃあね」
「また明日」
見て見ぬふりしていた同級生たちが学校から離れて、聞き慣れた挨拶で私も人の流れに従い帰り道を歩いた。やはり誰も繰り返して行っていることに気付いていない。見慣れた夕日が照らすアスファルトが眩しく見えた。
ただ私が生命を考え出したのはその後だった。
「あ……」
公園の中に、子供達の声の中で、なんか、静かに、梢から落ちたスズメが。周りにこんなに、大勢の親子がいても、誰も見ようとしない。
この世界が変だ。
「うわ、きたね」
「あのおねえちゃん、あなをほってる。へんなの」
スズメが死んだ。手のひらに乗せられるほど小さい生き物で、数分、いやもしかしたら数秒前まで心臓が動いていたように、肌に伝わってくる微かなぬくもりが、冷たくなっていく。もし誰かがもっと早く気をしていれば助かったかもしれない。死んでもこのまま腐敗していっては可哀そうじゃないか。なぜ誰も思わないんだ?
「ただいま……」
泥まみれになった手を洗わないと。
「帰ってきたのね」
「母さん……、晩ごはんは」
「今日も自分でなんとかしなさい。机にお金を置いたから」
「でも」
「でもじゃないの! あたしは忙しいから後にしなさい」
それを言って一度もこっちの話を聞いたことない。
この世界が変だ。
いや、うちが変かもしれない。母は夜にお仕事で出かけるんだから。同級生はみんな、家族と一緒にごはんを食べてるのに。せっかく顔を見せたんだから私も一度くらい期待してみたんだ。
「聞いた? また襲われたって」
「怖いねー。近いでしょ?」
「はーい、この前のテストを返しますよ」
「わ、やべ」
「こいつ、また満点を取ってる」
「あーったり前だ」
「天才うざっ」
当たり前が変だ。私は黒板を見ながら思う。遺伝子があれば生物に分類される。前日のスズメも、私も、周りのみんなも、窓から見える樹木も。生まれて寿命を持つものだ。
だから人間は覚えるために死去した同類の墓を作る。ペットの墓を作る。なら誰も見ようとしない命はただ忘れ去られるために生きるのか? 季節が変わると枯れて落ちる葉も、野良犬も、川にいる魚も、みんな命を持っているのに。
「おりゃあ、ビームを食らえ!」
「かいひーっ!」
「あははは!」
「もー、男子は遊んでないで掃除しなさいよ。せっかく集めたのに散らかすなよ! ……って何してんのあんた?」
木の元に集めた枯れ葉を埋めた。これで、少なくとも私は覚えているよ。
「えっと、こっちのゴミ袋に入れた方が早くない?」
ここに落ちたのも生きた命だから。
「ありがとうございましたー」
命であればみな愛されるべきではないか。夜ご飯の買い出しに私は思った。こんな私がいつか死んでも、誰も埋めてくれないだろうが。
弁当がコンビニの袋を片手に持たせて歩く道は暗く、時々恋人のいちゃつく音が聞こえる。やれやれと、私はほぼ星の見えない空を見上げる。
この世界が変だ。
「あっ……」
変だ。一歩も動けない。後ろからなにか、わたしのうごきをとめた。いや、これは、さされた……? なぜ?
「あっ……! た、たす……、たすけ、だれか……!」
へんだ。ひとは、いっぱいいるはずなのに、わたしをみているのに、なぜ、だれも、たすけてくれないんだ!
いたいよ……。
いた……。
この世界が変だ。
それとも、変なのは私なのか?
この世界が変 虚数遺伝子 @huuhubuki
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