さちあれ

「お前、跨道か? なんでこんな所に……」

「こんな所って。自分の故郷でしょう」

「話をすり替えるんじゃねぇよ。用がないのに、こんな時間、こんな場所に、お前みたいな格好した奴がいるわけねえだろ」

「もう、網代さんは相変わらず失礼な人ですね。こんな田舎では珍しいかもしれませんけれど、僕は好きでこういう格好をしているんですよ」

「おい。怒らせて気を逸らそうっていうんなら、やめておけ。俺はお前が帰ってから、随分苦労したんだ。そんな安い挑発には乗らんぞ」

「あぁー……。ごめんなさい、失礼しました。ええ、実は夜風を浴びに来たんです。でも、風が強くなってきたので、そろそろ帰ろうかなぁ。と」

「嘘つけ。ここが都市部からどれだけ離れてると思ってんだ。夜風を浴びる為だけに来たわけがねぇだろ。誤魔化せると思ったのか」

「じゃあ、答える前に、網代さんが何をしていたか教えてください。そうしたら、交換って事でお話しします」

「また小賢しいことを……。猫だよ。生意気な白猫を探していたんだ。野郎、軽トラの前に飛び出して来やがった。見つけて叱ってやらねぇと気が済まねぇ」

「ちゃんと信号を見てから渡れ。と? 赤信号は見えないので、お節介なだけですよ」

「跨道。お前の態度から言い辛い話だっていうのは察するが、言わなきゃ分からん。さっさと話せ。いい加減にしないとそこから海に蹴り落とすぞ」

「ちぇ。覚悟を決めるか……。本当は、あなたに会いに来たんです。お渡ししたノート、あれ、やっぱり返していただけませんか?」

「は? なんでだよ。もう要らないって言ったじゃねぇか」

「もしかして、もう捨てました⁈」

「ウキウキしながら馬鹿を言うな。鍵つけて仕舞ってあるわ」

「えぇ……。あるんですかぁ……。いやだなぁ……」

「お前、何がしたいんだよ。結局、返して欲しいのか捨てて欲しいのかどっちなんだ」

「はぁ。僕としては、捨てて欲しい九割、返して欲しい一割。なんですけれど……。先日、教授に『民俗学者を志す者が、手前の命惜しさに研究成果を手放すとは言語道断。まして先達の遺物を無責任に他人へ託した罪は、貴様の生き恥晒し続けて生き永らえた後なお人道戒めとするべき悪辣な所業!』と、まあ、現代語が怪しくなるくらい怒られまして」

「あ? まさかお前、一年間も黙っていたのか? 何やってんだ」

「いや。もちろん、帰ってすぐに報告しましたよ。問題はその後です。僕は民俗学者に向いてない。自分の研究テーマを見つけたので、それで論文を仕上げる。そもそも望月教授のノートを僕に渡したのはアナタだ。と、言い返しました。じゃあ、そのテーマでやってみろ。だがつまらなかったらどう責任を取る。つまらなければ大学辞めてやる。辞めるのは逃げだ。じゃあどうすればいい。研究ノートを取り返してこい。捨てても良いって言ってしまった。お前何考えてんだ。その後はもう、喧嘩です。取っ組み合いにならなかったのが不思議なくらい。大見得切って論文を仕上げたんですが……。こうして、ノートを返して貰えないかなぁ。でも、処分してくれると嬉しいなぁ。と、今に至ります」

「そりゃあ……災難だったな。しんどかっただろう。待て、ひょっとして、ここで一日中そんな事考えていたのか? 馬鹿だろ」

「うぎぐゅっ……。でしょうねぇ……」

「ああ、いや。そうじゃない。言い方が悪かった。ごめん。とりあえずここまでは来たんだから『行って取り返そうと思ったけれど、もう捨てられていました』って、言い訳が出来たじゃねぇか」

「裏が取れないのにそんな事、言えません。それより……、ノート、読みました?」

「読んだぞ。言いたいことは山ほどあるが、これだけは忘れない内に言っておく。おかげで、色々目が覚めた。あんたのおかげだ。跨道先生、ありがとうございます」

「うっわぁ……。読んだんですね……。お礼はまぁ、ともかくとして。その跨道先生って言うの、気持ち悪いのでやめてください。嬉しい気持ちが半減します」

「人が素直に礼を言ったっていうのに……。わかったよ、跨道。ありがとうな」

「ど、ういたしまして。んんっ。それで、ノートなんですけれど」

「ああ、あれ。今ふと思いついたんだが、やっぱり、俺が貰って良いか」

「どうするんです?」

「さっきまで、俺は何もかも終わった気になっていた。でも、お前に会ってノートって聞いた瞬間、何かが当たったんだ。こう、釣り針の先に魚はいるが、まだ餌を突いただけみたいな、そういう手応えだ。あれ持ってお前の大学行ったら、何か変わるような気がする」

「何か……? 網代さんがそんなにはっきりしない物を信じるなんて、なんだか意外な感じがします」

「何も思惑がない訳じゃない。伝手が欲しいんだよ。実を言うと……頭の病院を退院してから、どうにも、居心地が悪くてな。だけど、俺はこの土地以外じゃ伝手に乏しい。ノートを持って教授と知り合いになれば、仕事を紹介して貰えるかもしれないだろう? 御縁が巡ってどっかの船にでも繋がっていれば、大助かりだ」

「確かに、あれで外面だけは美人ですからね。体力仕事はいつだって担い手不足ですし、伝手には困らないでしょう。ご家族に相談は?」

「まだだ。でも、きっと、環境を変えるいい機会だって分かってくれる。お前が心配することねえよ」

「確かに。それもそうですね」

「ああ……。ところで、今夜泊まるところはあるのか?」

「ご心配なく。駅前のホテルに部屋を取ってありますから」

「そうか。なら、送ってやるよ」

「にへ。助かります。じゃあ、ここのホテルまでお願いします」

「あ? お前、ここラブホじゃねえか……。くそっ。駅前で降ろすからな。こんな場所、お前みたいな奴を乗せて近寄りたくねぇ」

「ふふっ。ありがとうございます。でも、僕は男なので気にしませんよ?」

「そりゃあいい。ますます近寄りたくねえなぁ!」

「そう、仕事の話ですけれど……。僕だったら、教授に頼るのは避けます」

「なんだよ。伝手で仕事に就くのは悪いことか?」

「いいえ。そうじゃありません。ただ、心配なんです。類は友を呼ぶっていうじゃありませんか。網代さんを気に入るのが人だったらまだしも、最悪、幽霊屋敷に住んでいるヴァンパイアが世話人に欲しいと言い出すかもしれません……」

「は? ヴァンパイアの世話だ? お前の教授って何者だよ」

「一応人間に見えますけれど、自称二千飛んで二十七歳の魔法使いです」

「なんだそれ! 超弩級に面白い奴じゃないか! はっは! じゃあなんだ、友だちはフランケンシュタインの怪物か?」

「あぁー、そっちは五、六年前まで元気にしていたそうですが、今は北極海で眠っているそうです」

「なんだ、死んじまったのか……。一度会ってみたかったんだがなぁ。ま、ともかく、そんな面白い人なら、会って損はなさそうだ」

「はぁ。そういう怪物譚がお好きでしたら、紹介しますよ。あそこには子狼憑き、不眠症のブギーマン、スフィンクス見習いにレヴィアタンの幼生……。おかしな連中ばかりです」

「そうか! ふっくくく。なんだかんだ、生きてみるもんだ。まさかこの歳で、子どもみたいに夢を見られるとは思わなかった!」

「僕は不安になってきました……」

「おいおい。跨道、お前なぁ。俺が希望を感じているのに、俺より若いお前が不安になってどうすんだよ。人生どうせ、思い通りになんかならねぇんだ。餌をケチって釣れる魚なんて美味くなさそうだろうが。撒いとけ。撒いとけ」

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くちなし 白芯木 波音与 @halberd1561

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