第2話 フジテレビの勘違い
あくまでも、推測の話ですが
フジテレビの上層部(?)の
【疑惑の立証、悪意の立証(?)が無ければ、安泰である】
という意識だったんじゃないかな?と思うんです。
実際は、
【潔白の完璧な証明と好感度の獲得ができなければ、危機・敗北である】
という意識が、正解だったのだろうと思うんです。
『テレビはオワコン』なんて言葉を
数年前から聞きます。
ボク自身は“放送局”という仕事は必要だと思っています。
でもね、
『必要な仕事だけど複数の競合の中から選んでもらう仕事』だとも、思っているんです。
『生活のために嫌でも利用しなければならない業種』じゃない、
『信頼と好感を得て、選んでもらわなければ成り立たない業種』だと思うんです。
正直な話、1つや2つ、放送局が
そーゆー意識があれば、
フジテレビは、好感と信頼の獲得のために、もっと自主的に動いていた、
少なくとも、死んでも『テレビカメラを排しての会見』なんて
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