季節の野菜のスープ、しめじとエリンギの和風スパゲッティ
食堂で水を汲むとき、必ずたくみの分も汲んでくる。なぜかわからないけど、義務感のような、そういうことをしないと落ち着かないのだ。先に食事を受け取ったたくみのところへ向かう。
「ほれ、てかお前もかよ」
たくみのトレーにも水が入ったコップが二つあった。こんなことは日常茶飯事で、私たちはお互いに思いやりをもって接している。私もこんな関係が楽しい。
「てか、さなちゃんとどこ行くん」
「どうしよう、あんまり共通の趣味ないしな」
「いっそのことお前の好きなとこ行けばいいじゃん、美術館とか」
たくみが何の気なしにそう提案した。美術館か。正直美術館に興味はない。通っているし趣味ではあるが、私は絵を見るよりもあの静かな空間そのものが好きなのだ。あの静かな空間をゆったりと歩く。そしてまじまじと絵を見ている人の横顔が少しうらやましいと感じる。
「そうしてみるか」
このままじゃ埒が明かないので早速さなにメッセージを送る。まさかの了承だった。
sana:わー!行ったことないけど楽しみ!
文字からも元気さが伝わってきた。少しあそこにある絵の勉強をしなくてはいけない。
駅につくと少ししてさなが走ってやってきた。
「ごめんおまたせ!」
「全然、さっき来たとこやし」
二人で歩き出す。面と向かって会話をするのは初めてだから、とても緊張したけど、幸いさなは人見知りしないタイプなのでたくさん話してくれた。サークルのこと、たくみとのこと、昨日あった面白いこと、相槌をうつだけで楽だった。何より夢中に話すその横顔が羨ましかった。
「そういえば調べたらさ、今日は美術館でなんか特別展示があるらしい!」
「ああ、モネ展だね」
「名前だけ聞いたことあるよ!有名だよね」
「日本人はモネが好きやからな」
フランス語の先生がどこかの授業で言っていたことをそのまま言ってやった。さなは、さすがだねってにやにやと言った。気づけば美術館についていて、いつも通りスタッフに切符を渡す。
「今日はお連れ様と来てるんですね。ごゆっくりどうぞ」
「あ、ありがとうございます」
覚えられてないほうが不思議かと心の中で冷や汗をかいた。隣のさなは目をきらきらさせて、かっこいいねと小突いてきた。あのスタッフにどんな覚えられ方してるんだろうと少し怖くなった。そのまま私たちはモネの絵を見る。さなは一つ一つじっくりと見て、すごい真面目だなと思って矢先、わかんねえと少し笑う。美術好きな人なら少し訝しく思うだろうが、正直さなの絵に対する向き合い方のほうが私よりも美術館らしいと感じる。
「ねえねえ、なんで美術が好きなの?」
一番難しい質問をされた。私は少し考える。
「美術っていうよりも、それを通した人たちが好きなのかもね」
それらしい言葉を言えたのか、さなは曖昧な絵の世界を見ながら、すごお、とぎりぎり声になってる声を出した。私はいつも言葉はそれらしいことばかりだ。大学入試、私は小論文と面接が試験内容だった。私はなんとなく、いかにこの場所で人と違うかが大事なのかと思った。だから、人が惹きつけられそうなテーマの小論文、人と違う雰囲気、とにかくどこまでも自分のできる範囲でひと際違うというのを示す努力をした。嘘をついて手に余る大学に入った私はその代償に今も塗り重ね続けている。曖昧なグラデーションではなく、一色一色、もとの色が見えなくなるまで。
絵も堪能したような雰囲気がしたのでレストランに向かうことになった。彼女は歩きにくそうな靴だなと思った。私は少し一人になって一息つきたいと思っていた。
「ちょっと俺行く前にお手洗い行きたいんやけどいい?」
「あ、じゃあ私も行ってこようかな」
作戦成功だ。私はさなと分かれて、トイレの個室に入って一息つく。耳が少し重い。首元の襟が苦しい。ズボンが扱いにくい。用を足して、手を洗って、鏡で髪の毛を整えてトイレを出る。さなもちょうど出てきたところだった。
「じゃあいこっか」
二人で歩き出す。レストランは別に高くもなく、カップルで来ても、友達と来ても良いようなちょうどいいフォーマルさとカジュアルさのあるお店だった。帰り道で必ず通るこのレストランはずっと入ってみたいとは思っていたものの、さすがに一人では無理だなと諦めるのが常だった。レストランで少し重いドアを開けて、さなを通す。自然と誰が言うわけでもなく、さなが上座側の座りやすい席で私はその向かいの席。二人でメニューを眺める。
「どれにしようか迷うねえ」
「そうだねえ、俺これにしようかな」
私は季節の野菜のスープとボロネーゼを頼むことにした。
「私はこれにしよう!」
さなはしめじとエリンギの和風パスタに指をさす。呼びかけるとすぐに店員さんはやってきて、注文をとってくれた。
「このスープとこれください」
「私このしめじとエリンギの和風スパゲッティください!」
ちゃんとフルネームで注文するタイプなんだと思った。レストランだといつも振る舞いに気を遣う。生理的欲求を満たす食事はその人の性格が否が応でも出てしまうと感じるからだ。だから作法や相手とペースを合わせること、色んなことを考えながら食事をする。正直外食は好きじゃない。持ち帰りで家で食べるほうが百倍良い。私が注文した品が来て、彼女のものが来るのを待つ。
「全然先食べてくれてもいいよ」
「いや、俺猫舌だからさ、ちょっと冷ましてから食べるんよ」
本当の思いやりは相手に気づかれないこと、そして相手に気を使わせないことだ。だから相手にこんなことを言われたときはそれっぽい言葉でユーモラスに返している。さなの品も来て、二人で食べ進める。
「これまじうまいよ!食べてみて!」
「ほんと?じゃあ俺のも食べな」
周りから見たら普通にカップルかもしれない、きっと彼女はそう見られたいし、名実ともにそういたいと思っている。せっかくお金を払っているんだし、彼女のことは楽しませなきゃなと内心思っている。
二人で暗い空の下を歩く、最近は太陽が長居している気がする。さなとは同じ駅だが、別々の方向だ。改札を二人でくぐった。
「今日楽しかった。また誘ってほしいな」
「うん、次はさなの行きたいところ行こう」
「ばいばーい」
「ばいばい、家着いたらメッセしてー」
ぐっと親指を立ててさなはエスカレーターで上がっていった。後ろを振り返ってイヤホンをする。電車の中で死んだように眠った。
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