第2話 兄と姉は屍術師に向いている
「こっちよ璃英ちゃん」
女眷属に周囲を警戒させながら、無垢姉さんは僕の手を取って家の奥へと進む。
「ここに状況が落ち着くまで一緒に――と思ったけど、もう終わりそうね。はぁ」
何故か露骨にテンションを落とす無垢姉さんがとんでもないことを言った。
「終わる? え? カチコミが終わるってこと?」
その時、外から慌てふためく騒がしい声が聞こえた。混乱が起こっているのか、統率が乱れている様子が伝わってくる。
姉さんはもう大丈夫とばかりに廊下の戸を開けると、僕を連れて戦闘が行われている中庭の様子を見に行った。
「ね? 終わるでしょ?」
「……たしかに終わるね」
そこで見えたのは、像が蟻を踏み潰しまくっているかのような圧倒的光景だった。
「うらうらうらうらうらうらぁぁぁぁ! その程度か荒芭島連合共ぉッ! 武器も眷属もそんなものかぁッ! 傷一つワシにつけられておらんぞぉッ!」
祖父である威乃座楽園皇(いのざらくえんこう)が、割れんばかりの腹筋と岩場のように隆起した背中をさらけだして、荒芭島連合の組員達と眷属達を蹂躙していた。その様子はまさに重戦車で、誰も爺様を止められない。袴が靡くたび、その強靱な筋肉に秘められた力を遺憾なく発揮していた。
「お土産が届くタイミングで帰ってきてたんだ……」
大勢の荒芭島連合を倒していく爺様を見ながら、僕はホッと息をつく。
爺様は威乃座元当主で、今は隠居して世界旅行を楽しんでいる。たまに旅行先のお土産を送ってきて、僕がいつも受け取っていた。
爺様は数年に一度くらいしか帰ってこないのだが、その滅多にないイベントは今日だったらしい。大勢の屍術師と眷属に囲まれても、たった一人でその全てを倒せるのは爺様しかいないので間違い無かった。
「なんかどうしようもないって感じね。お爺様を倒したいなら、ロケットランチャー百発撃ち込むくらいしないとダメなのに」
「対戦車兵器をそんなに撃ち込まないと爺様ってやられないんだ……」
僕は呆れるように呟くが、無垢姉さんの言ったことは決して比喩ではない。
威乃座に限ったことではないが、屍術師家系には圧倒的に強い眷属同然の強さを持った者が生まれることがあるのだ。なんでも『死体を眷属にして操る屍術師は常人とは程遠いからこんな非常識が生まれる』らしく、その時代のパワーバランスを変える力を持っている。
それが僕の祖父である威乃座楽園皇だ。もちろん屍術師なので死体を眷属にできるが、爺様は「ワシより弱いヤツはいらん」と、眷属を所持していない。
「まとめてかかってきたらどうじゃ!! ワシを殺したければありったけの武器と眷属を持ってこんかぁぁぁぁぁぁ!」
爺様の余裕は崩れない。威乃座家と荒芭島連合の戦況は逆転した。このまま爺様が蹂躙し切ってもおかしくないが――爺様は屍術師の間では超のつく有名人だ。
荒芭島連合が威乃座楽園皇のことを全く考えずカチコミしてきたとは思えない。
「ワシを倒したかったらロケラン百発くらい撃ってこいッ!」
爺様がそう言ったから、ではないだろう。
荒芭島連合はそれ相応の対策をしてきていた。
「ぬうッ!?」
爺様から一斉に敵組員達が離れていく。明らかに作戦通り決められた動きだった。
「……なるほど。ちゃんとワシを倒す気はあるようじゃな」
爺様はその様子を見てニヤリと笑った。
敵組員達が離れたのは足止めの必要がなくなったのと、巻き込まれるのを回避するためだ。
ロケットランチャー(RPG-7)を構えた百人の眷属達(鉄砲玉)がズラリと横一列に並ぶ。荒芭島連合の誰かが「あのジジイをぶっ殺せ!」と叫ぶと、弾頭が一斉に爺様目がけて放たれた。
大きなマッチ棒を擦ったような破裂音を響かせて、百の弾頭が赤い尾跡を描いて飛んで行く。ミサイルにも見えるソレは、とても一人の人間に撃つような火力ではなかった。
「上等じゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!」
爺様は雄叫びを上げながら弾頭へ突撃していく。いくら凄まじく強いとっても、一発で戦車を破壊する威力が百も飛んで来ている。どうしようもないはずだが、爺様は全く恐れていない。
屍術師の例外は、相手がどんな対策を講じようと怯む気は全くないようだった。
「爺様……無茶しやがって……」
抗争から二日が経過した明快(めいかい)高校の放課後。僕は三階にある一年二組のベランダで誰に言うでもなく呟いた。
昨日、威乃座本家で威乃座楽園皇(いのざらくえんこう)の葬儀が行われた。爺様はロケランを大量に浴びても勢いは衰えず、そのまま荒芭島(あらばしま)連合を壊滅させたが、そこまでだった。元から多勢に無勢だった上に弾頭の集中砲火までくらっては、さすがに限界だったのだ。
威乃座楽園皇は仁王立ちで高笑いした後、立ったまま死亡した。
葬儀は威乃座家の関係者はもちろん、荒芭島連合に加わらなかった他同業者達も総出で参加した非常に大きな葬儀――だったと無垢姉さんから聞いている。
聞いているというのは、僕は爺様の遺言で死体処理をしていて葬儀に出られなかったのだ。
「あんな強い爺様でも死ぬんだな……」
葬儀に出られなかったことを内心で謝りながら爺様の死を実感する。
ちなみに遺言を無視して僕が葬儀に出る選択はあり得ない。爺様は強すぎるせいで、その死体を眷属にしたい屍術師(ヤクザ)は大勢いる。死体処理は急務であり、かつ秘密裏に行わなければならなかった。
爺様の遺言により死体処理は葬儀の日となり、処理人は僕が任命された。葬儀の日である理由は、大勢の屍術師が威乃座本家に集まるからだ。最も死体処理を行いやすい日と爺様は判断したようだった。
そして、その処理人が僕なのは屍術師を嫌っているからだろう。屍術師嫌いの僕なら死体を悪用しないと爺様は信用してくれたのだ。
死体処理の手続きは爺様が済ませている。威乃座楽園皇と気づかれないようにしているのはもちろん、死体であることすら気づけないよう巧みに手配されていた。そのため実態を知っているのは僕だけだ。関わった一般人達は何も理解せず仕事を行った。
本来、屍術師なら遺言なんか無視して、即座に爺様を眷属にするのだろうが、僕は遺言通り死体処理することに躊躇いはなかった。
爺様を眷属にしようなど微塵も考えなかった。
――どうして屍術師達は死体を眷属にしたがるのだろう。
僕は死体を眷属にして操る屍術師が嫌いだ。死んだ人間を自分の駒にするなんてありえない。死体を再利用(リサイクル)するという考えが全く理解できなかった。
僕は屍術師の家系に生まれた者として感性が一般人(カタギ)すぎたのだ。
その証拠に、幼い頃に父さんの命令で死体を眷属にしようとしたことがあったが、うまくいかなかった。何度やらされても、どんなに罵られようとも、死体は死体のまま起き上がることはない。いくら暴力を振るわれても、僕は死体を眷属にする気が起きなかった。
これは僕の本能であり理性であり、ついに父さんは屈服させることができなかった。そのため今では完全に僕のことを諦めている。汚点にかける時間などないとばかりに、父と息子の関係は消え失せ、無視が続いていた。
これは騨漣(だれん)兄さんも同じで僕に呆れ果てているのだが、父さんとは逆だ。悪態をついてきたり睨み付けたりと必ず絡んでくるので、なるべく出会わないよう気をつけている。そのかいあって、ここ数ヶ月は本邸敷地内で姿を見かけることがなくなった。
そんな壊滅的な家族仲で、唯一味方でいてくれるのが無垢(むく)姉さんだ。僕を嫌わず、騨漣兄さんからいつも守ってくれる。僕にとって無垢姉さんが本当の親と言ってよかった。
無垢姉さんにはとても感謝している。僕の屍術師嫌いを理解してくれて、それでいいと認めてくれた。必ずしも威乃座家や屍術師界の常識に従う必要はなく、人それぞれの考えは尊重されるべきだと言ってくれて嬉しかった。
無垢姉さんは威乃座家の優秀な屍術師で――屍術師嫌いな僕の唯一の味方だった。
「……もう時間か」
時計を見ると、そろそろ家に帰る時間になろうとしていた。
帰り道のスーパーで何を買うか一瞬考えたが、その必要はないと首を振る。無垢姉さんに合鍵を渡した時「これから毎日ご飯作りに行くね!」と、来る気マンマンだったからだ。まだ無垢姉さんから連絡はないが、帰れば高確率で夕飯を作って待っているだろう。
今の僕は死んだ爺様の計らいで、アパートで一人暮らしをしている。おそらく、死体処理した僕を屍術師達から守るためだ。特に騨漣兄さんは僕の口を割るため何をするかわからないので、それを案じた爺様の配慮だった。
それに僕が外で暮らせば核武装のような牽制にもなる。威乃座楽園皇の死体を手に入れようと僕に近づく屍術師は“抜け駆け”と他屍術師達から判断される可能性が高い。爺様を己の眷属とする前に始末されてしまうだろう。
そんな様々な意味を持つこの一人暮らしに僕は喜んだ。元より威乃座家に居場所はなかったし、屍術師達と関わらずにいられる。何よりいつまでも無垢姉さんに甘えるワケにはいかなかった。
嫌悪する屍術師をやめて一般人になることができた、とまではいかないけど、こんな良い機会をくれてありがとう爺様。僕は葬式や四十九日みたいな、大勢の屍術師が集まる催事には行けないけど、命日は必ず爺様に向かって手を合わせます。
「あの試合見たら帰るか……」
ベランダからグラウンドにいるテニス部を見ると、そこで因幡さんが部員と試合をしていた。
相手は同じクラスの名積央(なづみおう)さんで、因幡さんとよく会話している女子だ。高校入学前からの友達らしく、教室で名積さんが因幡さんにツッコミするのは名物的光景だ。
二人とも明快高校の刺繍がされた真っ白なテニスウェアを着て、スカートを揺らしながらボールを打ち合っていた。
因幡さんが平然と打ち返しているのに対し、部員である名積さんの方は明らかに手を焼いている。素人目にも技術差がはっきりと解り、部員を圧倒する因幡さんの凄さに気づかされてしまう。
因幡さんは特定の部活に所属しておらず、色んな部活に参加している。普通は認められないが、因幡さんの運動神経が抜群なため各部長達が嘆願し、特別許可が出ているのだ。
「すごいよなぁ。運動できてバイトもやって成績優秀。ホントに僕と同じ十六歳なのかな」
僕の運動能力は平均以下で、女子の平均と比べても下だ。因幡さんはこの逆なので、僕との差はとてもエグい。仮にマラソン勝負をするなら、因幡さんには二十キロの重りを背負ってもらってようやく――いや、それでも互角とは程遠い気がする。
成績ならやや平均以上なのだが、因幡さんは上位常連だ。なので運動能力程ではないが、成績でも僕は因幡さんに圧倒されている。これでいてバイトまでやっているのだから、凄い以外の言葉が見つからない。
だからなのか僕には因幡さんへの強い憧れがある。ずっとそばで因幡さんの輝きを見ていたい、なんて考えてしまうくらいだ。
放課後になると因幡さん目当てで、いつもベランダに出ている。気持ち悪い自覚はあるが、因幡さんを見ているとこの上ない幸福感に包まれるので、ベランダに出る自分を止められないのだ。
――そんな女子と会話らしい会話をしたのが二日前だった。
僕と因幡さんは同じクラスだが、ロクに話したことがない。因幡さんの周りには名積さん以外も必ず誰かがいて、みんな仲良く話しているので近づく余地がないのだ。挨拶くらいはするけど、それだって毎日じゃない。
「……ん?」
そんなことを考えていると、テニスコートを離れて休憩していた因幡さんに近づく男子を見つけた。
騨漣兄さんだ。全国区の強さを持つ男子テニス部のキャプテンで、去年明快高校を全国三位にした人物である。僕には憎悪しか向けない人だがテニス部での評判は高く、部を引っ張っている大黒柱だ。女子人気も高く、これまで何十人と告白されているらしい。
因幡さんと騨漣兄さんは笑いを交えながら話している。名積さんとの試合について振り返りをしているのかもしれない。
しばらくして、騨漣兄さんが因幡さんを連れてテニスコートを離れた。二人の姿が体育館裏へと消え、ベランダから姿を確認できなくなる。
「…………」
普通なら気にする必要はない。男女が二人きりになろうとするなんて、共学ならよくあることだ。もしかしたら騨漣兄さんは因幡さんに告白するつもりなのかもしれない。テニス部員達も僕と同じ考えなのか、何やらヒソヒソと話して盛り上がっていた。
告白騒ぎなら気にする必要はないのだが。
『威乃座騨漣は一般人を殺して優秀な眷属を増やしている』
騨漣兄さんにはそんな噂がある。
「……一応だ」
告白なら邪魔するつもりはないし、そのまま盗み聞きするつもりもない。
脳内に鳴り響く警鐘を止めるため、僕は体育館裏に向かった。
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