死体嫌いはネクロマンサーに向いている

三浦サイラス

第1話 僕は屍術師に向いてない

「荒芭島(あらばしま)連合のカチコミだぁぁぁぁぁぁ!」



 五月下旬の夕方、姉さんに宿題でわからないところを聞きに行こうとした時、その怒号は聞こえた。


 自宅にヤクザ達が攻めてきた。僕、威乃座璃英(いのざりえい)は抗争に巻き込まれてしまったのである。


 威乃座家本邸と呼ばれている僕の自宅は美珠市(みたまし)の外れにあり、周辺を高い木々に囲まれている。他の建造物は何もない。上空から見れば山の中に宗教施設のような大きい屋敷がポツンと不自然に建っているだろう。


 大抵のヤクザは一般人(カタギ)に気を使って、こういった人気のない場所に家を建てる。当たり前だが、好き好んで世間と敵対したがるヤクザはいない。何かあった時のためも込みで、家の場所くらい譲歩するのだ。


 そして今、その何かが起こった。でも、まだ僕には実感がない。カチコミ連中が、何の実権も力もない威乃座家末弟の僕を狙うとは思えないからだ。


 このままジッとしていれば巻き込まれることはない。そんな冷静な思考が、カチコミを遠くの国で起こっている戦争のように認識させていた。



「返り討ちにすんぞぉ! 荒芭島連合のヤツらは皆殺しだぁ!」



 自室である離れ家の二階からこっそり外を覗くと、窓下で威乃座の若頭が他の組員達へ激を飛ばす姿が見えた。威乃座家本邸の警護を任されている者達だ。彼らは僕に気づくことなく戦場になっている中庭へと走って行った。


 荒芭島連合は威乃座家と対立している、というのは聞いたことがある。


 最近、威乃座家が主体となって業界の暗黙の了解(ルール)に改革が行われているらしく、それに反発する者達が荒芭島連合となったらしい。利権関係者(ガン)を一掃する動きは威乃座を打倒する勢力となり、大きな対立を生んだのだ。


 上っ面だけで詳しく知らないし、どれが本当で嘘なのかもわからない。でも、威乃座家を嫌う勢力があるのは間違い無く、カチコミされているのが何よりの証拠だ。


 僕は双眼鏡を覗き込み遠くの中庭を見る。



「……これマズいんじゃないのか?」



 広大な枯山水の中庭には岩と白砂が織りなす緻密な模様と静寂が広がっているが、今やそこは二つの勢力がぶつかる地獄の戦場と化している。双方の鉄砲玉(下つ端)が何人も転がっており、勝者と敗者をはっきりと見せつけていた。


 戦況は――荒芭島連合が有利だ。威乃座側は気合い充分でも人数が圧倒的に不足しており、逆転できる程戦力の質も高くない。



「逃げないと! このままじゃ僕も姉さんも!」



 窓から離れて双眼鏡を部屋内に投げ捨てて階段を駆け下りる。小さな台所や冷蔵庫等が設置された一階に着くと、立て付けの悪い引き戸を力任せに開け、姉さんのいる本邸に向かった。


 離れ家付近に荒芭島連合の組員が来る様子はないが、絶対という保証はない。外に出た僕は地面を這うようにゆっくりと歩く。


 この辺りは戦場になっている中庭と違って茂みや倉といった建物が多い。塀に沿っていけば問題なく本邸の裏側につくはず――だったのだが。



「こんにちわー! お届け物でーす!」



 裏口の前を通り過ぎた時、カチコミに全く似つかわしくない、明るく透き通った女子の声が聞こえた。


 しかもなんてことだろうか。この声を僕は知っている。


 無視するワケにはいかず、慌てて裏口の戸を開けた。



「誰かいませんか~! 荷物が――おりょ? なんで威乃座君が?」



 そこにいたのは長い黒髪を束ねるリボンが特徴的な同じクラスの女子、因幡咲華(いなばさきか)さんだった。


 レンガくらいの小さな荷物を両手で持ち上げて、キョトンとした顔を僕に向けている。



「あ! ここって威乃座君トコなんだ! 珍しい名字だなーとは思ってたけど。アハハハ」



「なんでこんな所にいるの因幡さんッ!」



 カチコミ中という最悪のタイミングで来てしまった因幡さんに思わず叫んで(ツツコんで)しまったが、彼女がここにいる理由はすぐに解った。


 因幡さんの着ている上下の赤ジャージ、その背後に見える自転車(クロスバイク)、そしてその自転車のリアキャリアに積まれている荷物達。ここまでヒントを見れば答えは一つしか無い。



「私、配達のバイトしててさ。威乃座君へお届けに来たんだよ」



 正解だった。太陽みたいな笑顔と共に荷物を差し出され、僕は受け取った。



「いつもはご飯ばっかりなんだけどね。最近は自転車に積めるヤツならなんでもやってるんだ。その方が稼げるし、色んなとこに行けて面白いからね。今の私なら美珠市限定で何処でも案内できちゃうよ」



 因幡さんはドヤ顔をしつつ、凹凸の大きい胸を張って、フンスと鼻息を鳴らす。



「いやー、威乃座君とこっておっきいねー。すんごく塀が長いから、何処にチャイムあるかわからなかったよ。はー、こりゃ中がどうなってるか気になっちゃいますなー」



「す、すぐに帰って因幡さん! 早く街まで戻って!」



「ん? なんか騒がしいね。パーティでもしてるの?」



 敷地内を覗こうと因幡さんが身を乗り出すが、僕は大の字で立ち塞がる。



「いいからッ! 早く仕事の続きしてッ! 僕ん家から離れてッ!」



 僕は手早く受領書にサインを済ませ、荷物の品名を確認する。《お土産》と書いてあったので、これは爺様からのお土産だ。



 受け取った荷物を脇に置くと、僕は因幡さんの肩を掴んで回れ右をさせた。そのまま背中を押して、自転車の停まっている場所まで無理矢理連れて行く。



「ど、どうしたの威乃座君? あ、私の愛車が気になるの? ペリオンちゃんって言うんだー。はー、可愛いなぁペリオンちゃん。前輪のスポークとか溜息出るくらい美しいと思わない? このあみあみ可愛くてずっと眺められるよー」



 放射状に延びている針金を見てうっとりする因幡さんだが、僕にはさっぱりわからない。



「うん、すっごく可愛い! 針金最高! 配達ありがとう! バイト頑張って!」



 無理矢理話題を打ち切ってしまったが、因幡さんは「アハハハ、変な威乃座君」と笑いながら愛車(ペリオン)に跨がった。



「じゃねー! また明日ー!」



 ペダルを漕ぎながら僕に手をブンブンを振って因幡さんは去って行った。一般人である因幡さんが襲われるとは思えないが、荒芭島連合の姿がなくてホッとする。


 僕は見送りを終えると再び本邸を目指し、どうにか濡れ縁に辿り着く。そのまま上がり込んで引き戸を開け、長い廊下を駆け抜けた。


 外から銃撃音や爆発音、乱闘のうめき声や断末魔といった物騒な音が聞こえてくる。威乃座家と荒芭島連合の両組員達が戦闘で次々と始末されているのだ。



「ううっ……」



 ここまで来るとさすがにカチコミを実感する。猛烈な死の匂いが漂う中を進むたび、僕の全身を凍り付くような恐怖が支配していった。



「ま、負けるもんかッ!」



 ぴしゃりと頬を叩き、竦み上がりそうな身体に喝を入れる。


 ビビってなんかいられない。こうしている間に姉さんが荒芭島連合に襲われているかもしれないのに!



「止まれやそこの威乃座ぁッ!」



 最短距離で向かおうとしたせいだ。僕(敵)を見つけた荒芭島連合の組員が戸を派手に破って侵入してきた。



「そのままジッとしてろや! コイツで苦しまず殺してやっからよぉ!」



 組員の後ろから、僕と対峙するように土気色をした中年男性が現れた。


 意志の感じられない目がギョロリと動き、猫背の姿勢で腕をゴリラみたいにダラリと弛緩させる。ゆったりとした動きだが、それは獲物を前にした肉食動物がする事前動作だ。


 この“眷属”はいつ命じられてもいいように、僕を殺す準備を終わらせていた。



「くっ……」



 背中を向けて逃げるワケにもいかず、僕はこの場から動けなくなる。


 威乃座家や荒芭島連合といった、世間でヤクザと呼ばれる者達の武器は短刀(ドス)や拳銃(チヤカ)といったモノだけではない。これらと比べものにならない、戦況を一転させる“兵器”を持っている。


 それが眷属と呼ばれる屍術師(ヤクザ)の操る死体、眷属だ。


 屍術師とは眷属を生み出し支配する者達の総称であり、威乃座家も荒芭島連合もその例に漏れない。


 つまり、今行われているのは屍術師達の抗争なのだ。



「死ねやああああああああ!」



 組員の雄叫びを合図とばかりに眷属が迫ってきた。眷属は生前とは比べものにならない身体能力を得ているため、その力や速さは常人を遙かに超えている。人間では抗いようのない敵だ。


 だが、この眷属は大ぶりな予備動作に加えて攻撃がバカ正直すぎる。屍術師である組員の力量が低いのだろう。そのため予測しやすく、どうにか眷属の突撃を避けられた。



「ぐっ!?」



 だが、避けられてもそれで終わりじゃない。眷属の突撃で廊下やガラス戸が爆発したように吹き飛び、それらの破片が僕を襲った。


 さすがに破片までは避けられない。顔や腕に鋭い痛みが走り、思わず顔が歪んだ。

 ジッとして痛みに耐える暇はない。眷属が間近にいるのだ。一刻も早くここから逃げねばならない。


 歯を食いしばって足を動かす。流れる血を無視してこの場から離れようとするが、それをあざ笑うように眷属が回り込んできた。


 気づいた時には眷属の手刀が僕の心臓に迫っていた。さっきのような偶然は期待できない。避けることも防ぐことも不可能。死を悟った僕は目を瞑るしかなかった。


 しかし、その手刀はいつまで経っても僕の心臓を貫かない。



「……え?」



 目を開けた時、眷属の姿はなかった。ただ、周辺の地面や破壊された家屋に無数の肉片と血が飛び散っており、それらが蒸発していた。


 不思議と吐き気はない。実感と体感が乖離しているようで、僕は眷属の死を現実感なく眺めていた。



「なにが……あった?」



 意味不明の状況に独りごちる。


 変な言い方になるが、死体である眷属はどんな状態(カタチ)になろうと、生きているならその場に残り続ける。例えバラバラにされても、その肉片から元に戻れる力が残っているなら復活できるのだ。


 それができない時が眷属の死であり、死んだ眷属は蒸発してこの世に残らない。


 基本として眷属の死は復活不能なダメージをくらうか、その主である屍術師が死んだ時の二つ。さっきの眷属は前者で、耐えられない一撃(オーバーキル)をくらったのだ。



「ありがとう璃英ちゃん。私を心配してきてくれたのね」



 耳にいつまでも残したくなる母性ある声が聞こえた。


 誰か、なんて考えるまでもない。


 僕を助けてくれたのは心から尊敬して止まない実の姉だった。



「無垢姉さん……」



「はい、そうです。璃英ちゃんが大好きでたまらない無垢お姉ちゃんですよ」



 肩にかかる黒髪を風に揺らしながら、僕の姉である威乃座無垢(いのざむく)は微笑んでいた。


 無垢姉さんのそばに衣服を血塗れにした若い女の眷属が立っている。さっき僕を助けてくれた無垢姉さんの眷属だ。おそらく殺された荒芭島連合組員だろう。戦場で死んだ屍術師が敵に利用されてしまうのはよくあることだった。



「……ごめん姉さん。僕が助けようなんて調子にのったせいで面倒を……」



「謝らないで。そんな璃英ちゃんがお姉ちゃんを無敵にしてるんだから」



 薄い水色のカーディガンと、その裾から覗く白いブラウスは和風建築の威乃座家本邸には不釣合いだが、無垢姉さんの洗練された女性らしい魅力を引き出している。ウエストを程よく引き締める細いベルトも右に同じだ。そばでロングスカートがふわりと揺れると、弟の僕でも見惚れてしまい、顔が赤くなってしまう。


 ――無垢姉さんは大学生になって一層綺麗になった。他の女性達とは明らかに違う。異性問わず引かれる魅力(カリスマ)に溢れており、別世界の人間と言われても納得できる。そのくらい無垢姉さんの美しさは神秘的に輝いていた。



「さて、そこの組員さん?」



 無垢姉さんは死神の影が迫るかのような、ゾッとする視線を組員に向けた。



「この程度で眷属が始末されるなんて、チンピラにも劣る力量ね」


「くっ……」



 組員が懐に手を突っ込み拳銃を取り出す。だが、瞬時に目の前にやってきた姉さんの眷属に叩き落とされ、そのまま踏み踏み砕かれてしまう。



「眷属のいない屍術師の抵抗は見苦しいだけよ」



 姉さんが処刑宣告のように呟くと、眷属が組員の腹部に強烈な蹴りをブチ撃ち込んだ。たまらず組員の身体がくの字に曲がり、乾いた悲鳴を上げて崩れ落ちると、そのまま動かなくなった。



「姉さん! 早くここから逃げないと! こんどは何人に襲われるか――」



「大丈夫。璃英(りえい)ちゃんは無垢お姉ちゃんの強さをよく知ってるでしょ?」



 無垢姉さんは落ち着かせるように僕の頭を撫でてニコリと笑った。


 無垢姉さんの言葉に嘘はない。無垢姉さんの力量は非常に高く、屍術師界で十本の指に入ると噂される程だ。父さんのお気に入りで、昔はよく二人で特訓をしていたらしい。


 そんな無垢姉さんなので、威乃座家の跡取りに無垢姉さんを押す声は非常に多い。

『無垢組』と呼ばれる組織までできる凄まじさだが、それは本来の継承者である兄の威乃座騨漣(いのざだれん)とその配下である『騨漣組』に睨まれる結果となっている。


 騨漣兄さんは威乃座家で二番目の子供だが長男だ。父である威乃座重道(いのざしげみち)が退けば威乃座家を継ぐ立場にいる。騨漣兄さんは長女でしかないはずの無垢姉さんの評判が面白くないのだ。


 だからか、騨漣兄さんは無垢姉さんに対抗するため、優秀な眷属欲しさに一般人(カタギ)を殺して死体を集めている、なんて噂がある。


 屍術師が一般人に手を出すなど嘘としか思えないが、噂にそんな尾ひれがついてしまうくらい騨漣兄さんにとって無垢姉さんは脅威なのだ。


 屍術師としての力量、正当な跡継ぎである騨漣兄さんを凌駕する人望、荒芭島連合のカチコミにも動じない胆力、こんな状況でも僕を気遣える包容力。


 ――屍術師を嫌うだけの僕とは違う。


 無垢姉さんは威乃座家に生まれた優秀で立派で偉大な屍術師だった。

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