本文

「ハッピーバレンタインです、カイリさん!」


 にこにこと人懐こい笑みを浮かべたアキラが、彼女の手のひらより少し大きいサイズの箱を顔の横に掲げながら言った。

 二人で暮らす自宅のソファで寛いでいたカイリは、嬉しそうに微笑み返す。


「ありがとうアキラ。開けてみてもいいかな?」

「勿論です!」


 並ぶようにソファに沈み込んだアキラは彼に箱を差し出した。

 可愛らしいリボンのラッピングを解いて蓋を開けると、中には宝石のようにつやつやと輝く赤や黒のチョコレートが5つ納められていた。


「カイリさんはあんまりお菓子を食べるイメージがなかったので、量より質を取ってみました。それぞれの粒で違うブランデーが使われてるみたいですよ」


 購入した店でもらってきたのか、箱の中身を解説する小さなブックレットをめくりながらアキラは機嫌良さそうに話す。


「綺麗だね。これも色が似合うと思って選んでくれたの?」

「あ、え、えへへ……まぁ、バレバレですよね。」


 カイリの言葉に、アキラは照れくさそうに頬を掻いた。


「そうだ、コーヒーを入れてきますね!やっぱり飲み物があった方が良いと思いますし!」


 そう言って、パタパタと足音を立てながらキッチンの方に向かうアキラ。

 そんな彼女の様子をカイリは愛おしげに見つめいた。


 *****

 オレンジと深い青が混じり合う空の中を落下する二人。

 再会の誓いを交わし、己の血液を全てカイリに捧げた柵木 暁は、あの日、その生を終えた。

 人の魂は輪廻を巡り、また命を持って生まれ落ちる。

 悠久にも感じられる数百年の後……人として再びこの世界に生を受けた彼女と、カイリは奇跡的に再会することができた。

 そして更に数奇なことに、今の彼女は『柵木 暁』だけでなく、『ルーナ』の面影すらも持ち合わせていた。


 ……出来すぎた話はこれだけではない。

 これは偶然なのか、運命なのか。

 彼女が今生の両親から授かった名も、漢字こそ違えど『アキラ』なのであった。


 *****

 いつの間にか、テーブルに二人分のコーヒーが並べられている。ふわりと香ばしい香りがカイリの鼻腔をくすぐった。


「カイリさん、どれから食べるんですか?」


 アキラはキラキラとした目で箱の中身を見つめている。

 自分が食べるわけでもないのに。人の幸せを無邪気に喜ぶことの出来るその性格は、あの『夕暮れの一時間』を共にしていた日々の中で見たものと変わりない。


「んー、アキラはどれが良いと思う?」

「え。僕が選ぶんですか?うーん」


 勿論、適当に一つ選ぶことは出来るが……カイリはこうやってアキラが自分の為に頭を悩ませている姿を見るのが好きだった。

 何やら逡巡している様子の彼女を、ソファにゆったりと腰掛けたまま眺める。

 アキラはブックレットと箱の中に視線を交互に移し、やがて一粒のチョコレートを指さした。


「これにしましょう。比較的さっぱりした味みたいです!オレンジピールが入ってて、コーヒーにもきっと合いますよ」

「良いねぇ。ありがとう」


 カイリは手を伸ばすわけでもなくアキラの方を向いて、にこりと微笑む。

 一瞬きょとんとした表情を浮かべたアキラだったが、その意図に気付いたのか箱からチョコレートを取り出してカイリの口元へと運んだ。


「はい、あーん!」


 満面の笑みのアキラ。

 カイリは慣れた様子で差し出されたそれを口に含んだ。

 オレンジの風味と程よい苦味。

 それの後を追う様にカカオの香りが抜けてゆく。


「うん、美味しい!」

「本当ですか?よかった〜、長く並んだ甲斐があったなぁ」


 ふにゃ、と眉尻を下げて安堵の笑みを浮かべるアキラ。

 彼女はどの生の中においても、こんな風に様々な表情を見せてくれるのであった。

 そのあまりの可愛らしさに、カイリはくすくすと小さく笑い声を漏らす。

 何を笑われているのか分からないアキラは、今度は小首を傾げていた。


「うん、じゃあ苦労して手に入れてくれたお礼に一つお裾分け。」


 カイリは箱の中から、ココアパウダーのかかっているトリュフチョコを摘み上げる。

 目の前に差し出されたそれに、アキラは少し申し訳なさそうな顔をした後、口を開けて受け取った。

 しかし次の瞬間には、チョコレートの美味しさに顔を綻ばせている。


「ん〜!おいしー!」

「ふふ、良かった」

「これすっごく美味しいですね!自分用にも買えば良かった」


 ふと、そう言いながら笑っていた彼女の目が何かを捉えたようだった。

 そしてカイリがその視線の先を辿る前に、アキラは彼の手を取り……人差し指と親指の腹をちろりと舐めた。

 どうやらトリュフに塗されていたココアが指についていたらしい。


「あ。ごめんなさい、思わず……!」


 それは反射的な行動だったようで、ハッとした様子のアキラが慌てて頭を下げた。

 流石に恥ずかしいことをしたという自覚はあるのか、頬が真っ赤になっている。

 カイリ自身は彼女のこういった振る舞いにも慣れたものではあったが、身を縮こませるアキラにいたずら心が生まれた。


「それはあげるって言ってないでしょ。返して?」

「え、返すって……カイリさ」


 困惑した様子で顔を上げたアキラの体を抱き寄せて、深く口付ける。

 唇の隙間から舌を差し入れると、控えめながらも彼女が既に吸血鬼であることを証明する牙の感触があった。

 一瞬びくっと身を硬くしたアキラだが、抵抗する事なくそれを受け入れる。

 やがてカイリがアキラを解放する頃には、彼女は息も絶え絶えといった様子であった。


「……ちょ、ちょっと!急過ぎます!」


 真っ赤な顔で文句を言う彼女を見て、カイリはまたくすくすと笑った。


「やられっぱなしは悔しいからね」

「うう……」


 綺麗な顔で意地悪な笑みを浮かべて見せる彼に、アキラは視線を泳がせた。

 そしてごめんね、と言いながら黙り込んでしまった彼女の髪を指で梳く。


「……ね、カイリさん」

「うん?」

「僕こんなのばっかりで……いつも考えなしで動いちゃうし。だけどそんな僕のことを信じて、長い間待っていてくれましたね」


 今度は自分が先に見つけて会いに行く。

 柵木 暁が、塵と化す間際にカイリに告げた言葉だった。

 しかしあの時点では、それが叶う確証など……どこにもなかった。


 アキラの魂が永劫、獣や植物の中での転生を繰り返す可能性だってあったし、仮に人の身生まれたとしても……記憶を失い、再会することなくその生涯を終える事も十分考えられたのだ。


 それでもこの数百年、カイリは一度たりとも孤独を理由に死のう等とは思わなかった。

 あの日交わした約束を一途に信じ、ただ移り変わってゆく景色の中に、その姿だけを探し続けた。


「辛かったですか?」

「平気だったって言えば、嘘になるかな」

「……ごめんなさい」

「謝らないで。アキラと会えたから、もう過去のことはどうだって良いんだ」


 カイリは沈んだ表情のアキラの頬に手を添えて、そっと自分の方を向かせる。

 アキラの目の前で、深い赤の瞳が頼りなく揺れていた。


「だけど、お願いだから……もう二度と居なくなったりしないでね。」

「……はい、約束します」


 まるで迷子の子供のような、普段の様子からは想像も出来ない心細げな表情を浮かべるカイリ。

 アキラは安心させようと、彼の手に自分の手のひらを重ねて微笑んで見せる。


「それに離れようにも、きっとあなたが離してくれないでしょう?」

「そう思う?」

「はい。すっごく」

「……ご明察。」


 カイリはアキラを再び腕の中に閉じ込めて、ぎゅっと抱きしめた。

 とくとくと、鼓動が確かに彼女の胸から響いている。

 今、彼女の心臓は……ちゃんとここにあるのだ。


「心配なら僕のこと、檻に入れて鎖で繋いでしまっても良いんですよ?」

「あは、凄いことを言うね」

「それだけ、カイリさんを愛しているんです。他に何も要らないくらい。」


 恋人の胸に頬をすり寄せながら、アキラはそんなことを言う。

 カイリは彼女のことを心から愛おしいと思った。

 その言葉通りにしてしまうのも、それはそれで良いのかもしれない、とも。

 しかし、小さく横に首を振った。


「アキラは、俺と一緒に歩きたいんじゃなかったの?」

「……そうでした」


 アキラは彼の言葉に一度口を閉じるが、指を絡めながらカイリの手を握ると、嬉しそうに笑った。


「じゃあ、鎖じゃなくて……こっちで繋いじゃってください。どこにも行けないように」


 ね?と首を傾げる彼女に、カイリはあと何百年生きようと敵わないのだと悟る。

 だから今度は、意地悪をするのではなく……最高の笑顔と愛の言葉を返すことにしたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

2/14 カイリ・アキラ はるより @haruyori

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る