第3話
チョコを貰うために後をつけてきたなんて今更言えない。みんなのチョコを捨てられるのは心苦しいのもあるけど、理由の半分以上はチョコが欲しかったから。不純な理由なのにこんなことになるなんて。変な欲ださなきゃよかった。水で色濃くなったコンクリートの床を見ながら、なんて言おうか考えた。
水分を含んだスカートがコンクリートに落ちて、豆腐を落としたみたいな音が響いた。顔を上げると、
「な、なにして――
「だって、答えてくれないから」
「だからって脱ぐのはおかしいですよ。何考えて――」
「あなたの顔から不純な動機が見えた。こういうことしたいんじゃないの? いくらでもしてあげるから、私に欲求を教えて」
淡々と言いながら動作を止めることなく、シャツの最後のボタンを外してコンクリートに落とした。さすがにこれで止まるかと思ったら、
「澪先輩それ以上はダメ! 待って!」
緊急停止ボタンでも押したように止まった。人の話は最低限聞いてくれて少し安心した。膝を曲げ、くしゃっと濡れたシャツを手に取って白馬澪は言う。
「シャツあった方がよかった? ごめんなさい、気が回らなくて」
「そういう意味じゃなくて――」
言葉は通じても話が通じない。なんで、こんなことに付き合わされなきゃいけない。白馬澪の『欲求』のために、わたしなんかが答えないといけないの……でも、白馬澪はずっとみんなの欲求に答えていた。彼女の他者に関心のない冷たさを都合よく利用していた。
わたしも白馬澪からはこんなふうに見えてたのかな。もしそうなら気持ち悪すぎる。欲求丸出しの最低な人間。誰にだって欲求はある、でもそれを相手に押し付けていいわけない――。わたしは立ち上がって、白馬澪の肩に手を当てた(少し濡れてる)。
「わたし手伝います。澪先輩に欲求を与えます。だから……」
「だから?」
「嫌なことは嫌だって言ってください。それが欲求を得るための一つだと思いますから――なので、服着てください」わたしは顔をそらした。
白馬澪は言う。氷のように冷たく冷静に。
「私、全然嫌じゃない。このままやっても――」
「わたしはやりたくないです!」熱く返した。
「そう。あなたは嫌だったんだ」
「別に嫌じゃありませんけど……」
「私に欲求を与えてくれるんだもの、あなたの欲求も叶えてあげる。じゃないと不公平」
彼女はそう言って体を近づけてくる。肩に手を当ててたおかげでなんとか食い止めているが、いつかは突破されてしまう。首を左右に振って、わたしは言った。
「えっと、だったら……簡単で危なくないこと――あっ、褒めてくれれば嬉しいので、褒めてください」
「褒める?」
こくこくと頷いた。これならこれ以上の行動はない。前のめりになっていた白馬澪も止まった。わたしは、ふう、とひと息ついた。褒められたいのは間違いなく欲求にあるから問題はないはずだ。
なんの前触れもなく、すっと手を伸ばして、わたしの頭の左右を両手で触れ始めた。何をするのかと思ったら、カチューシャを触っていた。
「これは、なんですか?」とわたしは言った。純粋な疑問だった。
「カチューシャをつけた、いなたい
「そ、そうですか……」
『かわいい』と思う感情はあるのか……さすがにあるか。でも、いなたいは褒めてるのか、遠回しにダサいと言われてる気が――。
急にだった、そのままぐっと頭を持たれて上を向かされると、白馬澪はキスを仕掛けてきた。でも、さっきみたいな無理やりじゃない、優しいキス。
相手のことを考えた――呼吸を合わせた――チョコみたいな甘いキス。そっと頭も撫でてくれた。いまは氷のように冷たいとは、思えなかった。暖かい息がわたしの肌を這って、彼女の
心が氷で覆われているだけで、氷の内側は鼓動してるんだ。それがいまわたしにも聞こえる、ぴたっと合わせた体から血流に乗って、肌を越えて、聞こえてくる。彼女の鼓動がドクン、ドクン、と。
時間なんかわからなかった。一分ぐらいしたとも思えるし、一秒にすら感じた。甘いキスも引いていった。白馬澪は変わらずに、凍った表情で見つめていた。わたしは言う。
「聞こえた……澪先輩の欲求が聞こえた。澪先輩の凍った心を溶かして、欲求を表に出す――で、いいんですよね」
「うん。お願い、諏訪燎子さん」
無表情でいる白馬澪だったが、なんだか僅かばかりに光の角度のせいか、口元の影が伸びあがるように見えて――微笑んでるみたいに見えた。
*
全部あげるって言われたから、チョコが入った袋をわたしは引きずりながら歩いている(百個は越えている)。隣を歩く白馬澪に、なぜ褒めてくださいって言ったのにキスしたのか尋ねた。
「褒めて欲しいって言ったから。キスがあったほうがいいと思って。ダメだった?」と白馬澪は言った。
「ダメとかじゃないですけど……。キスってもっとこう、特別な時こそ! そういう時にした方が……」
「例えば?」
「いつもと違う感じだったりとか、普段とは異なる状況だったり――」
「諏訪燎子さん、こっち見て」
なんですか、正面向きながら歩いていたわたしは、彼女の方を振り向いた。顔を動かし終わった後にはもう遅かった、白馬澪との顔の距離は五センチにも満たなかった。手を叩いて音を出すぐらいの早さで、唇を合わされて、実際に唇を合わせた時の音と共に顔を引っ込めた。少し恐ろしさを感じつつわたしは言った。
「特別な時って言ったじゃないですか――」
「普段あなたは隣にいないから、これは特別なんじゃないの?」
「そ、そういうことじゃなくて――澪先輩……もしかしてわざとやってます?」
白馬澪はわたしに向けていた視線をそらして、足先が向いてる正面を見た(表情は相変わらず)。
「やっぱり、わざとですよね。澪先輩――ちょっと、澪先輩! 聞こえてますよね!」
氷の王子様は、思ったほど冷たい人ではなかった――らしい。
女子高の冷淡な彼女は川にチョコを投げ捨てた(わたしは拾ってやった) 鴻山みね @koukou-22
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