●第6章:秋風に乗せた告白

 九月に入り、街には秋の気配が色濃く漂い始めていた。朝夕の空気が澄んで、高層ビルに映る夕陽が一段と鮮やかさを増す季節。彩花は、自分の心にも確かな変化が訪れていることを感じていた。


 オフィスでの彩花と颯真の関係は、微妙な変化を見せていた。二人の距離は、同僚たちの目にも映るほどに近づいていた。けれど、それは決して不自然なものではなく、むしろ自然な流れのように周囲には映っていた。


「結城さん、この企画書の最終確認をお願いできますか?」


 颯真が彩花のデスクを訪れたのは、夕暮れ時だった。窓の外では、オフィス街の喧騒が徐々に静まりつつある。


「ええ、もちろんよ」


 企画書に目を通しながら、彩花は颯真の成長を感じていた。入社時から半年。その間の彼の進歩は目覚ましく、今では重要なプロジェクトも任されるようになっていた。


「ここの市場分析、とても良くまとめられているわ」


「ありがとうございます。結城さんに教えていただいたことを、少しずつ形にできるようになってきたんです」


 颯真の言葉には、いつもの自信と共に、どこか特別な色が混ざっているように感じられた。


「もう、残りの作業は明日に回してもいいかもしれませんね」


 颯真がそう言って窓の外を見やると、すっかり日が落ちていた。


「そうね。今日はもう遅いし……」


「よければ、少し寄り道していきませんか?」


 その提案には、明らかな意図が感じられた。彩花は一瞬躊躇ったものの、自分の心に正直になることにした。


「ええ、いいわよ」


 二人が向かったのは、オフィス街から少し離れた静かなバー。落ち着いた照明と、ジャズのBGMが流れる大人の空間。カウンター席に並んで座った二人は、しばらくの間、グラスを傾けながら他愛もない会話を交わしていた。


「結城さん、覚えていますか? 僕たちが初めて会った日のこと」


 颯真が突然、そんな話題を切り出した。


「ええ、もちろんよ。桜が舞う日だったわね」


「あの日から、僕の中で何かが変わり始めたんです」


 颯真の声には、真摯な想いが込められていた。グラスに映る照明が、彼の表情を優しく照らしている。


「神崎くん……」


「結城さん、僕、もう我慢できません」


 グラスを置く颯真の手が、かすかに震えているのが見えた。


「あなたのことが、本当に好きです」


 その言葉は、静かに、しかし確かな重みを持って彩花の胸に届いた。


「でも、私たちは……」


 年齢のこと、会社での立場、周囲の目。言い訳のように浮かぶ言葉の数々。けれど、それらは全て彩花自身の不安が生み出した壁なのかもしれない。


「年齢なんて関係ありません。僕が好きなのは、結城彩花という一人の女性です」


 颯真の真摯な眼差しには、揺るぎない決意が宿っていた。その瞳に映る自分を見つめながら、彩花は自分の心の声に耳を傾けた。


「私のことを、そこまで……」


「はい。僕にとって、あなたは特別な存在です」


 颯真はゆっくりと続けた。


「最初は、ただ憧れでした。仕事への姿勢、周りへの気遣い、そのどれもが素晴らしくて。でも、時間が経つにつれて、それは違う感情に変わっていきました」


 彼の言葉一つ一つが、彩花の心の奥深くまで響いていく。


「あなたの強さの中にある優しさに、弱さの中にある誇り。そのすべてが、僕の心を捉えて離さないんです」


 店内に流れるジャズの音色が、二人の間の静寂を優しく包み込む。


「私には……あなたにふさわしい人生を……」


「それを決めるのは僕です」


 颯真は静かに、しかし力強く言葉を重ねた。


「僕が選んだのは、紛れもなく今目の前にいるあなたです。日々、仕事に真摯に向き合い、時には優しく、時には厳しく、でも誰よりも人の気持ちを大切にする。そんなあなたに、心から惹かれたんです」


 彩花の目から、涙が零れ落ちた。それは、これまで抑え込んできた感情が、一気に溢れ出したかのようだった。


「ごめんなさい……こんな歳で、泣いたりして」


「その素直な姿も、僕は愛おしく思います」


 颯真はそっと、彩花の手に自分の手を重ねた。温かい。その感触が、彩花の心を確かに温めていく。


 店の外では、秋の風が街路樹を優しく揺らしていた。葉の間を漏れる街灯の明かりが、まるで二人を祝福するかのように瞬いている。


「考える時間が欲しいです」


 彩花はようやく、自分の気持ちを言葉にした。


「もちろんです。僕は、あなたの答えを待っています」


 颯真の微笑みには、深い愛情と希望が込められていた。


 その夜、彩花は久しぶりに、星空を見上げながら帰路についた。心の中では、様々な感情が渦を巻いている。不安も、迷いも、もちろんまだある。けれど、それ以上に大きな、確かな温かさが彼女の心を満たしていた。


 秋風が彩花の頬を撫でていく。その風は、まるで新しい季節の訪れを告げるかのように、優しく、力強く吹いていた。


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