第5話

 チョコを盗んだ犯人は存在しない。


 俺の結論に大沢先輩は「は??」と素っ頓狂な声を出す。


「ちょっとちょっと。朝比奈君。どういう事だい」

「俺が聞きたいですよ」

「??」


 さあ事件の全容を暴こう。

 チョコ盗難事件ではなく、俺を無意味に働かせたこの一大事件の真相を。


「フーダニット、ハウダニット、ホワイダニット、だったかな?まだホワイダニット、つまり『なぜ事件が起こったか』について考えていませんでしたね?」


「なぜ・・・犯人の動機だね」


 いや違う。一大事件とは俺の時間をだ。

 チョコ窃盗犯の心情ではない。


「違います。最初から疑問だったんです。なんでこの事件の推理に俺が選ばれたのか?」


「え、いや、それは君の友人から・・・」


「相馬先輩。僕はたまに推理小説を読む時、二つの謎を楽しむんです。一つは物語の本筋の事件。今回で言ったらバレンタインチョコが盗まれた事。二つ目の謎は、これはメタ的な要素ですが『なぜ作者はその主人公を軸に話を進めたのか』です」


「突然・・・なんの話かな?僕はバレンタイン消失事件の話がしたいんだが」


 相馬先輩は目を白黒させる。構わず続けさせて貰う。


「推理小説の主人公・・・それはある時は探偵、ある時は推理オタクの大学生、ある時はなんの変哲もない高校生が採用されます。彼らが事件に巻き込まれる理由は様々、ある時はサークルの旅行。実はその高校生は名探偵でそれを知ったヒロインが依頼した、とか。そして物語は動き出す。物語の起承転結の起の部分ですね。事件の内容やトリックは置いておいて、なぜ物語の作者がその主人公を選んだのか、どうやって主人公はこれから事件に巻き込むのかを考えるのも楽しいんです。たまにそれが事件の本筋に関わっている事もありますしね。そして今回『バレンタインチョコ消失事件』、探偵役として選ばれたのは俺でした。つまりもし仮にこの『バレンタインチョコ消失事件』がある一冊の本だとしたら、俺が主人公です」


「ある一冊の本・・・」


 相馬先輩がごくりと唾を飲む。しかしすぐに顔を直し「ねえねえ朝比奈君。脱線してるよ」と、苦笑いで俺を諭すように言う。その額には汗が垂れていた。


「さて、相馬先輩。言っておきますが、僕は高校に入ってから本当に何もしていない。確かに中学時代に推理紛いの事をした事もありますが、それだって数回。関わったのは十人にも満たない。最初に聞きましたが、もう一度聞きます。何年、何組の誰が、俺が事件解決の糸口になると言いましたか?どこの誰が、この事件の主人公を俺にするように仕向けましたか?」


「それは・・・一年二組の男子、名前は・・・忘れてしまった。まあ、それは今関係ないじゃないか」

「一年二組・・・残念ながら俺と同じ中学はいません」

「間違えた三組だった。そんなのどうでも良いじゃないか。チョコの事件に戻ろうよ」

「すみません。嘘です。二組には同じ中学が二人います。どちらも女子ですが」

「・・・・」


 はあ、そろそろ懲りて欲しいものだ。

 なぜそうも食い下がる?


「今回の事件。なぜ?が多すぎるんですよ。なのに『なぜチョコが盗まれたのか』は一向に見えてこない。まあ僕の洞察力の無さのせいかもしれませんが。でも他の『なぜ』が募って募って大変な事になりまして・・・


 なぜ俺が探偵に選ばれた?

 なぜ相馬先輩は文芸部の部室の鍵の癖を知っていた?

 なぜチョコを自慢する時、大沢先輩を電話で呼ばなかった?

 なぜミステリー研究部が他人に推理を依頼するのか?

 なぜ相馬先輩は俺の推理をずっとメモしているのか?

 なぜ初対面の女子と話せない相馬先輩が日暮と気さくに話していた?


 ・・・この中のいくつかはしっかりと説明がされましたね。でもね、俺はその説明に納得してないんですよ。推理ってのは、真実ってのは、究極的に言えば皆が納得できる詭弁です。皆が納得できなければ推理、仮説は間違いです。例えば、ミス研が事件発生からたったの5分で自力で事件が解けないと諦めて、後輩に推理を任せるなんて、俺は納得できません」


 だってあなた方ミステリアンは自分の推理の確認のためにいきなり教室を飛び出すような人種だろ?そして、事件発覚から俺の元に来るのが


 そして『なぜ』はもう一つ。


「そして日暮。なぜ、お前はずっと?中学二年で『読書』に見限りをつけたお前が」


 それは相馬先輩が俺達の部室に来る前からの『なぜ』だった。


 俺の問いに日暮鈴鹿は顔を上げる。そして珍しく、今日初めて、表情筋をしっかりと動かし万人がそれを『笑み』と呼べる表情を作った。


「えへ、そろそろ分かってきたかなー?」


 当たり前だ。ここまで俺の時間を無駄にするのはお前しかいない。


「お前、ミステリにハマってるんだろ?」

「うつろうくん。だーいせいかーい」


 日暮鈴鹿は読んでいるミステリー小説をパタンと閉じる。


「ここらで潮時だねー」とある意味でこの事件の黒幕、日暮は説明を始める。抑揚の無い声でただ淡々と。否。付き合いの長い俺にだけ分かる、少し嬉しそうな興奮気味な声で。


 話は大体一週間前に遡る。


 ミステリ研究部所属、相馬準作は悩んでいた。ミス研の活動実績のためミステリ小説を執筆しようとするも、全くアイデアが浮かばなかったからだ。


 ストーリーが書けない、そんな時に頼るのはどこだろうか?

 そう、文学についての部活である文芸部だ。


 相馬先輩は執筆のアイデアを貰いに文芸部を訪ねた。そこには幸か不幸か日暮鈴鹿。初対面の女子に緊張するも、背に腹は変えられない。相馬先輩は勇気を振り絞って日暮にアドバイスを求め、日暮もそれに真摯に答えた。彼女のゆったりとした雰囲気は相馬先輩にとって楽だったのだろう。二人は存外早く打ち解けた。


 そして相馬先輩の執筆を手伝う内に日暮は気づく。そういえばまだ『ミステリ』という分野に手を出していない事に。


 ミステリに興味を持った日暮は、良からぬ事を考え始める。

 あの無気力野郎、うつろうで遊びながらミステリを作ってみたいと。


 だから日暮鈴鹿は相馬先輩に提案した。

「現実で事件を起こそう。リアルな人の動きを見た方が良い物語が書ける」と。


 日暮は俺の事を『推理が上手い奴』と相馬先輩に紹介する。そして架空の盗難事件を作り、その推理が上手い奴はそれに対してどんな推理をするかを観察しようと提案する。そいつの推理を元に物語を書く事を勧めた。


 その架空の事件が『バレンタインチョコ消失事件』だったという話だ。


 説明が終わる。


 概ね予想通りだった。


 これでWhyは解かれた。


 なぜ俺が探偵に選ばれたのかーー日暮による推薦。

 なぜ相馬先輩は文芸部の部室の鍵を簡単に開けたーー相馬先輩は以前に部室に来ていたから。

 なぜ相馬先輩は大沢先輩を電話で呼ばなかったーー密室時間を作るため。

 なぜ相馬先輩は俺の推理をメモをするーー俺のアイデアを小説のネタにするため。

 なぜ初対面の女子と話せない相馬先輩が日暮と気さくに話していたーー日暮と相馬先輩は初対面でないから。


 これが一番納得できる。

 そしてやはりその納得の延長線上に生まれてしまうのが。


 How?

 どうやってチョコは盗まれたか?ーーそれは俺の裁量で決まる。なぜなら『バレンタインチョコ消失事件』は俺の推理によってこれから作られる、現実には存在しない事件だから。


 Who?

 誰がチョコを盗んだのか?ーー不明。存在しない。なぜなら事件は存在しないから。トリックは用意してやったのだから、犯人はふふ先輩に勝手に決めて欲しい。


 以上。

『バレンタインチョコ消失事件』の存在を否定する事で、推理は完成される。


「ちょ、ちょ、ちょっと待て!!じゃあ、つまり事件は存在しないし、さっきの朝比奈君のトリックは間違いということか?すまんがややこしくて分からない」


 俺と同じく巻き込まれた大沢先輩はまだ全容を掴めていないようだ。日暮と相馬先輩を交互に見ながら疑問を投げかける。この中で一番の被害者とも言える大沢先輩に相馬先輩はバツが悪そうな顔を向けるが、相反して日暮は無表情だ。


「すみませんでした、大沢先輩ー。貴方はランダムな一般人Aとして参加してもらいましたー」

「ええ・・・エキストラかよ・・・」

「でも結構良い働きしてましたよー。それでさっきのうつろうの推理ですが、別に正解も不正解もないんですよー。だって事件は無いんですからー。強いて言えば相馬先輩が小説のネタとしてするか、しないかが正解の基準ですー」

「納得・・・お前にとってあの推理はどうなんだ?そしてお前は本当はチョコを貰ったのか?貰ってないのか?」


 大沢先輩が相馬先輩の肩を揺らす。

 チョコを貰ったかどうかは今は重要でないと思うが。


「ふっ。大沢よ。俺がチョコを貰えるわけないだろ。貰えてたらこんな事件起こしてない」

「悲しい事言うな」

「こほんっ・・・まあ今はそんな事どうでも良くて、朝比奈君の推理だが、悪くない発想だと思う。被害者の盲目さによって作られた仮初かりそめの密室。僕には出ない発想だ。君を探偵役にして良かったと思えるよ」


 相馬先輩の表情はまるで探偵に追い詰められた犯人のようだ。隠れ続ける事を諦めた顰めっ面と、探偵に対する称賛の表情が混ざっている。


「全部気づいた上でちゃんとトリックを考えてくれるなんて嫌になるほどに良い奴だな、君は」

「そりゃどうも?」

「はあ・・・完敗と言わざるを得ない」


 買い被りすぎだ。無茶苦茶でもトリックを用意しなければ、この迷状況から解放されないと思っただけだ。そもそも、俺は貴方と日暮の手の平で踊らされた可哀想な少年だ。どちらかと言えば、時間を搾取された俺の負けだ。


 だから露骨にガッカリしないで欲しい。


 相馬先輩は取ったメモを、つまり俺の創作推理に目を通してうんうんと頷く。


「そうだね。じゃあ朝比奈君の推理を元に書いてみるよ。日暮さん協力ありがとう。書けたらまたチェックをお願いしても良いかな?」

「もちろんー。でもなる早で。私がミステリにハマってる内にー」

「ああ、本当にありがとう。朝比奈君、貴重な時間を僕に割いてくれて本当にありがとう」


 こう真摯に感謝されると何も言えなくなってしまう。『ありがとう』と言葉を貰ってしまっては完全に無意味な時間だったとは断言できなくなってしまうではないか。


 ああ、複雑な気分だ。

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