正負零的幸福論

加賀倉 創作【FÅ¢(¡<i)TΛ§】

1. 幸不幸

 あなたは幸せか。


 この漠々たる問いに対して、「ある時期はそうだった」だとか、「今はそうだが昔は違った」など、様々に回答はあるだろう。


 幸不幸(絶対的幸と絶対的不幸は存在せず幸不幸は連続階調ではあるが、便宜上そのように設定する)を、生を授かりし間の時の流れ全体で俯瞰して観測した時、波の正方向負方向の振幅をおしなべると、一様で一直線な線になる、トントン、プラマイゼロ、な場合は、あなたの人生は健全である。


 そうでない場合は、ある事実を受け入れる過程が必要である。


 まず、おしなべた波が、岸にかかるたわんだ吊り橋のようになった者は、総体として、他者から搾取されている。プラマイがマイである。もっと強い言葉で言い換えれば、何かの奴隷になっている。もしあなたがそうなることを心の底から受け入れているのなら誰もその状況を否定しないが、あなたがその状況に納得していないならば、あなたは搾取者から搾取された分の幸せを取り戻さねばならない。そう願えばその時はやってくるだろうが、願わなければ叶わない。多くの被搾取者は悲しきかな、願わないまま死ぬ。


 一方で、波をおしなべようとしても、膨らみを隠しきれない者は、他者を多かれ少なかれ、形はどうあれ、意識的と無意識的とに関わらず、とにかく他者を搾取している。支配者として奴隷を使役している。その奴隷というのは、しばしば不可視である(あなたの生活の範疇には見えていない、という意味である)。こんもりと盛り上がるその山は、被搾取者から、奴隷たちから吸い上げた富の山であり、踏み越えてきた屍の山である。全て自分で手に入れた、搾取される者がいるのならそうなることを選んだ奴が悪い、そうならない努力を怠った奴が悪い、そう思う者もいるかもしれないが、果たして本当にそうだろうか。確かに世には己が不幸を、誰か他に搾取者を設定することによって他者に責任転嫁し、最もらしく解釈する者がいることも認める。だがそういった場合を加味したとしても、あなたの築いた山の中に、あなたによる投資に不相応の、必要以上の余剰な幸せを、不当に占有している分がなかろうか。とはいえあなたがそう認めると認めざるとに関わらず、上った山はいつか下り坂を迎える。その幸せの山は、同じ高さの谷として、いつかあなたに訪れる。だから、今あなたは咎められるべきではない。

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