僕が仙台を燃やすまで
楽天アイヒマン
第1話
僕は幼少期から10歳まで大阪に住んでいた。もう15年以上前の話だ。
幼少期の記憶はほとんど無いが、白くぼやけたような夕方の天王寺駅と、急な階段の上にある幼稚園は、原風景として頭の片隅にポツンと取り残されている。
確か夏の終わり頃だっただろうか。父親の会社が倒産し、父の生まれ故郷である、福島県に引っ越しをすることになった。当時の友達の顔や名前は覚えていないが、大阪を出発する日に誰も見送りがなかったことははっきりと覚えている。逆に外交的な兄の友達の見送りにはたくさんの友人が来ていた。当たり前ではあるが、それがひどく理不尽なことのように覚えた。大阪と別れることよりも、その理不尽のために僕は泣きじゃくった。
内向的な人間は自然を好むものだが、僕も例外ではなく、自然に囲まれた福島は僕にとって非常に居心地の良い場所だった。それと同時に、自分は大阪という都会出身者なのだというプライドを僕に与えた。転校後、僕は人が変わったように外交的になり、友人も、大阪にいた時とは比べ物にならないほどできた。
都会的だった兄は、閉鎖的な田舎にあまり馴染めず、孤立していた。そのことが僕の優越感に拍車を掛けた。完全にお山の大将を気取っていた。人を見下す喜びを知ったのだ。
子供の記憶はうつろいやすい。中学校に進学する頃には、大阪の風景には霧がかかっていた。由来を失ったプライドが、少年の体に詰まっていた。
困ったことに当時の僕は躁病で、躁状態と高いプライド、その二つが組み合わさって、最悪なノンデリ人間が出来上がってしまった。ところ構わず下品なことを口走り、理解されないと言って不貞腐れる。
僕の周りからはみるみる人がいなくなり、存在しない人間として扱われた。
そんな時に、担任の教師から遠足の話があった。行き先は仙台。特に嬉しくはなかった。友人もいない。躁状態は過ぎ去り、ペシミストぶった生意気なガキ。そんな僕が遠足?楽しめるはずがないとたかをくくっていた
誤算だった。仙台は素晴らしい街だった。自然と都会が融合し、情緒と清廉が共生していた。街ゆく人々は福島で見ないような美人ばかりだった。僕はその頃思春期真っ只中で、性慾が強かった。遠足から帰った夜は自慰行為に耽った。美化された原風景としての大阪と、田舎に染まり垢まみれの自画像。その二つが手を取り合い、比喩ではなく、僕は仙台に恋をした。
遠足後、精神が安定したのか、極端な発言をすることは無くなった。徐々に周りには人が戻ってきたが、女子生徒からは激しく拒否されていたことが忘れられず、酷い女性不審に陥った。それは大人になった今でも治らない。周囲の女子生徒と性欲が結びつかず、恋というものがわからなかった。周囲の生徒が色恋沙汰を楽しんでいる状況は、僕に強烈な劣等感を覚えさせると同時に、大人になるための決定的な何かを奪い、貧しいが故の万能感を与えた。僕は本気になったらなんでもできる。だってここは僕の本当の居場所じゃないから。
中学生活に思い入れがなさすぎるせいか、つまらない授業風景ぐらいしか思い出せないが、一つだけ強く心に残った出来事がある。中学校を卒業し、高校生になるまでの短い春休みに、僕は友達数人とバスケをしていた。風の中に少しだけ春の気配が感じられるようになった午後。なんの心配や不安もなかった。手垢に塗れていたが、それは確かに自由だった。本心は話せずとも、気心の知れた友人達と遊ぶ。暗い中学生活における唯一の青春だったと言ってもいい。僕は不安とプライドという2つのフィルター越しに世界を眺めて悦に浸っていたが、たまには生の幸福も悪くないと思った。夕日が強くなり、なんとなしに解散の空気が漂い始めた。帰り支度を始め、自転車に跨った時、夕日が沈む間際に、一際強く輝いた。ギロチンを思わせるゴールポストの影が伸び、先に自転車を漕ぎ出した友人たちと僕を分断した。まるで先の未来を予言するかのように。お前はクズだ、人間の資格がないというかのように。
地面を見つめ呆然とした表情の僕を、訝しむ友人達。下げた視線を戻した僕の表情は酷く醜いものだっただろう。皆に気づかれないように、僕はバスケットコートに唾を吐いた。
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