夏奈

 氷鷹小夜がビアンバーワルキューレを開いてしばらく経った頃――。


「アタイの所に挨拶に来ないなんて大した度胸じゃないか、お嬢ちゃん」派手な柄の着物に身を包んだ濃い化粧の女性――まだ20代にしか見えない――の言葉に小夜は何故そんな事を言われるのかといった顔でその顔を見返した。店を開いて仕事にも慣れ始めた頃だ。相手はヤクザだろうと見当を付ける。


「そんな事を言われても――」


「逆らうってのかい」


「そうは言いませんが」ヤクザを恐れている訳では無い――面倒事が起きるのは避けたい。その一点だった。暴対法で、みかじめ料の支払いなどの暴力団への利益供与等は罰せられる。小夜自身もその手の団体への嫌悪感が有った。


「店が終わったらここに来な。サシで話をしようじゃないか」


 ホテルの一室が書かれた紙を渡して女ヤクザは出て行く。残った客に小夜は同情された。


「大変なのに目を付けられましたね」客は一ノ瀬夏奈と名乗った。大学生で、専門学校にも通っていると自己紹介された。


「知ってるの? さっきの女の人」


「知らなかったんですか? ススキノじゃ有名ですよ。釈迦神純麗しゃかがみすみれ。ヤクザの女親分です」


「あの人が――」ようやく小夜は相手の事を思い出した。噂は聞いたことがある。好みの女性を無理矢理手籠めにしているとも噂される女ヤクザだ。


「行くんですか? 純麗の所――」夏奈は心配そうだった。


「無視するわけにもいかないわ――まさか拉致されて売り飛ばされるなんて事は無いでしょうし」


「無いとは言い切れませんよ」


「脅さないでよ」


「チャイナブルーひとつ、お願いできます?」


「良いですよ。一ノ瀬夏奈さん」


 氷の入ったグラスにライチリキュール30ml、ブルーキュラソー10ml、グレープフルーツジュース45mlをいれ、トニック45mlで満たし、軽く混ぜる(ステア)する。


「はい。〝自分自身を宝物だと思える自信家〟ね。相当な――」


「それ、小夜さんへの奢りです」


「私? そんなに傲慢に見える?」


「褒め言葉です。釈迦神純麗に喧嘩売るなんて大した度胸ですよ」


「今私勤務中よ、頂け――」


「冷蔵庫に入れておけば大丈夫ですよ。祝いの盃って奴です。話は変わりますけどワルキューレでバイトの募集ってやってないんですか?」


「考えてなかったわ」


「私、今バイト先探しているんですよね。もし良ければ――」


「善処するわ。人手が足りてないのは事実だし」


 夏奈は小夜に見られないよう小さくガッツポーズを取った。


 結局夏奈は閉店までワルキューレにいたのだった。


 *   *   *


「まあ一杯付き合いなよ」ホテルのスイートルームで向かい合って純麗と小夜は座る。ブランデーを純麗は冷蔵庫から出した。グラスに氷を入れると酒を注ぐ。


「付き合うのは構いませんが、話って」


「ビアンバーを開くのに何の断りも無いってのが癇に障った。それだけさ」純麗はグラスをあおる。


 小夜は緊張していた。一対一でも純麗には任侠団体の親分の迫力があった。


「誠意を見せろって事ですか」小夜は気合い負けしないようブランデーを飲んだ。


「話が早いね」


「お金なら無いですよ」


「そんなんじゃないよ」純麗はニヤリと笑った。美しい顔に悪魔が宿ったかのようだ。小夜は嫌な予感を覚える。彼女は気に入った女性を強姦している――その噂を思い出した。


 純麗は立ち上がると小夜の方へと寄って来た。上背は小夜の方が5センチ程高い。力づくでも多分負けないだろう。


 しかし小夜は純麗の美しさに半ば見惚れてしまった。ヤクザでなければ手を出されても良い――そう思わせる程の美形だ。


「あんた、アタイに興味持ってるだろ。出会ったのも何かの縁だよ。アタイとイイ事しようよ」座っている小夜に純麗は口付けした。あまりにも自然な口付けだったせいも有るのだろう、小夜はそれを退けようとしない自分に愕然とした。


 純麗は小夜の首筋を撫でる。女を犯し慣れている女の手付きは艶めかしく、小夜の性感を逆なでした。純麗は舐る様に小夜の首を犯し続ける。純麗は小夜の手に自分の手を絡めると、首筋を音を立てて吸い始めた。


「抵抗しないんだね、アンタ」優しい中に欲情を感じさせる攻めだった。小夜は冷たいシャワーを浴びている様なざわざわとした感覚にすっかり溺れていた。


 純麗の舌が耳の後ろを舐めた。ゾクッとした感覚が背筋を駆け上る。ねちっこい攻めが続く。抵抗しないと――そう思うが、純麗の瞳を見ると力が抜けてしまう。着物の裾から覗く脚が小夜の心をかき乱す。


 純麗の手が小夜の胸に伸びる。唇が再び奪われた。同時に小夜は秘所から熱い潤いが吹きこぼれるのを自覚した。


 そのまま小夜は犯された。


 *   *   *


 翌日、小夜はどうにか夕方からの出勤に間に合った。身体が甘酸っぱい痛みでずきずきする。朝いっぱいまで犯されていた小夜は、ホテルの部屋からワルキューレに向かった。仕事着はルームサービスでクリーニングしてもらい、シャワーを浴びて、持ち歩いている化粧道具で軽く化粧を直してからだ。


 ワルキューレについた時見覚えのある人影が店の前にいた。


「一ノ瀬さん」


「夏奈で良いですよ。それより小夜さん――大丈夫ですか?」


「心配してくれてたの――大丈夫大丈夫」小夜はガッツポーズを取ったが、夏奈の顔は晴れなかった。


「準備、手伝いますよ」


「そこまで迷惑かけれないわ」言いかけて小夜は軽くよろめいた。


「駄目ですよ――やっぱり手伝います、代金はカクテル2杯で」


 小夜は困ったという顔になったが、バイトが必要と出資者に伝えていたのを思い出し、先回りして彼女を雇った事にすれば良いと思い直した。


「お願いできる? 出資者に相談して良ければ店員として雇うわ。お給金は今日から付けておくから。細かい所は後で相談ね」


「喜んで」夏奈は嬉しそうな顔になった。


 ところどころ助けは必要としたが、夏奈は申し分なく仕事をこなしてくれた。彼女が助けてくれたのは仕事だけでは無かった。


 *   *   *


「来たよ」一カ月以上の時間を空けて、災難は再来した。避けられない事だった。小夜は当然の様に警戒する。


「今日は客なんだ。そんなに邪険にしないでおくれ」純麗は着物の裾を乱さずにテーブルに着く。


「お薦めをひとつ貰えるかい」


 小夜は冷やしたグラスにジンジャーエール105mlを注ぎ、同量のビールを静かに注ぐ。ステアはしない。


「これは?」「シャンディ・ガフ」カクテル言葉は〝無駄な事〟だ。精いっぱいの抵抗だった。


 純麗は優雅な動作でグラスを傾ける。小夜はそれに苛つきを覚えた。純麗は会計を済ませるとこの前と同じホテルで待ってると待ってると伝えてきた。小夜は諦め混じりの溜め息をつく。グラスを食洗器に入れるが思ったより大きな音が出て冷や汗をかいた。


「小夜さん。純麗に何かされたんですね」怒りの色を宿した瞳で夏奈は小夜を見た。


「私が話をつけに行きます。小夜さんは――」


「駄目よ」小夜は周囲に聞こえない最大の音量で夏奈をたしなめる。


「貴女を巻き込めない。貴女は大切なうちの従業員よ」


「でも――」


「とにかく駄目」


 そのまま業務終了まで何事も無かった。問題はこれからだ――。小夜は仕事着を脱ぐとカジュアルな服装になり、前に凌辱されたホテルへ向かう。


 *   *   *


 指定された部屋には既に純麗がいた。小夜は諦めと彼女に服従する卑屈な喜びが去来するのを感じた。服を脱がずに純麗に近づく。


「早く終わらせて」


「そんな連れない事を言わないで頂戴」


 純麗は前と同じ攻めをしてきた。小夜は感じながらもマンネリ感が否めない。


「下手くそ」小夜は率直な感想を――歯に衣着せない物言いだ――純麗にぶつける。しばらくぎこちない愛撫が続いた。


 まるで感じる様子の無い小夜に純麗は遂に業を煮やした。


「アンタがそうならこっちにも考えがあるよ」純麗は小夜の抵抗を無視して手を縛る。彼女はバッグから筒状のものを二本取り出した。自らの腕をゴムバンドで縛って血管を浮きだたせる。アンプルの首を折ると注射器の針を突き立てて薬液を吸った。自分の腕に注射器を突き立てる。


「これを打てばどんな不感症の女もアタイのとりこだよ――」もう一本のアンプルから針を変えずに薬液を入れる。小夜は薬が何なのか悟る――覚せい剤だ。


 注射器を見せびらかす様に純麗が近づいてくる。小夜は流石に恐怖を隠せない。


「来ないで――」


「いいねぇ、その顔。嫌がる女を無理やりってのも悪くないね」


 純麗が小夜の腕にバンドを巻く。


「――嫌!!」小夜が絶叫した時。


 鍵がかかっていたはずの扉が音を立てて開けられる。


「小夜さん!」飛び込んできたのは夏奈だった。


 純麗は注射器を取り落とす――夏奈だけでなく、警察官が後に続いた。


「大丈夫ですか!?」夏奈は小夜を抱きしめると、拘束を解いた。「小夜さん! 小夜さん!!」


「夏奈!」二人は抱き締め合う。夏奈の方が小夜より遥かに小柄なのだが、夏奈の胸元に小夜は倒れ込んだ。


 警察官の一人が床に落ちて割れた注射器の液体を舐める――顔色が変わった。


「釈迦神純麗――覚せい剤取締法違反及び薬物所持の罪で現行犯逮捕する」二人いた警察官の片方が警察手帳を見せて宣告する。


 急な展開に純麗は呆然としていたが、突然哄笑を響かせた。手錠を後ろ手に掛けられた時も哄笑は止まない。部屋を出てもその声は聞こえてきた。


「どうして分かったの――」小夜の疑問に夏奈は答える。脱ぎ捨てられたカジュアルワイシャツのポケットから万年筆を取り出した――夏奈から貰ったものだ。彼女は万年筆のキャップを回す――小さなマイクが現れた。


「これ、無線付きのマイクなんです。この部屋に来たのは前の時の純麗の紙を拾っておいて――」


 夏奈は警察官とホテルに口利きした事を伏せた――彼女の家は札幌でもかなりの資産家で警察にもホテルにも顔が効いたのだ。


「小夜さん――もう大丈夫」夏奈は小夜の背中を優しく抱いた。小夜が声をしゃくりあげる。


「帰りましょう。小夜さんの部屋まで送りますから」


 こうして、夏奈は純麗の魔の手から小夜を救い出したのだった。


 *   *   *


「という事が有ったのよ」夏奈の自慢話に澄川静華たちは半信半疑だった。


「それが小夜さんと夏奈さんの馴れ初め――悔しいけどすごい運命的」ただ一人以前夏奈に救われた山元桜だけはその話を信じた。


「信じてないでしょ、静華ちゃん」夏奈は不満気な表情を隠そうとしない。


「いくら夏奈さんがワルキューレの有能な店員にして無敵の用心棒でも――これだけでも信じがたいけど、警察を動かせるほどの権力者の一族って」


「静華ちゃんだってそうじゃない。澄川女学院の直系家族なんだから」


「うちの家系は権力とはあまり仲が良くないんです」静華は真面目くさって答える。


「まあそうでなきゃ北海道くんだりまで来ないわよね。北の果てだし」


「でもさっきの話、出来過ぎですよ。それに釈迦神純麗? 本当にいるんですか、そんな胡散臭い名前の人」静華は思った事をずけずけと言った。真理愛は夏奈が機嫌を損ねるのではと心配そうな顔で静華を見る。


「証拠が有れば信じてくれるのね?」夏奈がねちっこく言った。


「小夜さん、私があげた万年筆、持ってますよね」


「インク切れたから持ってきてないわ」


「ね。私の言ったとおりでしょ」夏奈のドヤ顔に静華たちは顔を見合わせる。


「証拠が無いじゃないですか」


「ペンが有るって証言は出たじゃない」


「それだけじゃ――夏奈さん流石に厳しいです」流石に桜も夏奈を擁護できなかった。


「小夜さん、夏奈さんの話、本当なんですか?」真理愛が思い切って尋ねてみる。


「秘密」小夜の一言に真理愛を除いた静華たちは笑い出してしまう。


「まあ良いですよ夏奈さん、夏奈さんの話が本当だって事で。私たちの救世主なのは間違いないし」


「それは信じてる人の台詞じゃないわよ」静華の言葉に夏奈は不満顔を露わにする。その様子に小夜も笑い出した。


「もう、小夜さんまで――」


「まあ真偽不明で良いじゃない、夏奈。少しミステリアスな方が女はモテるものよ」


「そんなもんですか」味方がいないと悟った夏奈は折れた。


「それより夏奈さぁんアラスカノンアルコール一つぅ」場酔いした静華がモクテルを注文する。アラスカのカクテル言葉は〝偽りなき心〟だ。夏奈は皮肉を疑ったが、当の静華は単に興味を惹いたカクテルを頼んだだけだった。


〝ま、良っか〟夏奈は深く考えるのを止めた。当分の間は今、ここにある幸せだけで十分だ。いつか静華たちも真実を知るだろう――そう思った。




 ――今日も平和な一日だ――小夜がいる、夏奈はそれだけで満足できた。

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