第2話 ちぐはぐな日々

 ◇


 高校の入学式の日は、まだ冬の寒さがわずかに残っていた。


 校門の脇に咲く桜は、満開を過ぎて花びらが風に舞い始めている。


 綺麗は綺麗だけど、あの薄いピンクの色合いを見るとなんだか不安になる。


 新しい環境、新しい友達──そういうのが怖くなってくる。


 そんな風に思っていたのは私だけじゃなくて、亜里香もそうだった。


「高校生になっちゃった……」


 そう呟く亜里香の横顔は、まるで知らない町へ迷い込んだ子どものようだった。


 きっと私も同じ顔をしていたと思う。


 ◇


 私と亜里香は同じ高校に進学こそしたものの、クラスは別々になった。


 中学まではずっと同じクラスだったからか、最初にクラス発表を見たときはお互いに苦笑いしてしまった。


「まあ、同じ部活に入るかもしれないし、放課後は一緒に帰れるしね」


 そんなふうに言い合っていたけれど、私の声はどこか上ずっていたと思う。


 だって、無理をしていたから。


 実際入学式が終わり、クラスでの自己紹介や担任の先生の話を聞きながら、私は亜里香のことを何度も頭に思い浮かべていた。


 すぐ隣にいると思っていた子が、急に数十メートル先にいるような感覚。


 ほんの少しの距離がやけに遠く感じるのは、きっと慣れない環境のせいだろう。


 ◇


 それから数日、私は自分のクラスで新しい友達を作ろうと必死だった。


 席が近い子や、同じ中学から来た子と話しているうちに、放課後に「ちょっとファミレス寄って帰らない?」なんて誘われることも増えた。


 最初は「亜里香も誘っていいかな」と考えていたけれど、こちらのクラスメイトたちも初期のグループ作りに余裕がなく、私もバタバタと流れに乗ってしまって──


 結果的に亜里香に声をかけそびれて、そのまま夕方まで過ごしてしまう日が増えた。


「あっ、亜里香に一声かければよかった」


 そう気づいた時にはもう暗くなっていて、私がLINEを送ったころには亜里香からの返信は「もう家だよ。おやすみ」という一言だけ。


 中学までの日常なら下校時間に自然と合流していたから、わざわざ連絡を取り合う必要がなかった。


 でも、今はクラスも違うし帰るペースも違う。


 当たり前だった“小さな習慣”が消えていくなかで、私は妙な物足りなさを感じていた。


 そんな風に過ごしているうち、皆環境に大体慣れてきたのか周囲から「誰が付き合ってる」「あの人がかっこいい」なんて話が飛び交うようになり、私自身もその波に巻き込まれかけてしまう。


 クラスの友人たちが盛んに「ねえ、友里ってどんな人がタイプ?」なんて聞いてくるけれど、私は正直よくわかっていなかった。


 ただ、「もし彼氏ができたら、放課後はそっち優先になっちゃうのかな」などと考えて、なぜか胸の奥がちくりと痛む。


 その痛みが何を意味するのか、当時の私は言葉にできなかった。


 ◇


 一方で、亜里香のほうはどんなふうにクラスで過ごしているのかよくわからなかった。


 たまに廊下で見かけても、彼女がクラスメイトと一緒に笑っているのを横目にするだけで会釈を交わす程度。


 後でLINEを見返すと「今日、隣の子とお弁当食べたよ」なんてメッセージが入っていたりして、私も「そうなんだ。よかったね」と返す。


 でも、どこか他人行儀なやりとりだ。


 私たちの間にあった当たり前のボディタッチ──たとえば手を繋ぐとか、肩に寄りかかるとか──そういうスキンシップも、なぜか気まずく感じるようになっていた。


「あれ、何でかな。恥ずかしいから?」


 自分でも理由がよくわからず、気づくと距離を取っている。


 周囲からは「小学生じゃないんだから」と思われそうな気もしていたし、私自身「そろそろ大人っぽくしなきゃ」という意識がどこかにあったのかもしれない。


 そんなある日、下校時に亜里香を見つけたけれど、私は他の友達に誘われるまま「お先に」と言って帰ってしまった。


 帰り道の途中で、ふとスマホを見てみると、亜里香から「一緒に帰れる?」とメッセージが来ていた。


 時間を確認すると、もう30分も前のもの。


 私は焦って「ごめん、先に出ちゃった」と返すしかなかった。


 すると亜里香からの既読はついたものの、返信はこなかった。


「しまったなあ」


 声に出して呟いたって、後の祭りだ。


 タイミングの問題もあるかもしれないけど、あれじゃあ亜里香からの誘いをわざと無視して他の人と帰ったみたいな感じになってしまう。


 私はその晩、なかなか眠りにつけずにいた。


 翌朝、亜里香から「大丈夫だよ、また今度誘うね」と連絡が来てるのを見た時、私はずくりと胸が痛んだ。


 ◇


 新しいクラス、新しい友達。


 毎日は確かに少しずつ楽しく思えてきている。


 だけど亜里香のことが常に頭の片隅に引っかかっていた。


「今度こそちゃんと声をかけなきゃ」と思いつつも、気がつけばタイミングを逃し、気づけば帰宅部の子たちと別ルートで帰ってしまう。


 それを繰り返すうちに、いつしか「まあ、今度でいいかな」と先延ばしにするようにもなっていた。


 何度か廊下で声をかけようとしたけれど、亜里香が誰かと話しているところを見て私のほうが遠慮してしまったり。


「今は別の友達と仲良くしてるのかな」


 それくらいの理由で躊躇する自分が、どこか滑稽に思える。


「たった一言、“今日一緒に帰ろう”って言えばいいだけじゃん」


 頭ではそうわかっているのに、なぜか動けない。


 なんだかズレてるな、こんなの嫌だな──私は何となくそんな事を思っていた。


 楽しいのに楽しくない。


 チグハグな日々。


 周囲から見れば、ほんのささいなすれ違いなのだろう。


 でも、このとき既に私と亜里香の歯車は少しずつ狂い始めていたのだ。


 ◇


 実はあのころ、私が一緒に帰ろうか迷っている間にも、何度か亜里香は私を探してくれていたらしい。


 後になって聞いた話だけれど、先に昇降口へ向かった私を追いかけようとして、友達に引き止められたりもしたようだ。


 その度に亜里香は「そっちの話を優先しなきゃ悪い」と思ってつい諦めてしまったと聞いた時、胸がきゅっと締めつけられたのを覚えている。


 私も同じように、他の子に誘われたら断りづらいと感じていたから、きっと亜里香も似たような気持ちだったんだろう。


 何かちょっとした行き違いがあっても、以前なら気にせずすぐに「ごめん、こっち来て!」と呼べたのに、高校生になってからの私たちは、なぜかそれができなくなっていた。


 まるで何かの歯止めが効かなくなってしまったみたいに、お互いが違う方向へ歩み始めているような、そんな感覚ばかりが募っていく。


 そして、そのわずかな感覚のズレこそが大きな溝を生む前兆だということに、私はまだ気づいていなかった。

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